瞑想って結局、何がいいの?
「瞑想って、結局なにがいいの?」
そう聞かれる事が、よくあります。
…マインドフルネス瞑想という言葉も、ずいぶん一般的になりましたよね…
でも、実際には、「やってみたけどよく分からない」「続かなかった」という声が多いのも事実…
今日は、私自身の体験と わたしの講座でお伝えしている内容を通して、
「なぜ瞑想を勧めるのか」を知って頂けたらと思い、簡単ですが、まとめてみました。
瞑想、大きく分けると
2つの在り方があります
ひとつは「する瞑想」
もうひとつは「なる瞑想」
(学術的な名前もありますが 初心者の方には この方がイメージしやすそうなので)
「する瞑想」は、意識的に何かを行う瞑想です。
呼吸に意識を向ける。
マントラを唱える。
音や炎、身体の感覚に集中する。
雑念が浮かんできたら、それに気づいて、また戻る。繰り返すうちに意識は少しずつ深い状態へと入っていきます。
散らばった意識を、ひとつに集めていく、そんな感じです。

もうひとつの「なる瞑想」は、まったく違う方向性。
何かに集中するのではなく、ただ「起きていること」に気づいていきます。
思考が浮かぶ。
感情が動く。
外から音が聞こえる。
それらをジャッジせず、ただ観ていく。
雑念さえも観察する。
すべてが「そのままでいいもの」として扱われます。
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初心者が取り組みやすいのは
この2つの瞑想の「間」にあります。
意識を向けながらも、縛りすぎない。
手放しながらも、ぼんやりしすぎない。
そんな状態です。
外の刺激や雑念の後を追うことはしない。あれこれ考えない、という事。「あ〜、聞こえてるな」で終わっていきます。
音を聞いている自分
呼吸をしている自分を
みていく練習からスタートすると良いかもしれない。
ジャーナリングの軽いやつ、って感じです。

なぜ瞑想が必要なのか?
私はチェンマイで瞑想リトリートに参加したり、主催したりもしていますが、現地の方が瞑想をこんなふうに表現していたのが印象に残りました。
「魂のお世話をする時間」
不思議な感じですが、体験を重ねるうちに、その意味がじんわりと浸透してきました。
魂は この制限の多い、欲にまみれた肉体に入って、自由に広がれず 窮屈なのかもしれないですね…
子どもの頃の砂遊びを思い出してみてください。あるいは 「ごっこ遊び」。
砂という「現実の世界の感覚」に触れているのに、同時にそれを使って「お城の物語」を作る…なりきる、入り込む。現実の感触に触れながら、想像の世界で遊んでいます。
大人になると、どちらかに偏りがち…現実に縛られて、心が固くなるか、あるいは、空想に逃げすぎて、やや危ない?現実から離れてしまうか…😓
瞑想は、そのバランスを取り戻す時間です。現実に足をつけ肉体を感じながら、内側の静かな世界に広がり触れていくんですね。
「遊戯三昧(ゆげざんまい)」
という言葉があります。
夢中になって、自分を忘れている状態。
子どもが遊びに没頭しているのと同じ…瞑想もどこかそれに似ています。
時間さへ忘れてしまう…
ただし大きく違うのは
“気づきながらその状態にいる”ということです。

瞑想へのお誘い
私の講座では、「する瞑想」と「なる瞑想」の両方をベースにしながら、インナーワーク、ジャーナリングも組み合わせ、さらに内側へと誘導していきます。年間を通して継続している方には、わかりやすい変化が現れます。
感情を無理に抑えなくなり、でも、振り回されなくもなる。
過去に閉じ込めていた感情を出せるようになり、そんな自分を落ち着いて観察もできるようになる。
地に足のついた 自分の探究が
始まります。
この2つが同時に起きるとき、
内側から湧き上がるのは「深い感謝」です。今まで経験したことのないような感謝の種類を味わいはじめる。
そして
「何故か知っている自分」と繋がる瞬間が増えます。
私はそれを、「魂の発露に触れる」と表現しています。ほんの少し触れただけで 脳は混乱し涙が溢れ出します。
だって…記憶にはないことや、経験もしていない事を 、いきなり思い出すのだから…おかげで旅する場所も その思い出した「約束の地」に行ってます…ますます思い出してしまい きゃー😭ですよ🥰
この現実って、この身体って 地球ってなんなんだ?と思ってます(怪しすぎ)
🔳🔳🔳
瞑想会などに参加する時間もない方にむけて、YouTubeの限定公開で 誘導瞑想の音源のご用意があります。
初心者向けには
「リリース」というタイトルの10分程度の誘導瞑想を1000円で販売しています、ぜひお試しください。
*PayPay使えます☺️
瞑想は ゆるく、そして自由に でも、コツコツ続けると良いのです。
春分がすぎ 陽のピーク、夏至までの間の今、ご自分のタイミングで瞑想をスタートしてみてほしい、と思います。
