【34】清酒は酢になるのか
清酒が古くなると酢になる――
SNSで「古くなった酒が出てきたけど飲めるのか」が散見され、レスには必ず「酢になっているかもしれない」というフレーズが出てきます。
結論から言うと「清酒が古くなっても酢にはなりません」。
清酒が古くなり腐ると、酢になりますか?
酢(酢酸)は、原料になる穀物または果実をアルコール発酵させて酢醪を醸造し、この酢醪に酢酸菌を加えて酢酸発酵を行なわせることで造ります。
酢酸菌は、アルコール分が10%以上では生育できないため、通常の清酒(低濃度アルコール酒を除けば、アルコール分は15度程度)は、古くなっても酢にはならないと考えられます。
科学的には既に否定されているにもかかわらず、なぜそのような言葉が生まれ、今も人々に語り継がれているのか。
要点は2つありまして、1つは酢の製造工程において、酢酸菌が酒類のエタノールを酢酸へと変換している点、もう1つは「酢」が示すものの曖昧さという点です。この2点を軸に解明してみたいと思います。
酢の製造工程
先述のとおり、酢は酒(エタノール)から酢酸発酵により造られるものです。細かいメカニズムは次の「酢酸菌」の項で触れるとして、基本的な製造工程としては
酒精発酵(お酒を造る)
酢酸発酵(酢酸菌がエタノールを酢酸に変える)
熟成
調合・瓶詰等
の4ステップになります。「米酢」や「りんご酢」などの種類については、どんな原料を使ってお酒をつくり酢酸発酵させるかによって、できあがるお酢の種類が変わりますが、今回はそこは省略します。
未納税移入した酒類を用いることもあるようですが、基本的には酒精(アルコール)発酵→酢酸発酵の二段階(麴を用いる場合はもう一段階「糖化」が増えます)の発酵工程を経て造られており、エタノールが生じるために「もろみ」の製造免許が最低限必要となります。該当酒類の製造免許がない場合は、上槽前に種酢を加えて不可飲処置(酒類として飲用することができない処置;規定量の食塩または酢を添加する)を施してから搾ります。
原料から酢を自家醸造するのは酒税法の対象行為
ここまでの酒税法と酢造りの関係をまとめます。
・酢造りの工程のアルコール発酵で造られる酢もろみは、アルコール度数が1度以上で酒税法の対象となる
・原料をアルコール発酵をさせて酢もろみをつくるには、もろみ製造免許が必要
・つくった酢もろみを飲んだり、移動させたりしてはいけない
・つくった酢もろみはお酒として使えないように、種酢を添加するなどの処置をしなければいけない
1 不可飲処置を命ずる場合の取扱い
(1) 法第44条第3項の規定により、酒母等に不可飲処置を施すべき旨を命ずる場合には、次表により処置させることとする。

国税庁 酒税法及び酒類行政関係法令等解釈通達
第44条 原料用酒類及び酒母等の処分禁止 第3項関係 1 不可飲処置を命ずる場合の取扱い より
酢酸菌と酢酸発酵
酢酸菌は、酢の主成分となる「酢酸」をうみだす菌の総称です。$${\textit{Acetobacter}}$$属と$${\textit{Gluconacetobacter}}$$属が食酢生産に主に用いられていますが、$${\textit{Acetobacter}}$$属の中にはセルロース繊維を形成する菌もおり、工業的利用法も検討されている他、ナタ・デ・ココもその一種によって作られています。
