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コージー・エステティックとはなんぞ?というお話

今年のGWもあとわずか。
連休中も結局なんだか気が休まらないこの感じ、うーん、どうも、河童の猫、かぱにゃです。

今日はコージー・エステティックというライフスタイルについのお話です。

時の澱(おり)を見つめる。——コージー・エステティックと僕のインドアな日常。

体感としてはコロナ禍が明けたくらいから、世の中のスピードがどんどんどんどん速くなっていて、隙間とか余白みたいな時間がなくなってきている気がしています。

スマホを見れば、たわいない芸能ニュースや誰かのキラキラした日常、時にはトゲのある言葉が次から次へと流れ込んでくる。
仕事もオンライン会議が当たり前になって、会議と会議の隙間の時間もない。
振り返れば、一日のほとんどが何かしらの情報の処理に追いかけられていて、頭も心もパンパン……。
僕のHP・MPは、毎日「デジタル疲れ」で削られている部分が多いのかもなと思っています。

そんな中で最近耳にした「コージー・エステティック(Cozy Aesthetic)」という言葉。
コージー・コーナーが美容系の新業態にチャレンジしたのか?と思ったら全然違った(笑)
直訳すると「居心地の良さという美学」。
全然ピンと来ない(笑)
要は「刺激をちょっとお休みして、家でのんびり心地よく過ごそうよ」というライフスタイルのことらしい。
これが今の若い世代を中心に支持されているそう。

僕はもう、ミドルネームを「インドア」にしても差し支えないくらい、根っからのインドア派です。
休日は家で過ごすのが一番落ち着くし、車も持ってません。結局、デジタルの便利さは大好きだし、映画のサブスクサービスにはめちゃくちゃお世話になっています。

でも、そんなファーストプレイスでの至福の時間においても、なんだか「飽き」や「疲れ」を感じる瞬間があります。
映画を観ていた延長で、YouTubeを見始めて、そのうちショート動画を永遠にスクロールしていて、自分が本当に得たかった癒しや充実の時間ではなくなっていることにハッとする…。

便利になりすぎた反面、僕らは「時の澱」とでも言うのか、時の流れの中に蓄積されているはずの、豊かな気持ちを静かに見つめる凪いだひとときを失っているのかもしれません。

デジタルとアナログのちょうどいい「重なり」

それゆえか、今あえてアナログなものに惹かれることが多いです。僕にとってはすごく自然な「揺り戻し」のような気がしています。
ただ、僕が思うアナログ回帰は、決して「デジタルを敵にする」ということではなく、むしろ、アナログの延長線上にデジタルがある、という感覚を大事にしたいなと。

お気に入りのマグカップでコーヒーを飲みながら、紙の本を読む。その空間を満たす心地の良い音楽はスマホから流れている。
思えばこのnoteだってこれまで自身の内省などを紙のノートに書き綴っていた行為をデジタルで行うようにしただけで。
そんな風に、まずは自分の心で発信して、身体で、五感で受信することを土台にし、その上に便利なツールをちょこんと乗せる。そんなグラデーションのような付き合い方が、今の僕の「居心地の良い時間・空間」を作っている。

「何もしない」という贅沢な時間

コージーという考え方を突き詰めていくと、最後は「何もしない時間を味わう」というところに辿り着くだろうと思います。
でもこれ、実際には「贅沢」だと認識することはなかなか難しい。
何もしないでいると、なんだか時間を無駄にしているような罪悪感があったり、つい手持ち無沙汰でスマホに手が伸びてしまったり。
けれど、窓の外の夕焼け空を眺めたり、遠くから聞こえてくる電車の音になんとなく耳を傾けるような、一見「生産性のない時間」。それこそが、実はパンパンになった僕の心と頭の状態をリセットして、活力を充電してくれる大事な「余白」なんだと言い聞かせています。

結局、大事なのは「バランス」なんだろうな、と常々思っています。

なにもしないかぱにゃ

僕の毎日に、もっと「余白」を

アクティブに動く日もあれば、仕事に集中する時間もあっていい。
でもそれと同じくらい、穏やかで優しい時間も意識的に作りたいな、と思っています。
「あ、今心地いいな」と感じる瞬間を、一つひとつ大事に拾い上げていくこと。
それが、時の流れの加速が止まらぬこの世界で自分自身を失わずに生きていくための、一番シンプルな方法なんだろうと。

ここまで読んでくれたあなたにも、自分だけの「コージーな余白」が見つかるきっかけになれば嬉しいです。

昔、今田耕司さんに似てるって言われたことあったな…。

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