見出し画像

映画(OttO)『KNEECAP/ニーキャップ』──フィクションと現実が交差する、2025年のKNEECAP

昨年末、OttOで2025年最後となる映画『KNEECAP』を観てきました。

いつも通り、前情報はほとんど入れずに足を運びました。
実際には宇多丸さんのラジオでの映画評は聞いていたのですが9月だったのでほとんど忘れてます。エンタテイメントとして年末に見るのに適した映画でしたし、また考えさせられる要素のある作品でした。主演の3人が実際のヒップホップ・トリオであり、本人役を演じていることも後から知ったほどですが、その分、先入観なく物語を受け止めることができました。

あらすじと概要

母国語の復権を掲げてアイルランド語でラップをする北アイルランド出身のヒップホップ・トリオ、KNEECAP。
政治的で風刺の効いたリリックに反抗的なパンク精神を融合したスタイルで注目されており、政治家にも目をつけられ、検閲の対象としてラジオ局では放送禁止に。
その過激な言動で度々論争を巻き起こしている3人が本人役で主演を果たした青春音楽映画がここに誕生。
2022年まで公用語として認められていなかったアイルランド語と、自分たちのアイデンティティのために闘う彼らの姿をエネルギッシュに描いた半自伝的物語。自然な演技とパワフルで魅力的な音楽、皮肉とユーモアをテンポよく織り交ぜた演出と高いドラマ性で、本国ではアイルランド語映画として初週動員歴代1位の大ヒットを記録。世界の映画祭でも大絶賛を受け25の受賞と63のノミネートを果たした話題作。

「言語」というもう一つの戦場

北アイルランドの複雑な状況はニュースなどで耳にすることもありましたが、この映画を通してその凄惨な側面を改めて理解することができました。

パレスチナとイスラエルの紛争が「場所」を奪い合うものだとすれば、ここでは「言語」がアイデンティティを保つための防衛線になっているという視点です。

物語は、警察の取り調べでアイルランド語を通訳するかどうか、という小さなやり取りから始まります。日本で日本語を当たり前に使っていると想像しにくい部分もありますが、かつての沖縄における琉球言葉や、戦時下のハングルといった歴史的な状況と照らし合わせることで、彼らがなぜこれほどまでに言葉に固執する状況を想像し、少しだけ想像しやすくなるのではないかと思いました。

印象的だった別れのシーン

作品全体には皮肉やユーモア、テンポの良い演出が散りばめられていますが、個人的に最も心に残ったのは、DJプロヴィ(JJ)を巡る人間ドラマの部分です。

特に、彼の妻が「運転中に見せる幸せそうな仕草」から、夫がKNEECAPとして活動していることに気づく場面。彼女はそれをすぐには問い詰めませんが、彼が学校をクビになったタイミングで、最終的に別れを選びます。

自分の年齢や立場もあり、どうしてもDJプロヴィの視点で感情移入してしまったため、この展開は非常に切なく感じられました。方向性の違いということで表現すればそれまでですがそこには安易な衝突ではなく、ある種の愛や覚悟が含まれているようで、非常に印象深いシーンでした。

終わりに

2025年のコーチェラ出演時のパレスチナ指示で現在進行形で話題を集めているKNEECAP。

この記事を書いているタイミングからすぐに来日公演もあるようです。(あれだけドラッグ描写があって来日して大丈夫なんか?という心配もありますが)

単なる音楽映画の枠に留まらず、北アイルランドの過酷な現実と、文化的な独立を守ろうとする彼らの姿がエネルギッシュに描かれています。前知識がなくても、その熱量とメッセージ性は十分に伝わってくる作品でした。


いいなと思ったら応援しよう!

masdaq とても励みになります。地元に還元します。

この記事が参加している募集