食酢の主成分である酢酸は、酢酸菌の細胞膜に局在するアルコール脱水素酵素、アルデヒド脱水素酵素、呼吸鎖末端酸化酵素の一連の酵素群により、エタノールが酸化されて生産され、酢酸菌の中でもエタノール酸化能の強い$${\textit{Acetobacter}}$$と$${\textit{Gluconacetobacter}}$$が食酢の生産に用いられている。工業的な食酢生産は、桶や壷を用いて液表面に酢酸菌膜を形成して発酵させる「表面発酵」と、攪拌翼のついた発酵タンクで通気攪拌しながら発酵させる「深部通気発酵」の2通りが主流となっている。表面発酵では酸度4~6%、深部通気発酵においては5~20%の酸度の食酢発酵が行われている。$${\textit{Acetobacter}}$$が10%程度の酢酸発酵が可能であるのに対し、$${\textit{Gluconacetobacter}}$$は10%を超える高い酢酸酸度の発酵が可能である。
酢酸菌による酢酸生成を酢酸発酵と言いますが、一般的な発酵とは異なり、酢酸菌は細胞膜の表層にある酵素(アルコール脱水素酵素など)を用いてエタノールを酸化します。この過程で、部分的に酸化された生成物(酢酸)を体外に蓄積することから、酸化発酵(不完全酸化)の一つとされています。
エタノールからアセトアルデヒドを経て酢酸を生成し、その際にエネルギーを獲得しています。それを1つで表すと以下の反応式になります。
C₂H₅OH(エタノール) + O₂ → CH₃COOH(酢酸) + H₂O
この酢酸発酵が起こる条件として、酢酸菌の生育に最適な温度が20~30℃、基質であるアルコール濃度は5~10%の範囲内がよいとされています。また酢酸菌自体はある程度の酸耐性はあるものの、生成した酢酸濃度が一定以上になると菌は死滅してしまいます。
表面発酵と全面発酵
酢酸発酵は好気環境下で進行しますので、酸素の供給が必要です。そのため産業的に酢を造る方法として「表面発酵」と「全面発酵」の2種類があります。
表面発酵法(静置発酵法):伝統的な製法
表面発酵法は、古くから使われている伝統的な食酢の製造法です。日本の米酢・黒酢はもちろん、ワインからつくるバルサミコ酢、ビールからつくるモルトビネガーなども、壺や樽・桶などの容器の違いはあれど、多くの酢がこの製法で造られています。
(中略)
表面発酵法では、自然の力による拡散で、酢酸発酵が緩やかに進行します。この製法は、かき混ぜてはならず、酢酸菌膜を表面に静かにゆっくりと成長させるところから、「静置発酵」とも呼ばれています。
全面発酵法(深部発酵法):効率的な大量量産製法
全面発酵法は、酢の大量生産を可能にした現代的な製法です。機械の力で仕込み液をかき混ぜて空気を送り込み、酢酸発酵を促進します。酢酸発酵は、酢酸菌の手元にお酒と空気があればよいので、アルコール中に小さな空気泡を分散させることで、液全体での発酵を可能にしています。
従来の表面発酵法では、液面積という制約がありましたが、液の深部でも発酵を進められるようになったことから「深部発酵法」とも呼ばれます。発酵速度が飛躍的に上がり、短期間で大量の酢を効率よく生産できるのが大きな利点です。
伝統的な製法とされる表面発酵法では、時間をかけてじっくりと反応が進むことに加え、開放系であるために酢酸菌以外の乳酸菌や枯草菌などの複合微生物叢が構築されることにより、複雑味のある酢になるといわれています。一方で全面発酵法では効率良く食酢の製造が可能であり、表面発酵法では造ることが難しい酢も安定して製造できるとされ、どちらにもメリット・デメリットがあります。
表面発酵では菌膜の精製能力の高い菌($${\textit{Komagataeibacter}}$$など)が多く、全面発酵では菌膜生成能よりも酢酸生成および耐性の高い菌が主に使われているそうですが、酢酸菌はその形質が比較的容易に変わりやすい(易変異性)であることも知られており、清酒酵母のように基準となる菌を単菌で純粋培養して用いるとは限らないようです。
「酢」の定義
