映画(OttO)『君と私』──夢のような質感で描き出す普遍的な喪失の物語
クレジット
監督・脚本:チョ・ヒョンチョル
出演:パク・ヘス、キム・シウン
公開:2025年
2014年に発生した、セウォル号沈没事故の前日を背景にした韓国映画『君と私』を鑑賞しました。作品を知ったきっかけは忘れてしまいましたが、発生からまだ比較的日の浅い、韓国社会を大きく揺るがした大事件を、韓国映画がどのように扱うかに興味があったからです。
本作は、直接的なパニックや悲劇を描くのではなく、犠牲となった高校生たちの「ありふれた日常の最後の一日」にフォーカスしています。
重いテーマを背景に背負った作品ですが、高校生の青春群像劇ともなっており、見る人自身の個人的な体験を思い返させるような普遍的な物語になっていると感じました。
「夢であってほしい」という祈りが生む映像の質感
本作の映像は全体的に淡く、どこか白昼夢を見ているような浮遊感があります。
本作の夢のような質感は、単なる美意識というよりも、それ自体が「この一日が、そして翌日に起きる出来事が、すべて夢であってほしい」という切実なメッセージとして機能しているように感じます。
日本で同様の悲劇を映画化した場合、例えば東日本大震災を扱った映画などを考えると、もっと感情を煽るようなウェットな演出になっていたような気がします。
一方で、本作は一貫して個人の「喪失」について語り続けています。
その抑制されたトーンには、韓国社会がこの事故を社会としてどう受け止めてきたかという、真摯な態度が表れているのかもしれません。
セミの「幼い自己中心性」へのイライラと共感
主人公・セミの行動に対しては、正直なところ観ていて常にイライラさせられました。
怪我をして入院しているハウンの事情を顧みず、自分が見た夢への不安や「一緒に修学旅行に行きたい」という我儘だけで突っ走る姿は、あまりにも幼すぎるように感じます。
ただ、ふと自分の高校時代を振り返ってみると、他者の背景や内心を想像できず、自分の感情のスケールだけで世界が回っていた時期があったなとも思います。
セミの行動は「子供らしい」と言えばそれまでですが、その未熟さも美化せずにそのまま描いている点に作り手の意思を感じます。
鏡のモチーフと、時間軸へのノイズ
個人的にどうしても気になってしまったのが、映画の構造や編集の粗さです。
序盤、鏡や時計が印象的なモチーフとして頻繁に登場します。鏡に映る姿は「自己投影」や「(事故の犠牲者として)リプレイス可能な存在としての女子高校生」を象徴しているのかと考えながら観ていたのですが、後半になるとこれらのモチーフの扱いがパタリと消えてしまいます。
さらにノイズになったのが、一日の中に出来事が詰め込まれすぎている点です。
事故の前日というタイムリミットがある構成上、「いま何時の出来事なのか」が気になって仕方ないのですが、どう考えても一日の出来事としては物理的に多すぎます。
終盤の晩御飯の場面などは「いったいどういう時間軸になっているんだ?」という疑問が湧き続け、物語への没入が削がれてしまいました。
このあたりは、初監督作品ゆえのペース配分や調整の失敗ではないかと感じざるを得ません。
避けられない「明日」と、遺された者の世界
構成への不満はありつつも、やはり終盤の描写は胸に迫るものがありました。
セミとハウンが最後に別れる場面の裏で、おそらく葬儀の準備をしているであろう葬儀社の人々が映し出されます。
現実と未来の時間が溶け始めているような演出で、この時間がもう戻らないことを伝えてきます。
そして終盤でインサートされる、ハウンが一人だけ遺された世界。
この対比によって、二人の他愛のない日常が「永遠に失われた時間」であることが残酷なまでに突きつけられます。
感情論だけで押し切るのではなく、現実の悲劇を背景にしながら「喪失」の感触をどう映像として定着させるか。荒削りな部分はありつつも、その試み自体が心に残る一作でした。
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