心にも手触り感を
何にも無い。空っぽの心。
器の中にはなーんにもなくて、そこに何も液体を注がない状態。
いや、注げない状態。
僕の無意識な状態は、相手からは無には見えていないようだ。
「なぜ彼は怒っているの?」
イタリアに海外旅行に行ったとき、立ち寄った靴屋さんから言われた。
「お前は目が怖い。その表情なんとかならないのか」
前職で上司と話している時に唐突に言われた。
僕は全く怒っているつもりはない。
でも本当は分からない。
空虚感を感じているとしたら、それが起点となって、焦り、恐怖、怒りに変わっているのかもしれない。
おそらく昔からなんだろう。
世の中と足並みが揃わないと感じる事がたまにある。
そんなときはいつもイヤホンを耳に装着し、爆音で音楽を聴く。
視界に何も入らないように、そっと本を読む。
耳と目を守れたら、そこに攻撃は来ない。
そして、僕と世界を遮断する別世界が出来上がる。
僕と人との壁はとても大きく、しかもつるっとしているので、なかなか登ってこれない。
ごくたまにその壁をすーっと透明化して入ってくる人がいて驚くけど笑
おそらく僕の深層心理には、「どうせ自分のことなんか人は分からない」という心があるのではないかと思う。
また反対に、「こんな自分でも理解してほしい」と心の奥底で渇望しているのかもしれない。
気付かないうちに、相手との距離を取ろうとしている自分に気付く時がある。
自分に精神的余裕がないと、この症状は現れる。
目に見えないウィルスのように、そーっと僕の身体に入ってくる。
朝起きると、僕はそのウィルスに侵されている。
心が荒むのを感じられる。
「なんでこんなに心が重たいのだろう。」
「なんでこんなに気分が晴れないんだろう。」
幸いなのは、今はそのウィルスは他人に攻撃することはしない。
今のところ、自分の中に留めておける。
ここは改善出来ている気がしている。
器の中の最適な密度は人それぞれ違うのだろう。
僕の器は、7割程度埋まっているくらいがちょうど良いと感じている。
「心にいつも余白を創ること。」
大変な時こそ、言い聞かせている言葉だ。
余白が埋まりそうになったら、決して無理をせず、休んだりする時間がとても大事だと思う。
とても面白いのは、ベストな余白の状態で過ごせると、なんだか上手く行きそうな気がして前向きになれる。
とはいえ、心の微妙な変化によって、余白は大きく変化する。
だから常に自分の心の状態を見ておく必要がある。
どんな色なのか?
どんな温度なのか?
どんなにおいなのか?
手で心に直接触れるように、見守っていければと思っている。
月のように、柔らかく、ぼんやりと、でも軸を持ち、ブレないような、
そんな心を持ちたい。
僕はきっと太陽のように自ら照らすタイプではない。
しかし、月が地球を介して、その隙間から光を与えてくれるように、
そっと寄り添うような、はかなくも優しい存在になりたい。
世の中と足並みが揃わないことを、決してバカにせず、無理なアドバイスもせず、せめて同じ歩幅で歩き、一緒に散歩ができるような、そんな人間になりたいと心から思う。
感謝を込めて。