酢酸菌と酢酸発酵についてざっとまとめましたが、そもそも「酢」とは?というところを次に掘り下げてみます。
お酢は、米やぶどうなどデンプンや糖分のある原料に酵母を加え、酒にし、それに酢酸菌を使って酢酸発酵させたものです。この定義は、お酢の語源をみれば一目瞭然です。英語では「vinegar(ビネガー)」と言いますが、これはフランス語の「vinaigre(ビネイグル)」が由来で、「vinaigre(ビネイグル)」は「vin(ワイン)」と「aigre(すっぱい)」が合わさってできた言葉です。一方、日本語の「酢」の文字は、「酉(とり)」と「乍」から構成されています。元来、「酉」の字は象形文字で酒壺を表し、そこに液体を表す「さんずい」が付いて「酒」なる形声文字ができました。「酢」の文字は、そのつくりからわかるように酒から作ることを意味しています。言い換えれば、洋の東西を問わず、「酢」の語源は酒が変化してできたものです。簡潔に表現すると、お酢は酒から生まれる発酵調味料と言えます。
端的には「酒から造られて酢酸を生じたもの」が東西問わずに酢と考えられています。酢の定義で「農林水産省による規格で定められているもの」は以下の通りです。

日本では食酢品質表示基準および日本農林規格(JAS)により食酢の定義が定められている。品質表示基準による食酢の定義の一部を表に示した。この中で黒酢(米黒酢と大麦黒酢)は健康イメージの上昇と市場の拡大の中で、消費者の要請もあり、2004年に新たに定義・規格化された。また、2008年の法改正で、「醸造酢」の規格に新たな原料として「野菜」、「その他の農産物(さとうきび等)」、「はちみつ」が加えられ、醸造酢1Lあたりに規定の使用量を満たした食酢は、『醸造酢(○○酢)』と表示できることになった。
まず「醸造酢」と「合成酢」に分類されるのですが、「醸造酢」はアルコール(エタノール)を酢酸発酵させることが条件となり、原料の違いによって上記引用のように細かく規定されています。「合成酢」は氷酢酸または酢酸の希釈液に調味料または醸造酢を添加したもので、市場で販売されているのはほとんど醸造酢になっており、合成酢は酢漬けの業務用などで用いられているようです。
農林水産省規格の「食酢品質表示基準」については、「全国食酢協会中央会・全国食酢公正取引協議会」のサイトなどをご覧ください。
酢酸以外で構成される「酢」
しかし、酢酸発酵を経ず、果実の汁等からのみ造られていて「○○酢」というジャンルが少なからず存在します。この場合の構成主成分は主にクエン酸など酢酸以外の有機酸によるものが多く、酸味の種類が異なっています。
●もろみ酢
もろみ酢は、泡盛の製造過程でできる「もろみ粕」を原料としたもの。 主成分がクエン酸です(食酢は酢酸です)。酢酸発酵していないことから、「食酢」には含まれません。 もろみ酢単独では酸味が強くて飲めないため(これは黒酢など食酢でも同じ)、糖類を加えて飲みやすく加工されています。健康食品として見かけるもろみ酢の多くは、清涼飲料水と表示されていると思います。
●果実の絞り汁
ゆず酢・すだち酢・かぼす酢など柑橘の絞り汁や梅を漬けるときに出る梅酢なども、一般的に「~~酢」と呼ばれていますが、これらもクエン酸が主成分のため「食酢」には含まれません。
これらも「酢」と呼ばれる背景としては、その酸味の原因となる有機酸が何であれ、酸味が強く、味付けや食品保存などにおいて、食酢同様の効果を示していたものをすべて「酢」と呼んでいたから、と考えられています。
なお、「ぽん酢」については諸説あり、柑橘類の果汁そのものを指す場合もあるようですが、ミツカンのQ&Aでは以下の通り回答されています。
Q.味ぽんの“ぽん”は何ですか?
