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案外真面目なタローマンと、デタラメになれない私


映画タローマンを観た

私は今日、映画館に「大長編 タローマン 万博大爆発」(以下、映画タローマン)を観に行った。ひどく混乱した。

この映画を見に行くきっかけとなったのが、サカナクションのボーカル、山口一郎さん。
映画タローマンが上映され始めた頃、XのTL上でタローマンの文字と共に「なんだこれは」と呟く人を数名見かけた。
タローマンの映画がなんかすごいらしいことだけは分かった。
そういえば、数年前に山口一郎さん主催のDJイベントの告知にブラックタローマンというキャラが何故か居て、このキャラは何だ?と謎に思っていたのを思い出した。
これをきっかけに、タローマンとは何なのか調べてみた。

タローマンとはなんだ?

調べていくうちに、概ねこんなことを理解した。

  • タローマンとは、岡本太郎の作品や言葉をモチーフとした、1970年代に放送された巨大ヒーローものの特撮作品、という設定の番組(NHKにて2022年に初放送)

  • サカナクションのボーカル山口一郎さん(1980年生まれ)は、幼少期にこの番組を視聴していたタローマンマニア、という設定

  • (どういう訳か)元は1話5分のこの番組が、この度2時間に渡る長編映画化された。

なんだこれは。
偶々タイミングよく、2022年放映の番組が再放送されていたので、全話観てみた。

なんだこれは。

岡本太郎の言葉に沿ったストーリー上で、芸術の巨人タローマンがデタラメに動き回っては、その結果何故かそれなりに事が収まる。
そして、番組の最後には存在しない記憶を澄んだ瞳で熱心に語る山口一郎さんのコーナー。
デタラメで、めちゃくちゃで、でも何故か岡本太郎の言葉が胸に刺さってくる。不思議だ。
そんなわけで、8番出口でも鬼滅の刃でもなく、映画館でタローマンを見ることに決めたのだ。

※以下、「大長編 タローマン 万博大爆発」のネタバレあり。


映画を見終えての感想

映画タローマンを観終えた今、とても深い映画だったような、あるいはとても浅くてデタラメな映画だったような、よくわからない気持ちになっている。
ただ、面白い映画だったことは間違いない。
横に座っていたおばちゃんが笑い上戸だったお陰で、遠慮せず笑いながら観れたのも良かった。
そんなデタラメな映画の中で、今の自分にとって考えさせられるものがいくつかあった。

デタラメになれないCBG隊長の葛藤

これは特大のネタバレなのだが、最終的なラスボスであり、デタラメの対極である秩序を以て世界中のエネルギーを宇宙に売り渡そうとしていたのが、CBG(地球防衛軍)の隊長。
NHKで放送されたシリーズ中も含め、CBGの面々はどこかマヌケでだらしない所がある。
劇中に現れる奇獣の退治も、最終的にはタローマンにお任せしている。
(奇獣とは、岡本太郎の作品をモチーフとした怪獣的なキャラである。私は水差し男爵が好き。)

こんな背景もあり、劇中序盤において隊長は上司から「タローマンのようにもっとデタラメになれ」と叱責されている。
だがその裏で、隊長は人知れず「私はタローマンのようにデタラメになれない」と思い悩んでいた。
デタラメになろうとしても、タローマンや他の見聞きしたものの模倣になってしまう。
岡本太郎も「同じことを繰り返すくらいなら死んでしまえ」と言っていた。
結果、隊長は闇堕ちし、自らを機械人間に改造してまで2025年の世界を秩序で牛耳っていた。

私には、デタラメになれない隊長の気持ちがとても良く分かる。私もデタラメになれない人間だからだ。
私は周囲から「良い人だね」「真面目だね」「優秀だね」なんて言われてきた。
その周囲からの期待に沿って、私は規律的なことや模範的であることに執着して生きてきた。
だが、そんな自分に限界が来て、数年前に精神を病んでしまった。
岡本太郎も「好かれるヤツほどダメになる」と言っていた。
精神を病んでも尚、仕事を休んだり休職したり逃げ出したりする「でたらめなこと」に飛び込むことがなかなか出来なかった。

それから紆余曲折を経た今、私の中のそうした執着はかなり薄れた。
ただ、この執着を失ったことで、今度は人生に対する情熱を失ってしまったような気がしている。
これからどうすれば良いのか。まだ答えは出ない。

ただ、タローマンのようにとにかくデタラメで居るというのも、また違うと思っている。
劇中のあるシーンで、隊長が奥さんに「デタラメになれなんて言葉は、たまたま上手く行った人が結果だけ見て勝手に言っているだけ」といったことを言っていた。
デタラメであるか、あるいは真面目であるかはそこまで重要ではなく、あくまで最終的にどんな結果になるのかが大切なのかな、と映画を観終えた今ぼんやり考えている。

(結果的には)案外真面目に戦うタローマン

先述の通り、岡本太郎は「好かれるヤツほどダメになる」と話していた。
この言葉通り、タローマンは市民に応援されればされるほど元気が無くなり、「頑張れ!」「戦え!」なんて声を掛けられると戦うことを辞めてしまう。
言われたことと反対のことをやりたがる。
呼ばれなければ来る巨人タローマンは、決して我々の期待通りには動かないのだ。

だが、この劇中ではそんなタローマンが案外真面目に戦っているように見えたのだ。
奇獣との戦闘でタローマンはデタラメな動きをして我々やCBGの面々を困惑させるものの、ちゃんと奇獣を倒そうとしていた。
NHKで放送された話では、この場面で戦え!と思ったタイミングで予想外の行動をして、真面目に戦おうとはしていなかった気がする。
だから、案外真面目に戦うタローマンに少し違和感を覚えたのだ。
(映画の構成上の都合、というメタはあると思うが)

だが、よくよく考えるとタローマンは別に真面目に戦おうとしては居なかったのだと思う。
タローマンはしたいこと、つまりデタラメな振る舞いをしたかっただけなのではないか。
動機や実際の行動がデタラメであろうがそうでなかろうが、結果的にタローマンが奇獣を退治することに繋がっていたのなら、それで良いのではないだろうか。

結局のところ、真面目であるかデタラメであるかは些細なことで、自分がやりたいことをやった結果、それがどのような結果を生むかどうかでしかないのでは。タローマンを観てそう思ったのだ。

執着や情熱のスタンスなんか、どうでも良いのかも

自分を突き動かす情熱を見失っていた私。
このタイミングでタローマンに出会えたのは何か意味があるのかもしれない。

私はこれまで執着していた生き方を失って、何に執着し何に情熱を向ければ良いのか悩んでいた。
けれど、この悩みの答えは案外簡単なことなのかもしれない。

「過去によって現在があるのではない。逆に現在があって、はじめて過去があるのだ」と岡本太郎も言っていた。
だったら、執着し情熱を注ぐものを定めず、だたひたすら今に執着して今に情熱を注げば良いのではないだろうか。
飽きっぽい私は、情熱を向ける対象がコロコロ変わっていってしまうかもしれないが、今を生きているうちに一生を掛けて執着したいものが見つかるのかもしれない。
私の中に生きるタローマンが、今に執着を向ける私を後押ししてくれるような気がしてきた。

まあ、タローマンはそんなこと考えてないだろうけど。
タローマンはただデタラメに行動しているだけで、そんなに深くは考えてないに決まっている。

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