見出し画像

ラジギールで、籠に乗って思った

インドに行って思ったことを
ほんとに少しずつ少しずつ書いてます。

いろんな出来事があったけど、自分の中ですごく感覚として強く残ってるものがある。

ラジギールは、お釈迦様が
般若心経や法華経といったお経のもとになる話(説法)をした山。

お経って、例えば釈迦がその通り
お経を読んだわけじゃなくて、

彼が亡くなって、500年ぐらい経ってから
ちゃんとお話をまとめたり、組織を作ろうとして
できたもの。

世界各地にある仏舎利(いわゆるお釈迦様の歯や骨がある塔)とかも、
本人は、そういうの残さないでくれと言ったそう。

この500年ぐらい経った頃に、
いわゆる仏教組織というものがしっかりできて、
それから仏像も作られるようになったらしい。

なんとなく、今回あちこちでリンポチェ様のお話をお伺いしたり、私の受けたイメージだと

何かうまく言葉にできないんだけど、
まぁ素人の私の言葉だと思って

なんだかこの宇宙にある、うーん、なんか、
この宇宙っていうのもいい方がわかんないんだけど

とにかくなんかものすごく大きな
私たちには、認知できないような
大きな世界があって

そこに隅々にまで満ち溢れているような
すごく良いものを
お釈迦様という人がキャッチして、
みんなに伝えていった。

家にあるカーラチャクラと観音真言の曼荼羅。
ネパールで1週間、仏画師のところに通って買ったときに「世界の中心にあるタワーだよ」と聞いた意味が今回の旅ですごくわかりました。



だから今の私たちが思う「宗教」って言うよりは
なんだかただただ
「本質はそうなんだよ」っていう
ただそれだけのこと。

うまく言葉にできないんだけど、
人は悩んでみたり、苦しんでみたり、
いろんな感情や悲しさや、嫉妬や苦しみや
憎しみや、恐れや、
それから何か愛を欲しがったり、
いろんな感情に翻弄されながら生きてしまうんだけど、

なんかね「それって全部ね、
違うんだよ、誤解なんだよ」っていう、
なんだかほんとにただそれだけなんだなぁと思った。

なんだかね、今回ね、
このインドの旅行記の中でも、
何回も書いてるけど、

犬に生まれることも、
乞食に生まれることも、
この場所に生まれることも、
それからなんかいろんな感情が生まれてくることも

なんか今回
そうしたかったから、そうしたんだよねって

今回この形で生きることで、
何かいろんなことがわかるようになっていくと
いいよねって。

なんかそういうことを、
回数券を使いながらやってるだけみたいな。

なんかそんな気分に
ほんとになったんだよね。

ラジギールは、
結構長い山道を坂を上がっていく。

私は、ゆるい上り坂が苦手で、
足が痛くなって、あまり長くは歩けない。

今回、カゴに乗れると聞いたので
だったら、私人生で籠なんか乗ったことがないし、エッホエッホと担いでもらおうと思った。

そしたらね、ちょっと背中が曲がった白髪のおじいちゃんなんですよ。私を運んでくれるのが。

途中で汗だくになりながら、
もうゼイゼイ言って止まるんです。

もう悪くて悪くて、
途中でお金だけ払って籠を降りようと思ったぐらい。
「ごめんねー、ごめんねー」って声を掛ける。

道の両脇には、
目の見えない人、体の不自由な人、
それから小さな子供が、
お金を恵んでと声をかけてくる。

でも、途中で、あっ!と思ったの。
この感じは言葉にできないんだけど、
「私はこの人たちを、
気の毒って思っちゃいけないんだ」

私はわかってないだけで、
ここで私を運ぶことになってたんだと、
なんだか突然思ったんです。

だから、私は感情に揺れるけど
でも、ここで私が籠を降りる事は間違ってる

本当にどういう仕組みで
どういう根拠なのかわからないぐらい

私は今こうやって
このカゴに機嫌よく乗ろうって思ったんです。
「さぁ、行こう、行くぞ!がんばれー!」
勝手に声掛けが変わりました。

いいなと思ったら応援しよう!