見出し画像

『中野たたむ物語』SUGAMOプロレスデビューの裏側──いじめ・恩師との出会い。愛する父の死を乗り越えて

地元山形から女子プロレスラーを目指し上京してきた中野たたむ。プロテスト直前、医師からの言葉で夢を諦めることになる。そんな彼女は学生時代、いじめから不登校になっていたという。母とは犬猿の仲だった。唯一、自分を認めてくれた父は病気で他界。死を受け止められずうつ病を患ってしまった。一度は諦めたプロレスの世界。「リングは繋がっている」という言葉通り、今、彼女はSUGAMOプロレスで中野たたむとしてリングに立っている。
夢を諦めず生きた彼女の人生ストーリーが、きっと誰かの人生にプラスを与えてくれるだろう。

YouTube『裏街道チャンネル』でインタビュー動画も公開中。

音楽とプロレス──私の大好きな場所

「普段はカラオケバーで働いてます。もう1年3~4ヶ月になりますね」
そう語る中野たたむは、後楽園ホールのような派手な世界ではなく、カラオケバーという、どこか温かさを感じさせる場所で働いている。

十八番は、自分の世代の人気アーティストではなく、90年代の人気アーティスト―—大黒摩季や相川七瀬。他に好きなアーティストは、尾崎豊や河村隆一、X JAPANといったメンバー。
小さいころから「モノマネ番組や歌番組が好きだったんです。心に響く曲が多くて」と90年代の楽曲に魅了されていた。

カラオケバーで働くようになったのは、「たまたま客として入った」からだという。
当時働いていたお店の常連さんが紹介してくれて、一緒に行ったお店が今のカラオケバーだった。
当時働いていたスタッフがやめてしまい、人手不足と聞き、即答で「やります」と名乗り出た。
お酒も歌も大好き。その空間は、彼女にとってまさに“天職”だったのかもしれない。

だが、彼女にはもう一つの顔がある。
「今年、2025年3月21日にSUGAMOプロレスでデビューしました」
リングネームは『中野たたむ』。

本家は、2025年4月27日に引退したスターダム(女子プロレス団体)所属の元女子プロレスラー『中野たむ』である。
これまで、華やかな世界とは無縁だった彼女。お笑いプロレスというリングを選んだ背景には、さまざまな苦悩や葛藤、出会いがあった。

中学生時代のいじめ、恩師の存在

小学生の頃は、学級委員や班長を務めるタイプだった。
だが、中学校に進学してまもなく、周囲の態度が一変する。
「いじめ……ですね。でも誰にも言えなかった。自分が我慢すればいいって思ってたんです」
親にも打ち明けられない日々。少しずつ、彼女は学校と距離を置きはじめた。
母親からは「何があったの?」と問い詰められるほど、余計に話せなくなり、しまいには不登校になってしまった。

そんな中、彼女をどん底から救ってくれた先生がいた。
中学2年生のとき担任になった土屋先生である。
とにかく型破りで、ユニークな考え方を持った先生だった。
「来れない日は来なくていい。来れる時に来たらいい」
その言葉が、彼女の心に安心という居場所を与えてくれたのだろう。
恩師の言葉に救われた彼女は、少しずつ学校へ顔を出すようになり変わっていった。

「一番の思い出は運動会の日ですね」
彼女は、大切にしていた記憶を丁寧に思い出した。白組が勝ったら教壇の上で“タイガーマスク”を歌うとなぞの宣言をした先生に驚き、その先生の姿に、彼女は心の底から笑い、泣いた。
彼女は言った。「先生のおかげで全部の私が救われましたね」

もしあの日、恩師と出会っていなければ、今の『中野たたむ』はいなかったかもしれない。

東京と家族からの逃避行

高校3年間は、NPO法人に所属。
東北代表としてボランティアやイベント運営を担当していくことで、自然に人と触れ合う機会が増えていった。

だが同時に、誰にも言わない“もう1つの高校生活”が始まっていた。
朝、いつも通り制服を着て家を出る。しかし、向かう先は学校ではなかった。

「学校で黒板を写しているだけが勉強じゃないんじゃないかなって」
そう話す彼女は、年に数回、社会勉強のためにポーンとひとり東京へ飛び出していた。
親や学校にはもちろん、友達にも黙っていた“私ひとりだけの秘密”だった。

友達も少なく、一匹狼的な存在だった高校時代。
「学校なんて……」根底にはそんな考えもあった。しかし「家に居たくなかった」という思いがどこかにあり、東京に逃げていたのかもしれない。
母親との関係は、決して良好とは言えなかった。
「とにかく否定から入る人でした。あと、過干渉がひどかった」
思春期だった彼女は、否定されるたびに自分の存在が揺らぐように感じていた。
東京の街は、そんな彼女に自由をくれたのかもしれない。

東京では、学校をサボった日に限り外国人に英語で道を聞かれた。アパレル経営者や芸能関係者みたいな、地元では会えない人たちとも出会った。
地下鉄の多さにも驚き、駅員の「潜る」という言葉の表現が新鮮に感じた。

「ひたすら人間観察したり、何も考えず知り合った人とご飯食べに行ったりして、その人の話を聞いていました。学校の教室じゃ絶対に聞けないような貴重な話ばかり。いろんな人の話を聞きました。東京に出てきてよかったなぁ、って思いましたね」

