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2020年3月の振り返り

2時間5分29秒。圧巻の日本新記録だった。

大迫傑が感情をおもむろに出した雄叫びとガッツポーズで東京駅前のフィニッシュ地点に飛び込んだ時、こんなにも混沌とした未来がやってくるとは思いもしなかった。

いや「思いもしなかった」という言葉は嘘だ。ちょっとだけ予想していた。けれども、本当にそんな未来がやってくるのだろうかという疑問と共に過ごしていた。

僕が東京で生活した最後の1ヶ月。きっと何十年、人生が進んだとしてもこの“2020年3月”を忘れることはできないと思う。

4月ももう終わりを迎えようとしている。3月の振り返りをしなくてもいいかと思ったが、やっぱりこの1ヶ月のことを言葉に残さずにはいられない。東京にいたときのことを忘れないうちに言葉に書き留めなくては。

1年前、今の出会いを想像しただろうか

3月、立て続けに有名な長距離ランナーにお会いする機会があった。自分が箱根駅伝を見て、長距離にのめり込んでた時期から見てる元選手と話せたことや今なお社会人として競技に取り組み、自己のスタイルを貫いて想いを実現させようとしている選手。

そんな存在の人たちと目の前で対峙して、自分が話すとは思ってもいなかった。こんな言い方をすると嫌味だが、不思議にも僕は憧れている人や会いたいと思う人に会えてきた。去年の5月にもnoteに書いたが、僕は出会いに恵まれている。

昨年、柏原竜二さんの取材に同行させてもらったときも、10年前テレビの中で見ていた人が目の前にいることをどこかふわふわとした感覚でいた。

▼そのインタビュー記事がこの2つ

会えたことの話も嬉しいが、僕にとってはそんなエリートランナーたちの話を間近で聞けたことが大きかった。もちろん、自分の競技に置き換えることができるかは分からないが、これまでアスリートの課題について語るときも報道で流れてくる情報でしか語れなかった。

ある意味、それは「こちら側」の論理の押し付けでしかなかった(という罪悪感があった)。けれども、彼らの話を直に聞いたことで、彼らがどういった環境で生きてきたのか、競技への向き合い方があらゆる側面で知ることができた。

僕なりに感じたのは、だからこそ彼らの話を聞くだけではなく僕自身も一端のランナーとして近づけるところまで近づいてみたい。その上でさらに理解の解像度や自分自身が語れるメッセージも出てくるのではないかと思った。まずは1000m2分45秒からだ。(笑)

「特殊能力」という言葉が腑に落ちた

3月の終盤、ある友人とランチをした。そのときに木幡くんはこれからどうしていくの?という話になり、自分の想いを伝えた。

ここ最近数人から聞く言葉によると、自分には人を繋ぐチカラがあるらしい。先述の通り、自分は人との出会いに恵まれている。たしかに僕の周りには素敵な人が集まる。

ずっとそれはなぜだろう…と思ってきた。そして、それがみんなそんなものじゃないの?と特別なことにも感じなかった。自分が見てきた大人たちのほうが、自分よりずっとずっとコミュニティを作っているから自分なんて大したことないと思ってきた。

3月の終わり、いろんな人と会話をしていて「木幡くんのおかげで出会えた人がいたり、できることが広がったりした」という言葉を幾つももらった。

その言葉をランチをした友人に伝えたら「コミュニティマネージャーは特殊能力を持ってる人じゃないとできないんだよね」と返された。“特殊能力”というと掴みどころのない怪しい響きを放つが、もうそうとしか言いようがなく、腑に落ちた感じがした。

これは自分なりの仮説だけど「特殊能力」は、行動量や自分の軸によってある程度変動があるんじゃないかと思っている。もちろん、ただ人と会ってるだけでも発揮はされるのだけど、それ以上に自分の軸(これだ、と言えるコト・場を創ること)や行動量が上がることで「特殊能力」という変数は指数関数的に伸びるのではないかと仮説立てている。(また、経験上からそんな気がしている)

そういう意味で、東京生活の最後にLast 1K TimeTrialというタイムトライアルイベントとこの1年の報告会を行えたことは自分の財産になった。もちろん自分自身の想いをカタチにするプロセスから学びを得られたし、ずっと止まって錆び付いていた歯車が動き出したような感覚があった。

1年間、社内外でこんなにも温かい人たちに囲まれて生きて来れたんだと思うと感慨深かった。

答えのない時代に「自分の答え」を持つこと

3月25日20時、小池都知事が会見を行いその週末の外出自粛の要請を発表した。あの日の夜、僕は海外マラソンコレクターの鈴木ゆうりちゃんと代々木公園を走り、その後ご飯をご馳走してもらった。

もちろん、僕は最後の1週間、31日の夜行バスに乗る直前まで予定がびっしりと入っていた。感染が拡大している局面とはいえ、あの週でさえもどこか遠い出来事として捉えていた自分はいたし「サシ飲みなら…」と思っていた自分はいた。

しかし、この局面で多くの人が外出をする流れを止めなければニューヨークのように都市封鎖や医療体制の破綻は免れないとの情報も知り、26日朝に以降全ての予定をキャンセルすることにした。

その後も正直心穏やかにはなれなかった。この状況で東京にいるのなら早めに仙台に戻るか。とはいえ、この状態の東京から地元に戻り他の人たちに集団感染ということにでもなったら自分は感染拡大に拍車をかける人になってしまう。

ならば、東京での滞在期間を伸ばすのか。

あの週末僕は迷いに迷った。その経緯はこちらに書いているので、どうぞ読んでみてください。

最終的に僕が出した決断は31日まで待たずして、29日(日)の夜に仙台に戻る選択だった。その代わり、僕は仙台の自宅に戻ってから2週間の自主隔離をすることで感染拡大防止への責任をとった。

正直、どちらが良かったのかは分からない。もしかしたら、シェアハウスの同居人は無症状なだけで僕を経由して感染してしまったかもしれない。そのおかげで感染経路不明の患者がいるかもしれない。不安を考えたらつきないし、どちらが正しい答えだったのかは分からない。

しかし、答えのない混沌とした時代・社会において、自分なりの決断と行動を取れたことは大いな人生経験になった。震災直後の高校生活において、経験したあの時間とも似ている。

混沌とした地域のなかで暮らしたあの時間、見た世界は確実に今へと響いているはずだ。もしかしたらこのStay Homeの時代を抜けた時、数十年経って人生を振り返った時、今を生きる自分の姿がまだ見ない何かのきっかけになっていたら嬉しい。


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