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どうして自費出版した卒論が青山のデザイン事務所に届いたのか

自費出版した卒論が、なぜか青山にあるデザイン事務所のアーティディレクターさんの手に届き、卒論におまけで描いた挿絵が評価されて、イラストレーターとしてスタートした私。

普通、思いますよね。

なんで、面識もないアートディレクターさんのところに届くの?って。

私もそう思いました。つながりをさかのぼってみましょう。

アートディレクターさんに私の卒論を渡してくれたのは、当時私が一緒にバスケをしていた、ちょっぴり年上のお友達です。

そのお友達は出版社で働いていたので、仕事の繋がりでアートディレクターさんを知っていたんですね。

どうして、そのお友達と一緒にバスケをすることになったのか?

ある雑誌を読んでいたところ「バスケサークルを作ろうと思いますのでメンバー募集します」という記事を見かけて応募したのです。彼女はその呼びかけ人でした。

でも、私はその雑誌を読みたくて買って読んだわけではありません。

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ちょっと高校時代に話さかのぼりますね。

大学進学にあたって、当然ながら進路について親と相談するわけですが、私の父は、はっきりと口には出しませんがどうやら東京には行って欲しくなさそうでした。

できれば地元の国立大学へ進学。県外にでるとしても福岡ぐらいにしてほしい。

でも、私は東京に行きたかったのです。

第一志望の早稲田に合格してもしなくても、とにかく東京行きたい! 雑誌やテレビで見るようなキラキラした東京(30年以上前の話です)に住んでみたい! 大分なんか民放2つしかないし、見たいテレビも全然見られない! お店もない! 田舎やだ! 年上のいとこたちもみんな東京行ってる! 私だって東京行きたい!

ただのミーハーですよね。しかも、早稲田に行きたい理由は、聖飢魔IIの後輩になりたいから、という一般的にはアホな理由です。

そんな理由で進学、上京するために、かかるお金はかなりの額。父にお金を出してもらうのは、さすがの私も正直、気が引けました。しかも当時、父とは少し険悪な感じだったので「父に借りを作りたくない」という気持ちもありました。

どしよー、困ったなーと思っていた時、世の中には「新聞奨学生」という制度があることを知ります。

学費全額給付(返済なし)、家賃生活費不要、給料あり!

すごい!! 私、新聞奨学生になる!

極めて単純、ほんとに単純な上に世間知らず。

母に相談すると、

「あのなー、新聞配達っていうのは早起きせんといけんので? あんた、朝、お母さんが起こさんと起きれんやんか。新聞配達とか絶対無理やろ…できるわけないわぁ」

と、呆れ果てております。

そうなんです。母の言うとおり早起きは超苦手。毎朝、起こされても起こされても起きません。もういいかげんにせんかえ!と母が怒りだしたらようやく起きる、というレベルです。新聞配達の素質ゼロです。

でも、自分の力で東京の大学へ行くには新聞奨学生になるしかない。

母からは無謀すぎる…と言われましたが「いやいや大丈夫、やれば出来る子なんだよ、私は!」と新聞奨学生になることにしたのです。

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さて、新聞奨学生になることは決めた。次は新聞各社の案内を取り寄せて、どこの新聞社にするかを決めないといけません。

私としては、全国紙といえばA新聞かY新聞だと思っていたので、そのどちらかにしようと思っていたところ、それまでほぼ意見をしなかった父が、

「どこの新聞奨学生になるんか?」

と、聞いてきました。

「A新聞かY新聞にしようと思ってるけど…」

と、答えると、

「N新聞にしなさい」

と言ったのです。

当時、N新聞なんて全く知りませんでしたが、父の意に反して東京に行くことになるんだから、ま、一つくらいは意見を聞いとくかー、と軽い気持ちでN新聞の奨学生に決めたのです。

私としてはどの新聞社を選んでも一緒やろ、という気持ちでした。でも、実際新聞配達始めてから、それは違ってた…ということがわかったのです。後から振り返ると他にも運の部分もあるんですけどね、この時、父の一言に従ってホントによかったと思っています。

そんなわけで、私は大学時代、N新聞の新聞奨学生をしてました。

販売店では、新聞だけじゃなくてN新聞が出している雑誌も取り扱っていて、お客さんに配達する分とは別に、お店の分もありました。

夕刊前に配達する新聞がお店に届くのを待ってる間、私はいつもそのお店にあった雑誌を読んでいたのですが、そこで、私の卒論をアートディレクターさんに渡してくれたお友達と出会うことになる「バスケサークルメンバー募集」のお知らせを見つけたのです。

絶対、自分では買わない雑誌でした。

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あとから振り返ると、あの時に違う決断をしていたらこの流れにはならなかった、今いる人生のこの場所には来なかったのかもしれないなーと思うと、なんだかとっても不思議な気がします。

朝起きれないくせに新聞奨学生になろうって思ったこと。

珍しく父が意見を言って、珍しく私がそれに従ったこと。(普段はほぼ言うこと聞きませんでした)

父が言った新聞社の新聞奨学生になったことで、たまたま読んでいた雑誌にバスケサークルの募集が出ていたこと。

卒論に「おまけで挿絵を描いてみた」こと。

そのサークルで知り合った友達が、私の卒論を面白がって青山のアートディレクターさんに見せてくれたこと。


若い頃は「人生は努力で切り開いていくものだ」「自分の人生なんだから自分でコントロールできるはずだ」と思ってましたが、最近は、そうでもないな…と思いますし、そして、力技で人生なんとかなると思ってるとかなりしんどい、ということも分かってきました。

だって、思いもよらないことがいっぱい起こるんだもん…(^_^;)

自分の人生振り返ってみても、別にアートディレクターさんと繋がりたいからバスケサークルに入ったわけじゃない。出版社の友達が欲しくて新聞奨学生始めたわけじゃない。

でも結果として、わらしべ長者みたいに、色んな出来事や出会いが、自分では思ってもみないようなところに連れて行ってくれた。そんなこともある。面白いなーって。

逆に「最悪、最悪」と思ったコトも、あとから振り返ると、あの最悪事件があったからこそ、考えを変えることが出来た、成長できたんだな、ということもあるわけです。

なので、最近の私は「やりたいことやる」「こうなったらいいなーとか、うっすら思ったりもするけど過剰な期待はしない」「思わぬ事態も楽しむ」がモットーです。

中年になると身体的には着々とあちこちガタがきて困っておりますが、気持ち的には、こんなにユルユルと力が抜けて楽になりました。年取っていいこともあるのです💕

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