『幸せに生きるための心理学:アドラー心理学の考え方と実践』講座に参加
今日は産業カウンセラーの講座で、向後千春先生の『幸せに生きるための心理学:アドラー心理学の考え方と実践』に参加させて頂きました。
早稲田エクステンションセンター中野校の秋期講座で一度だけ出席できなかった回があり、その内容を少しでも挽回したい、という気持ちで今回は参加してきました。参加できなかった回は、もっとも私自身の関心が高い「感情」をアドラーがどのようにとらえているのか、という内容だったので、この機会を得られたことに本当に感謝の気持ちで一杯です!
学ぶことでぼやけていた「感情」の理解
今回、改めて感じられたのは、私がある意味熱心に学んでいることで、かえって「感情」というものへの理解がぼやけてしまっていたことへの気づきでした。
例えば、交流分析では感情には本物の感情とそうでない感情(ラケット感情)がある、と学びます。エモーション・フォーカスト・セラピーでは、第1感情と第2感情があって、第1感情が本来の感情である、なんてことを学んだりします。
しかし、向後先生の「怒りも悲しみも相手の行動を阻止する、という目的は同じ」という言葉に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。
人は、本当の感情(悲しみ)では上手く目的を達成できなかったとき、別の感情(怒りなど)を使います。それである程度目的が達成できると学習し、同じような場面に遭遇した際、その代替感情を好んで使うようになる、と考えられています。しかし、第1感情なのか、第2感情なのか、という区別は(もちろん役立つことがあるわけですが)あくまで手段であって、目的ではない!ということに気づかされたのです。
人生の経験の中で、人がどのように感情を利用し、その学習の結果として、その感情の使用を好む、ということがあるのだとしても、その感情を使用する目的が何なのか、という事こそが本質である、ということです。
それが、その人のライフスタイルの一つの表れであり、ライフスタイルを理解することで、その人にとっての幸せの基準への理解へ近づけるのだ、ということに、今更ながらに気づかされた…そんな講座でした。
課題の分離の話についても、新たな発見があった
もう一つ大きな気づきを得たのは、本来、アドラーが言っていなかった「課題の分離」がベストセラー『嫌われる勇気』を通して、あたかもアドラー心理学の神髄が課題の分離である、という誤った考えがひろまったことへの説明でした。
向後先生の講座を何度か受講する中で理解していたつもりでしたが、向後先生の指摘は、単に『嫌われる勇気』で書かれている「課題の分離」は誤りである、ということを言っているわけでも、単なる批判でもなかった、という気づきです。
先生の書いた上記の指摘に関する論文も読んでいたのに…本当に今更な感じなのですが(笑)
アドラーの考えが野田俊作先生を通して日本に入ってきました。それが親教育、子育て教育の実践の中で伝えられたときに、ロジャーズ派のトマス・ゴードンの「問題の所有者は誰か」という考えを「課題の分離」として取り入れたこと。そして、それを岸見先生らが『嫌われる勇気』を制作した際、あたかもアドラー自身が言ったかのような表現にしてしまったこと。講座では、こうした文脈が丁寧に説明されました。次に、野田先生が実践として「課題の分離」をしたうえで、親と子が対等な関係性のもとで話し合って解決していく、という道筋で利用していたことが分かってくると、そこにあるEquality(平等)の考えや民主的な考えなどが非常にアドラー的であることも見えてきます。
アドラー、野田先生、岸見先生と上記の文脈を通して俯瞰することで、結果としてアドラーが大切にしていることが浮かび上がってくる…つまり、批判を通して、明確に「課題の分離」をどのようにとらえることが大切か、がより深く理解され、アドラーの本質にも近づける…この批判の仕方が、いかにすごいことなのか、今回、ハッと気づかされたのです。
講座の時間は3時間と短いものでしたが、私にとっては非常に濃密な3時間でしたし、何よりも面白かった!
これからも楽しく学び続けていこうと思います!
