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徒然な日に考える故人のこと。


1、友人が亡くなった。

2回目にする話とは思わなんだことを書こうと思う。
友人が昨年末の2025年12月31日に闘病の末に亡くなった。
仲が良かった。ネットで知り合い、お互い配信アプリで配信者をしており、ウマが合い、そのまま6年が経っていた。

「胃癌が見付かった。」
 昨年の7月の終わりにそうLINEでメッセージが届く。最初は「…癌…?……ってガン?」ぐらいには理解が追いつかず、なんのことだか分からぬまま返信をしていた記憶がある。
日が経つにつれ実感が湧き、混乱も増す。
久しく思慮する日々の裏腹に、どんどん日数が経ち、あれよあれよと年末に、となった。

2、間柄

仲が良かった。本当に。
当時の私の恋人、恋人の友人、との4人で大阪の某有名な遊園地に行くほど。
お互いになんでも言えたし、とにかく友人は私の言いたいことを言語化するのがずば抜けて上手かった。
また、お互いに感性が似ていたというのも大きい。過程は違えど「結論この話はこう落ち着くよね。」というすり合わせがとても楽に出来、会話のストレスがほとんど無かった。
また共通の趣味として遊戯王カードがあった。厳密に言うと向こうは「コンテンツとしての遊戯王」、私は「カードゲームとしての遊戯王」という差異はあれど概ね問題はなかった。

3、喪失感

仲が良かった。本当の本当に。とても良かった。
長い時間共に過ごしたのも、もちろんあるだろう。向こうは私より4つ歳が下だった。
聡明な人物で、物事の本質を捉えるのが上手だった。
共通の話題もあり、共にすごした日々もある友人がいなくなる。
初めての経験である。
私は普段短気なのだが、感情の振り幅とは比例せず、心模様は穏やかなことが多かった。
理解が難しいと思うが、例を出すと喧嘩をしても荒い口調で心の中では「こう言ったら傷つくんだろうなぁ。ほらなぁ。」と思うようなことがある。
亡くなった時もそう。友人の親族からLINEが来た。
「亡くなった。」と、言葉にすれば短く、あまりに呆気なく死んだのだ。
悲しいより寂しさが強く、今も変わらず寂しさがほとんどである。
ふとした時に連絡を取ろうとしてしまい、「あぁ、もうこの世にいないのか。」と、初めての感情と事実に少し心を抉られる。
手癖でメッセージを送ろうとしてしまうが、手が止まり、その“いない”という事実に、心に影が射す。

4、この話の触り

仲が良かった友人は少なく、数えても3人しかいない。
もちろん数ではないが、私は余程友人を作るのが下手なのだろう。平均から見ても少なく思う。
2人は学生時代の友人で、もう1人は今回取り上げた友人である。
とても言葉に出来ない喪失感がある。
本文の構想を練るにあたり、「寂しい」ではとてもこの心模様を表すことが出来ず、少し調べると「寂寥感(せきりょうかん)」という言葉があった。
意味は“心にぽっかり穴が空いたような、物悲しく空虚な感情”とあり、まさにと思った。
文字起こしをして心の整理をしたかった。

5、最後に

多少はマシにはなったが、まだまだ寂しいものである。
本当に仲が良かった。もうこんなに仲が良くなる友人は現れないようにも思える。
そんな人物であった。
次こそ、趣味に寄った話をしたいと思う。

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