A.かんきつ類をあらわすオランダ語のポンス(pons)に由来する言葉です。
かんきつ果汁に醸造酢を加えた”ぽん酢”を醤油で味つけした「味付けぽん酢」という言葉を縮めて、”味ぽん”と呼んでいます。
酢の歴史
酢は人類最古の調味料であるとされ、紀元前のエジプトやメソポタミアなどでその記録が残るなど、古くから世界各地で酢が造られていました。
酢を英語では「vinegar(ビネガー)」と言い、由来となったフランス語の「vinaigre(ビネイグル)」は「vin(ワイン)」と「aigre(すっぱい)」が合わさってできた言葉であることは先述の通りで、概ね酒から自然発生したものを起源に、さまざまな酢が造られていたようです(この辺りを細かくやるときりがないので割愛します)。
日本では米の酒造りとともに中国・朝鮮から造酢技術も伝わり、米の酒を経た米酢が造られていたと考えられています。奈良時代の「万葉集」には酢のことが記載された歌があることがわかっていますし、平安時代の辞書「和名抄」の記述から、酒を変化させて酢が造られていたこともわかっています。
2-1.古代・中世の日本の酢と食文化
日本の酢は、4世紀応神天皇の時代に朝鮮から酒を作る技術とともに伝えられたといわれている。
(中略)
日本では最古の酢に関する記述は、奈良時代の万葉集巻といわれている。万葉集巻16には、酢、醤、蒜(ひる)、鯛、水葱(なぎ)を詠む歌として「醤酢に蒜搗き合てて鯛願う吾にな見せそ水葱の羹」(醤と酢と野蒜を混ぜたたれで鯛を食べたい)と酢を詠んだ歌が載せられている。
(中略)
平安時代の辞書「和名抄」には、酢について「俗に苦酒という。…酢をカラサケとなすはこの類なり」とあり、酢は当時「苦酒」と書いて「から酒」と読んでいたことが分かり、当時から酢が酒の変化したものと捉えられていたことが分かる。
また「延喜式」にも酢の造り方が記載されており、酒同様に役所で醸造が行われていたようです。
1 延喜式にみられる酢の製法に関する記述
延喜式は、酒、醤油、酢などの醸造に関する概説書や関連雑誌の総説において、多くはその冒頭にとりあげられ、史料中に登場する醸造物の名称、原材料や分量、断⽚的に理解されている製法などが転記されてきた。対象を「酢」にしぼれば、古くは酒の醸造法と相前後して和泉国に伝えられたという「いずみす」や、「醤酢」の爽やかさにふれた万葉集の和歌などとともに、古代の具体的な⽶酢醸造法を今に伝える「最古の記録」として扱われている。
平安時代の貴族の宴会では、煮物のような調味した料理はほとんど無く、客の手元に「四種器」と呼ばれる酢、塩、醤、酒の小皿が置かれ、客は干し物や生物をこれにつけて食べていたとされています。酢はこの時点では「食べるときに具を浸す」もので、かつ高級品でした。
酢に魚介類を細く切って漬けて食べる膾が開発されたのは鎌倉時代から室町時代ごろで、その後江戸時代に入り酢の大量生産が行われるようになってから、一般庶民の調味料として広く用いられるようになりました。大正時代には合成酢が多く造られていましたが、表示のルールなどが規定されていくと、家庭用には醸造酢が主流となったとのことです。
寿司の変遷
酢を用いた日本の食文化において、寿司の存在を避けて通ることはできないのですが、源流である「なれずし」は、塩漬けした魚と米を漬け込み乳酸発酵させたもので、発酵が進むにつれて「馴れる、熟れる」ことから「なれずし」と呼ばれています。「なれずし」は元々魚を長期保存するための加工方法だったため、発酵を促す飯は捨てられていました。しかし、室町時代には発酵期間を短くし飯も魚と共に食べる「なまなれ」が生まれ、酸味のある飯が食べられるようになったのです。
その後、酒粕から酢を造る「粕酢」が江戸時代に発展・普及すると、その酢で酢飯を作り魚とともに食べる、現在の江戸前寿司(=早ずし)へと変化していきました。
お寿司は、現在では世界各地で食されている代表的な日本料理である。寿司の源流となる「なれずし」は奈良時代以前に日本に登場したが、当時は「魚の保存食」であった。
この後、「魚と飯の食べ物」に変化し、そして江戸時代にお酢と出会い、現在に伝わる寿司の多くが誕生した。お酢を使用した寿司の誕生は、お寿司の歴史を考える上で革新的な変化であったと言える。すなわち、保存を目的とした乳酸菌による乳酸発酵から、お酢の酸味を味わう為の酢酸菌による酢酸発酵への転換である。酸味の主体も、乳酸からお酢の主成分である酢酸へ転換した。お酢への転換があったからこそ、お寿司は世界各地で色々な食材をタネとして手軽に味わえる料理に進化したと考えることもできる。
