【特集②】実録・体験談クアラルンプールと日本、二つの気候を生きる人々
取材・文:Masaomi
場所は、クアラルンプール。KLセントラル駅の改札を抜けると、空気の密度が一気に変わった。
甘いドリアンとココナツの香りが湿った空気に混ざり、バスのディーゼル音が遠くで低く響く。空はすでに真夏の青さで、日差しは容赦なくアスファルトを熱している。
赤道に近いこの都市は、年間を通して高温多湿。
観光客にとっては「常夏の楽園」でも、そこに暮らす人々の日常には、想像以上の発見や苦労がある。
今回、現地で暮らす方に、直接インタビューを行った。
そこから見えてきたのは、ガイドブックでは伝わらない“生活の質感”だ。
🎤(今日は、日本とマレーシアの暮らしの違いを体験している人たちに会う。数字やデータじゃなく、その中で生活している生の声を集めたい)
駅から徒歩5分。小さなカフェの木製ドアを押すと、涼しい風とコーヒーの香りが迎えてくれた。
天井の大きなシーリングファンが、ゆったりと回っている。
アヤさん(🚺・30代・日本人女性・KL在住5年)
アイスカフェラテを手に、アヤさんは笑顔で迎えてくれた。
彼女は東京から移住して5年、現地の広告会社で働いている。
🎤「マレーシアに来て、一番驚いたことって何ですか?」
🚺「冬がないことですね。東京の冬って、朝起きるのが本当に辛くて。布団から出るのが拷問でした」
🎤「たしかに、日本の冬は…布団の魔力がすごいですよね」
🚺「そうそう。でもKLでは一年中、朝から半袖でいい。冷房の効きすぎは困るけど、厚着のストレスがないんです」
カフェの外では、バイクのエンジン音が交差点の向こうで反響している。
アヤさんはストローを回しながら続けた。
🚺「それに、体調も良くなりました。東京にいた頃は、冬になると手足が冷えて頭痛もひどかったんです。ここではほとんどない」
🎤「でも湿度はすごいですよね」
🚺「それ! 靴にカビが生えるんですよ。初めて見た時はびっくりしました。油断するとバッグの革まで…」
🎤「除湿器とか?」
🚺「置いてます。あと、部屋探しの時は風通しの良さを重視。最初の家は換気が悪くて失敗しました」
一瞬、外の光が陰った。スコールが近づいているらしい。
アヤさんは窓の外を見ながら微笑む。
🚺「でもね、スコールの後の空って、すごくきれいなんですよ。雲の隙間から光が差し込む瞬間があって、あれを見ると湿気のことなんてどうでもよくなる」
🎤「日本の夕焼けとはまた違う美しさですよね」
🚺「そう。日本の空は澄んでいるけど、ここは湿気を含んだ光が柔らかい感じ」
カップの氷がカランと鳴った。
外では、最初の雨粒がアスファルトに暗い斑点を作っていく――。
リーさん(🚹・40代・中華系マレー人男性・KL在住40年・コック)
KL中心部からLRTで15分ほど。小さな夜市の入り口に立つと、甘いココナツミルクの匂いと、チリペーストを炒める香ばしい香りが入り混じって、胃袋を直撃してくる。
リーさんは屋台でチャークイティオを炒めていた。油が跳ね、鉄板の上で麺が踊る。
🎤「こんばんは! 忙しいところすみません」
🚹「ああ、いらっしゃい。インタビュー?座って座って。熱いから気をつけて」
パラソルの下、プラスチックの赤い椅子に腰を下ろす。雨上がりの空気がまだ湿っていて、肌が少しべたつく。
🎤「リーさんはずっとKLですか?」
🚹「そう、生まれも育ちもここ。日本には行ったことがないけど、テレビやYouTubeで見てるよ。街も人もきれいだね」
🎤「日本と比べると、こちらは湿度が高いですよね」
🚹「うん。ここは湿気と一緒に生きる場所。スコールも毎日のように来るし。でもね、そのおかげで野菜や果物は一年中採れる。ドリアン、マンゴー、バナナ…日本じゃ高いでしょ?」
リーさんは笑いながら、皿に山盛りのチャークイティオを置いてくれた。
太麺に絡む甘辛いソースの香りが鼻をくすぐる。
🎤「たしかに、日本ではバナナもマンゴーも高級品ですね」