社会というものを“リアルに体験”した気がした。
学校や家にいるときの息苦しさから解放された気分だった。

父の病気、夢の終わり

父は、どんな些細なことでも褒めてくれた。絵を描けば「上手いな」、歌えば「上手だね」
無条件の肯定が、どれほど彼女を支えてきたか。

父とは、いろいろな場所へ出かけた。
「一番の思い出は、一緒に北斗の拳の映画を観て、ラオウのフィギュアをもらったことかな。些細なことだけど楽しかったですね」

他にもこんなエピソードがある。
「4歳のとき、家族でプロレスを見に行ったんです。父の膝の上で見てた私をヒール役のレスラーが「子供をかせっ」って来て、そのまま連れていかれちゃったんですよ。ぎゃんぎゃん泣きながらリングのまわりを抱えられながら回って。でも、ちょっとだけ『たのしいかも』と思ったのを覚えています」

大好きだった父。
彼女が上京して間もなく、ステージ4の状態で胃がんが見つかったと家族から連絡。余命2年……。
彼女は、女子プロレスラーになる夢を叶えるため、練習生として頑張っていた。
「夢に向かってこれからってときだったから、辞めますとは言えなかった」
約半年後には、プロテストも控えていた。

さらには、足への違和感もあった。
心配で病院で検査をした。
診断は「足の骨が多くて、周りの筋を傷つけている。手術をしても治る保証はない」と医師から告げられた。

父の病気、足の痛み。
「どうしてこんなときに、重なるの?」
苦渋の決断を迫られた彼女は、憧れだったプロレスラーの道を諦め、団体の裏方として残ることを選んだ。
だが、本当の悲しみは、突然として訪れるのだった

喪失からうつ病

父の危篤の知らせを受けて山形へ帰郷したが、父はその日を乗り越えた。
安心して、一度東京に戻った。

そして、訃報はその1週間後に届いた。
信じられなかった。 何も言葉が出なかった。
ぽっかりと胸に穴があいたような、底の見えない孤独感に襲われた。

「自分が思っていた以上に父の死がショックでした」
大切な人を失ったことのある、誰しもが感じる喪失感。
目が覚めても体が動かない。
会社にも行けない。世界から切り離されたような日々が続いた。

―—うつ病だった。
それでも、息子の存在が彼女を支えた。
体は動かなくても、声は出せた。隣の部屋にいる息子に向けて「朝だよー」と声をかける。
それが、彼女にとって“生きている証”だったのかもしれない。

リングへの帰還と再挑戦

気になっていたプロレス団体の共通のフォロワーさんから「プロレス一緒に見に行かない?」と誘われた。うつ病が治っていない状況だったこともあり、返事に悩んだ。
しかし、せっかく誘ってくれたこともあり「行きます」と返事をした。

「不思議なもので意外と行けちゃったんですよね」
彼女の中に眠っていた“プロレス愛”がまた動き出したのだ。
活動できる時間も増え、徐々に普通の生活に戻っていった。

そんな彼女の運命を変えた日、2024年12月12日。新宿FACEで行われたSUGAMOプロレスの興行。
「気合入れて最前列を確保したんです。他の団体でもなかなか見ないほどの超満員に感動しました」

その時、彼女の視線は観客席からではなく、リング上から見る世界を想像していた。
“私も、リングに立ちたい”
客席にあったチラシに書かれた“女子レスラー募集”の文字。
「すぐには応募できなかったけど、ずっと心が揺れていたんです」
会場の熱気、リングを照らす照明、鳴り響く歓声。体が自然と反応していた。「私もここに立ちたい」と。

そして、2025年1月、SUGAMOプロレスの会長と一部の選手だけに知らされた“乱入事件”で登場した。
観客にも選手にも、何の前触れもなく。
記憶が飛ぶほどの緊張の中、ただがむしゃらに舞台にあがった。
その日から、彼女のプロレスへの再挑戦が始まった。

彼女の中に宿るプロレス熱はどこからくるのか。
4歳のとき、父と一緒に見たプロレスが原点なのだろうか。

3月には正式デビュー。6人タッグの試合。対角には、幼い頃に父と一緒にテレビで観た芸人の姿があった。
彼女は言う「リングって繋がっているんです」
そのプロレスのオモシロさが、彼女を虜にさせているのだろう。

だが、運命はまた新たな試練を与えた。
左膝前十字靭帯断裂。全治8ヵ月。
6月の大会を前にしての大怪我。楽しみにしていたイベント、初の野外営業もすべて白紙に戻った。
8月11日に高島平区民館で行われる興行も見送ることに。

「ほんっっっとうに悔しいです。復帰したら、大暴れします!」
前向きな彼女の夢はまだまだ尽きない。
地元・山形や東北で試合をしたい。いつかは後楽園ホールにも立ちたい。
人生初の後楽園は練習生のとき。コロナ禍でロープやリングを消毒する作業をしていた。
「今度は選手としてリングで試合をしたいです」

ファンへの言葉

現在、彼女は復帰に向けて、厳しいリハビリに励んでいる。
「これからっていう時に怪我をしてしまい、皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、何回も言っているんですけど、復帰に向けてリハビリを頑張っているので、応援よろしくお願いします」

そう語る彼女の目には、うっすら涙が浮かんでいた。
しかし、まっすぐ前を向いて、はっきりと、こう言った。
「中野たたむに、ついてきてください!」

早く復帰した彼女を見たいと思っているファンも多いだろう。
今日もリハビリに歯を食いしばる中野たたむを応援していきたい。

YouTube【後編】はこちら『プロレスの聖地へ】父の死、うつ病、離婚 お笑いプロレス 中野たたむが目指す後楽園ホールで公開中です。


【インタビュイー】
中野たたむ(SUGAMOプロレス所属)
X:https://x.com/tmtmtmx_x
SUGAMOプロレス:https://x.com/sugamo2018

【インタビュー/執筆】
眞木優(ライター)
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@urakaidouch


いいなと思ったら応援しよう!