現在の握り寿司の原型である江戸前寿司もこの時期に生まれている。文政年間に華屋與兵衛が考案したという説が有力である。華屋與兵衛は早ずしの開発を試行錯誤する中で尾州半田の粕酢と出会い、現在の江戸前寿司がこの世に誕生したと言われている。
清酒は酢になるのか
さて、ここまで酢についてまとめてきましたが、本題に戻ります。
「清酒が古くなったら酢になる」は科学的には既に否定されているにもかかわらず、なぜそのような言葉が生まれ、今も人々に語り継がれているのか。
いつからそれが語り継がれてきたのか、はっきりとわかる資料ではないのですが、ルイス・フロイスの「日本史」の中に「日本の酒は翌日までとっておくと酢になってしまった」という挿話の記述があった、と以下の引用中に記載がありまして、そうなると安土桃山の頃からの伝承ということになるのでしょうか。
二・二『多聞院日記』の酒造法
(中略)
火入れ殺菌法
室町末期の女狂言「河原太郎」の一節に、
我が酒がこの中腐りまして醋う御座る
と見える。また当時来日した宣教師ルイス・フロイスの「日本史」(第二四章・一五六〇年条)に、次のような挿話が語られている。
ダミアンは、ばあでれ(司祭)のために毎日瓢箪を持って少しばかりの酒を買いに行かなければならなかった。というのは、何しろ日本の酒は翌日までとっておくと酢になってしまったからである。
中世末期、米の酒といっても濁酒系の酒であったろうが、どれもこれも皆酸敗したわけではない。酸敗の原因はもろみの変調というよりも、おそらくアルコール度数が一二~一三%以下と低く、また火落菌に対する耐性も弱く、そのうえ容器の殺菌も十分とは思われないので、雑菌に汚染されやすかったのであろう。したがって、酒をいかに酸敗することなく貯蔵するかは、町衆酒屋ばかりか塔頭でも頭痛のたねであった。
その後に続くように、酢酸発酵ではなく火落菌(乳酸菌)等の雑菌による酸敗が原因で酸味が強くなったものと考えられますが、その辺りを確実に示していきたいと思います。
乳酸菌(火落菌)による変質
この単元はきちんとやると1回分以上のテキストになるので、簡易的にまとめますが、乳酸菌の中にはアルコール耐性があり、酒中でも増殖できるものが複数存在しています。それらの乳酸菌が増えて酒が白濁し香味が落ちることを「火落ち」と言い、その原因菌である乳酸菌を「火落菌」と言います。
清酒に火落菌と言われる特殊な乳酸菌が繁殖することを火落ちという。清酒は白濁し、一般に酸の生成、特異臭(火落臭)の発生を伴い飲用にたえなくなる。菌の種類によりそれらの程度は異なり、酸は生成するが香りの変化の少ない場合とか、酸の生成は少ないが香りの変化の激しい場合等さまざまな様相を示す。
大多数の市販酒はアルコール分が15%程度で、このようなアルコール濃度中では一般の細菌は生育できない。しかし火落菌はアルコール耐性が強く清酒中で容易に増殖し得る特殊な乳酸菌で、その生育最適温度は28~30℃である。
火落菌は発酵形式によりヘテロ型とホモ型に分けられ、さらに生育時にメバロン酸の要求性の有無により真性火落菌と火落性乳酸菌とに分類されてい。その後ホモ型真性火落菌の中にもメバロン酸非要求の菌株が見出されている。
アルコール耐性の順位は、①ホモ型真性火落菌、②ヘテロ型真性火落菌、③火落性乳酸菌となっており、ホモ型真性火落菌では25%程度のアルコール濃度下でも生育可能なものがある。
酢酸菌も乳酸菌も環境中に普遍的に存在する菌ではありますが、清酒の酸敗としては火落ちの方が発生し易く、清酒が貯蔵・充填の際に加熱殺菌を行うのも、対象としては火落菌が主です。
酢酸菌と乳酸菌の比較
酢酸菌と乳酸菌によるそれぞれの清酒への反応を比較した表をまとめると、以下のようになりました。

至適温度やpHにおいては大きな差はなかったので省きましたが、酸素要求の有無とアルコール耐性が決定的な違いとなります。
酸素が十分に供給される開放系かつアルコール分が低い(酒屋が水で薄めて売っていた)、昔の清酒の保管環境であれば酢酸菌が繁殖する可能性が少なからずあり、古くなった清酒が酢になったケースもあったかもしれません。しかし現代において、瓶詰して栓がされた状態の清酒が酢になることは、エタノール濃度と酸素供給がないという2点から否定されることになります。
