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「幽囚の心得」第13章                    人権論(8)

 精神的自由権に比して、職業選択の自由、営業の自由、居住・移転の自由などの経済的自由権については、多くは在監関係の存在そのものによってそれに必然に伴うところの制約を受刑者は受けざるを得ない。敢えて言えば、財産権の保障については施設側に一定の配慮を要するとは言えよう。

 なお、経済的自由を規制する立法の合憲性判定基準としては合理性の基準が用いられる。合理性の基準とは立法目的及び立法目的達成手段の双方について、一般人を基準にして合理性が認められるかどうかを審査するという基準である。
 この基準は立法府の下した規制の根拠に合理性があるということを前提としており(合理性推定の原則)、精神的自由権を規制する立法の場合に用いられる合憲性判定基準に比し、比較的緩やかな審査基準であることが分かるであろう。

 自由権の最後は人身の自由に関する保障である。人身の自由が保障されなければ、そもそも自由権自体が存在し得ないと言ってよい、日本国憲法は第18条において奴隷的拘束からの自由を定め、第31条以下において適正手続の保障、不法な逮捕・抑留・拘禁からの自由、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利等の被疑者・被告人の権利等詳細な規定を置いている。

 憲法第18条は「何人もいかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と規定している。ここで「奴隷的拘束」とは自由な人格者であることとは両立しない程度の身体の拘束状態を言う。刑罰を科された受刑者が「その意に反する苦役」に服することは懲役刑の内容そのものであり、これは憲法秩序の構成要素としての在監関係の存在に当然に含まれるものとして認められている。即ち、受刑者において、苦役を科されていることは認められるものの、その労働が奴隷的拘束に至ることは許されないということになる。

 また、憲法第31条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科されない」と規定する。            法文では➀手続が法律で定められることを要求するに止まっているようにも読めるが、②法律で定めた手続が「適正」でなければならないこと(告知・聴聞の機会の保障等)、③実体も法律で定められなければならないこと(罪刑法定主義)、④法律で定められた実体規定も適正でなければならないことを含めその意味を解するのが通説である。

 この31条は「その他の刑罰を科せられない」とし、直接的には刑事手続に関する規定に止まるのようにも読めるが、人身の自由はこれが認められなければ自由権の存在自体がその基礎を失うという人権保障の基底であることからすれば、行政手続にも適用されると解すべきであろう。
 そして、同条の適正手続の内容としてとりわけ重要なのは、手続において「告知・聴聞(notice  and  hearing)」の機会が保障されねばならないということである。
 「告知・聴聞」の機会の保障は、公権力が国民に刑罰その他の不利益を科す場合には、当事者に予めその内容を告知し、且つ当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないということを内容とする。
 勿論、その手続にあたっては単なるその形式の具備に止まらず、実質として対象たる当事者の人身の自由に対する不当なる侵害に該当するものではないと言える程度の中身を備えていなければならない。
 これは受刑者に対する懲罰手続においても特に配慮が必要な点である。一日中、畳の上で正座をさせられる閉居罰は人身の自由に対する侵害であることは間違いなく、かかる懲罰を科すには相当な理由と、その理由と科されるち懲罰との均衡・バランスと、そして実質的に告知・聴聞の機会が与えられ手続的に適法であったと評し得ることを要するのである。

 

 

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