🚹「こっちは逆。サクランボとかリンゴは高い。輸入だからね。日本のリンゴは甘くて香りも強いって聞くよ」
🎤「自然災害はどうですか?」
🚹「地震も台風もない。あるのは洪水かな。KLの中心は下水道が整備されてるけど、郊外だと雨が長く降ると道路が水でいっぱいになる」
🎤「日本は地震や台風が多いです」
🚹「テレビで見た。地面が揺れるなんて怖すぎる。もしKLで地震があったら、古いビルはたぶん崩れる」
夜市のざわめきの中で、リーさんの表情が一瞬真剣になる。
遠くで、マレー語の歌が流れ、子どもたちが風船を抱えて走り回っている。
🚹「でもね、この街は夜遅くまでにぎやか。暑くても、人が外に出て、食べて、笑って…それがKLの魅力だよ」
🎤「日本だと、夜市はあまり見ませんね」
🚹「そうだろうね。湿度と暑さがあるからこそ、夜が一番活動的になるんだ」
リーさんの笑顔の奥に、この土地特有のリズムと時間の流れが見えた。
🚹「日本人のお客さん、最近増えましたよ。特に若い人や家族連れ。日本はきれいで安全なイメージ。でも、みんな“物価が高い”って言いますね」
🎤「日本とマレーシア、どちらが住みやすいと思います?」
🚹「人によるけど、こっちはゆったりしてる。時間に追われない。でも日本みたいな正確さや清潔さはないから、それをどう受け入れるか」
ナディアさん(🚺・30代・マレーシア人女性・日本留学経験あり)
夕方の取材で訪れたのは、低層のアパートが立ち並ぶエリア。
スコールの後、道路はまだ濡れていて、木々から滴る水がぽたぽたとアスファルトを打っている。
ナディアさんは玄関先で、色とりどりの洗濯物を取り込みながら笑顔で手を振ってくれた。
🎤「こんにちは、お久しぶりです」
🚺「こんにちは〜!暑いのにようこそ。あ、そこ靴脱がなくてもいいですよ、こっちは外履きのままですから」
部屋に入ると、扇風機がゆっくり回り、壁には日本のカレンダーと、京都の舞妓さんのポスターが貼られていた。
香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。
🎤「日本に留学されてたんですよね?」
🚺「はい、東京で3年間。最初は冬がつらかったです。寒すぎて外に出たくなかった(笑)」
🎤「KLは一年中暑いですからね」
🚺「そう。でも日本の四季はきれいでした。桜も紅葉も…季節ごとに街の色が変わるのがすごく新鮮で」
🎤「湿度や降水量の違いは感じました?」
🚺「もちろん。日本の梅雨はジメジメしてますけど、KLの湿度はそれが365日続く感じ。でもこっちはスコールがあっても1〜2時間で止むから、意外と生活に支障はないです」
🎤「自然災害はどうでしたか?」
🚺「東京で地震を経験しました。最初は家具が揺れて、心臓が止まるかと思った。マレーシアでは地震も台風もないから…あの恐怖は初めて」
ナディアさんはコーヒーを一口飲み、少し目を伏せる。
🚺「でも、日本の防災意識はすごいですね。避難訓練もあるし、建物もしっかりしてる。KLでは洪水はあるけど、備えって意味ではまだまだ」
🎤「生活面で、日本との違いを感じるのは?」
🚺「日本は電車やバスが時間通り。でもKLは…渋滞が多くて(笑)バスも時間通り来ないことがよくあります。でもその分、時間におおらかで、急がない文化がありますね」
窓の外からは、近所の子どもたちの笑い声が響く。
夕暮れの空がオレンジ色から紫に変わり、熱帯の夜がすぐそこまで来ていた。
🚺「日本はきれいで便利だけど、時々、KLのゆったりした時間が恋しくなるんです。どちらも好きですよ」
取材後記
3人の話を聞いて感じたのは、慣れこそが“快適さ”の基準だということ。
KLの雷や湿度は現地人にとっては当たり前、日本の冬や地震も日本人には日常。
だが、違う土地に身を置くと、その“当たり前”が一気に大きな違いとして浮かび上がる。
取材中、カフェの窓から見えたのは、急に降り出すスコールと、それを見上げて笑う現地の人たちの姿だった。
自然の中で生活リズムを柔軟に変える、そのしなやかさこそ、この都市の魅力なのかもしれない。
