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あの日の笑い声を、今でも覚えている

中1のころ、わたしは黒板に向かって右から二列目、前から二列目の席に座っていた。
わたしの前には、野球部のやんちゃな男の子。

わたしはその子にいつもいじられていた。
いじめではなかったけれど、大きな声でからかわれ、ふざけたあだ名をつけられた。
何度も何度もやめてくれと言ったのに。
そのことを今でもはっきり覚えているくらいだから、相当嫌だったんだろうと思う。

ある日国語の授業中、わたしは先生から音読を指名された。
いざ読もうとすると、その男の子が執拗にわたしを笑わせようとする。
何度も失笑してしまい、うまく読めなかったわたし。
音読が終わるや否や、その子の頭を教科書で強く叩いてしまった。
かなり大きな音がして、教室中が笑いに包まれた。

「イッテー!」と大声を上げる彼に、わたしは心の中でピースサインを送っていた。
いじられてばかりだったのに、わたしはそのできごとを今とても懐かしく思い出す。
中1の三学期、わたしはクラス委員長をしていて目立つ存在だった。
でも、学校生活の楽しい思い出はそれが最後だ。

中2になると不登校になり、中3になってもそれは解決しなかった。
そして、高校にもなじめず中退してしまった。
だからあの男の子とふざけていた楽しい思い出は、大学に入るまで上書きされることがなかった。

学校に行けなかったころのわたしは、楽しそうにはしゃいでいる友達がうらやましくて仕方がなくて。
どうして私は独りぼっちなんだろう、と毎日泣いていた。

でも大検(高卒認定試験)を受けて大学に進む道のりで、フリースクールに通うことになる。
そして、同じような境遇の人とたくさん知り合えた。
その出会いは今でもわたしの宝物となっている。
その友だちとは、今でも年賀状のやり取りをするくらい仲がいい。
そう、わたしにはわたしにしか経験できなかったことがたくさんあった。

それに、わたしくらいの年齢になれば、高校を中退したことは生きていく上で、なんの障がいにもならない。
普段、自分が高校を中退してることなんて忘れているくらいだ。
ごく一般的に結婚して、健康な子どもにも恵まれた。

中1のとき、いじられつつもみんなでワイワイ騒いでいたこと。
それもわたしにとってかけがえのない思い出だ。わたしが当時のことを覚えていたことが、自分でもとても嬉しい。

あの経験がなければ、学校生活の思い出をすべて封じ込めて生きてきたかもしれない。
あの男の子は今、どうしてるかな。
もう結婚して子どもも大きくなっているのだろうか。

わたしは当時住んでいたところから、遠く離れ土地に今住んでいる。
でも、テレビで生まれ育った街が映るたび、まるで柔らかい毛布に包まれたように心が温まる。

もしふるさとへ帰ることがあれば、あのときのあの席にまた座ってみたい。
無理して思い出そうとしなくても、あの日の笑い声が、今でもはっきりと心の中でよみがえる。



#いつもの場所に座って

オカムラさんとnoteのコラボ企画に参加させていただきました。


当時わたしがいつも聴いていた曲です。



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