酢が表すモノ
そこで当初の引用に戻るのですが、フロイスの頃の「酒が酢になる」は、基本的には火落ちなどの雑菌汚染であり、酢酸発酵ではなかったと考えられます。しかし、本来の状態から微生物の作用で酸味が増した事象には違いなく、原因菌が酢酸菌であろうと乳酸菌であろうと、また生成物が酢酸だろうと乳酸だろうと、そこまでの区別もなかったと考えられます。
先にも酢酸発酵を伴わないにもかかわらず「酢」を名乗るものとして例を挙げていますが、それらは単純に「酸味を持つ液体」が機能的に酢と同様に使えることから「酢」の名を与えられたと考えられています。
つまり、現在の定義に依らず、シンプルに「酸味の強い液体」=「酢」と捉えれば、酒が古くなって「酢」になった、という事象自体は乳酸菌による火落ちでも説明が可能です(なお、一部の火落菌は乳酸以外に若干の酢酸も生成することが知られています)。
造酢技術の発展により酢(酢酸)が普及したこともありますが、それ以前はなれずしのような乳酸発酵による酸味も多く使われていました。また老舗の造酢会社の方に聞いた話ですが、江戸時代の製法で酢を造った場合、乳酸菌が優勢になった事例があるそうで、実際に東京農業大学の研究では、江戸期までの製法(「本朝食鑑」記載の米酢製造法)によっては酢酸発酵が起らず乳酸発酵の酢となることを報告しています。

江戸期の書物に記載されている米酢製造法は、米と米麹に対する水の割合が非常に少ないことが特徴です。そのため、江戸期までの製法によっては酢酸発酵が起らず乳酸発酵の酢となることを研究チームはこれまでに報告してきました。
今回は、江戸期書物「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」記載の製法によって製造された乳酸発酵酢の香味成分を詳細に分析し、さらに官能評価を行ってその調味特性を調べました。
研究成果のポイント
・江戸期書物の米酢製造法に従うと、乳酸を酸味の主体とした乳酸発酵酢となる
・この乳酸発酵酢は遊離アミノ酸、特にグルタミン酸を豊富に含んでいた
・特に加熱料理で酸味とうま味を与え、現代は行われないが江戸期までは広く行われていた調理法「酢煎り」に適した酢であると考えられた
当時の全ての造酢が酢酸発酵より乳酸発酵が優勢であったわけでもないのでしょうが、非常にその領域が曖昧であった可能性が高いです。その酸味の元が何であったのかを区別できるようになるのは、明治期の西洋科学の導入以後と思われます。
酒は酢になった
「清酒が古くなると酢になる」については、以下の事象が重なって現代まで継承されたものと考えました。
造酢の製造工程として酒(酒粕)から造ることは知られていた
酒に微生物が作用して酸味が増す現象は昔からあった(そのため「直し灰」による酸の中和なども行われていた)
江戸時代時点で「酢」の構成成分は明らかではなかった
江戸時代の時点で、酒が酸敗して酒として飲めなくなることを「酢になった」と言っていたが、現象として酢酸発酵か火落ちなのかは定かでなく、酢そのものも乳酸あるいは酢酸のどちらが優勢か曖昧であった――と考えられます。
「酒が古くなって酢になった」事象は過去にあった、しかし当時の酒と酢が示すものが現在の清酒と酢とは異なっており、その後の酒造および造酢技術の発展などを経て、一般家庭で清酒に酢酸菌が作用して酢酸発酵することはほぼないにも関わらず、生き残った「昔の環境では成立しえた言葉」だけが独り歩きしているのではないか、と考察しました。
つまり現在において「清酒が古くなったら酢になる」は清酒が酢酸発酵するという解釈では誤りだけれども、江戸以前の「酒が古くなって酢になった」は酒の酸敗を表した言葉であって誤りではないという考え方です。
余談ですが、酢酸菌も乳酸菌も糖類他の多くの栄養素を必要とするため、焼酎などの蒸留酒では発育できません。実際「焼酎が古くなって酢になった」とは聞いたことがありません。
古来からの「酒」の示すものが何か、というもっと壮大なテーマもあるのですが、それはまた、別の話。
清酒と酢に関しては以上です。
納豆、酢と、聞いたことはあるけど実際どういうこと?シリーズを続けてみました。この次はすでに各所で語られた感がありますが、清酒のカロリーなどについて自分の勉強も兼ねてやりたいなと考えています。
