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ASMRはなぜ飽きられたのか

耳かき音、囁き声、スライムを切る音。あれ、いつの間にか聴かなくなっていませんか。

5年ほど前、あれだけ溢れていたASMRが、いま明らかに減っています。飽きられたんですよ。

でも、なぜ飽きられたのか。ここを考えると、音の聴き方そのものが変わります。しかもこれ、音に限った話じゃないんですよね。


いま『野外録音を楽しもう』という本を書いていて、その中でも大きなトピックになるところです。ASMRとは何なのか、なぜ流行らなくなったのか、そして本質は何なのか。自分なりに整理してみたいと思います。

4つの単語でできている

そもそもASMRとは何か。4つの単語の略語なんですね。

Aはオートノマス。自律的な、という意味です。意識的なコントロールを受けずに勝手に起こる。反射に近い感じですよね。ある音を聴いてギクッとするのは、頭とは関係なく来るわけですから。

Sはセンソリー、感覚の。五感、特に聴覚を通じた感覚ということですね。

Mはメリディアン。絶頂、頂点の。快感のピークという意味です。

Rはレスポンス、反応。身体的あるいは生理的な反応ですね。

オートノマス・センソリー・メリディアン・レスポンス。これでASMRです。

まあ、これは学術的なところで。実際のYouTubeのコンテンツは、咀嚼音とか、スライムを切る音とか、シュワーという音とか。刺激があって、しかも聴覚に特化していて、ゾクゾクくる。チル感みたいなものですね。

動画というメディアなので、目と耳で受け取って、頭皮や首筋や背中──上半身にかけてゾクゾクと心地よさが来る。それを求める人が、10年近く前から増えてきた。

僕もいろんなメディアで「なぜASMRが流行っているのか」と訊かれて、当時は没入感の話をしていました。視覚では感じづらいものが、聴覚だと扁桃体を刺激する。言葉を超越した身体的な感覚が得られやすいから流行っているんじゃないか、と。

そこまでは言っていたんですよね。

近づけるほど、消えるもの

でも、そこから先の話がめちゃくちゃ大事なんじゃないか、と思っているんです。

いま外で雨が結構激しく降っているんですけど、雨って近くで聴くのもいいし、遠くから大きな音として聴いても悪くないですよね。空間の雰囲気を伴って耳に入ってくる。

ここが要点で。

ASMRを録るとき、マイクは近いところを狙っているんです。あるいは、リアルな広がりを近場で感じさせるためにマイクを近接させている。

マイクを対象に近づければ近づけるほど、無くなる情報があるんですよ。

空間情報です。

遠くで大雨がザーッと鳴っていると、大気の動きすら音の広がりから感じられる。距離があるからこそ、そこに情報が乗る。

ASMRのコンテンツは、そういうものが一切排除された状態でつくられているんですよね。

短期投資だった

ASMRの行き着く先は、やっぱりドーパミンなんですよ。

ドーパミンがワッと出て、そこで快楽。ASMRのM、絶頂ですよね。

でも、絶頂を感じさせるためだけの刺激は、短期なんです。短期投資であって、長期投資じゃない。

それでも、よく5年も続いたと思いますよ。ただ結局、過剰に演出された人工音が消費されただけの話。近づけた咀嚼音でクチャクチャ、誇張されたタッピング、スライムをゴリゴリ。

飽きられるわけです。ドーパミンのあとは、ドーパミンしか出ないですから。

で、そのあとどうなったかというと──平熱感に戻って、ようやく音そのものの素顔に目が向いてきたんじゃないかな、と僕は思うんですよね。

音は、ぶつかって生まれる

ちょっと音の現象を考えてみましょう。

雨そのもの、水そのものからは、音は出ないんですよ。

水滴と、下にある地面。アスファルトとか、トタン屋根とか、土とか。その両者がぶつかることで音が発生する。そこが音の発生地点なんですよね。

ASMRのコンテンツは、そこに近づけている。物と物、人と物が触れ合う物理現象に、耳を近づけていく。

これ、音だけじゃなくて触覚っぽいんですよ。音色という言葉があるように、音の肌触りが求められていた。そして、それに飽きられてきた。

対象は、コンテンツではなく脳

ここですごく大切なのは、コンテンツの対象はコンテンツそのものじゃない、ということです。

なんですよね。人間の脳。

流行りのASMRは、受け身で聴けるわけですよ。ボタンを押せば手放しでドーパミンが出る。パブロフの犬状態で快楽がもたらされる。

つまり、自発的に耳を傾けることがなくなってしまった。

長期的に音を、感覚世界を楽しむというのは、自分から対象を探して、積極的にゲットしに行くことなんですよね。聴く側が自発的に持っていく、探しに行く。そうすることで長期の楽しみになるし、短期の強い刺激ではない、穏やかな可能性が広がってくる。

予測できるものは、飽きる

ASMRのコンテンツを聴いていると、一定の音がずっと続くんですよ。変化があまりない。囁き声がずっと聴こえる、スライムを切る音がずっと鳴っている。抑揚がない。

本来の音はそうじゃない。自然音、野生の音。森に入ればすぐ分かります。

いきなりバスッと音が鳴る。頭上の木の枝からパーンと何かが落ちてくる。突然、鳥がヒョーと鳴く。

突発的で、不意で、予測不能。そこに触れることで、人は原始の感覚が蘇ってくるわけですよね。

ASMRの刺激には、それがない。予定調和で、計算可能。物音独特のゆらぎや生々しさがないんです。

なんかこれ、AIでも作れる感じでしょう。パターンがあって、抑揚が一定で、予測可能。つまり、バーベルじゃなくて平均値(アベレージ)なんですよ。

そういうものは、やっぱり飽きる。

そして「飽きる」というのはすごく大事で。人間の叡智が次のステップに変わっていく瞬間なんですよね。

与えられるのではなく、聴きに行く

言いたいのは、ASMRはむしろ不自然な状態で、もっと環境音を本質的に捉えなくちゃいけないんじゃないか、ということです。

音が与えられるんじゃなくて、自分の耳で聴きに行く。何なら自分で録音しに行く。自分でつくっていく、ゲットしに行く。そして自分オリジナルの環境音のライブラリーをつくっていく。結果的に、それが質の高いコンテンツになる。

これ、一貫してサウンドスケープの話になっていますよね。

音は単に聴くだけじゃなく、多感覚的に触れることにも繋がる。一期一会でしか出会えないから、その場所のリアルなフィールドワークが要る。そして自分から積極的に聴こうとする、耳トレ的な聴取が大事になる。

YouTubeで垂れ流されていたものは、そこには乗っかれなかった。結局、短期だったことが証明されたんじゃないでしょうか。

一時期はすごかったですけどね。YouTubeは視覚の影響も大きいから、指先で切ってみたり、見た目的に囁き合ったり。あれもなんだか、格好つけた感じだったのかな、と。

本当は自律的、というのが大事なんですよ。勝手に起きる。身体の外側に話を持っていけば、音が突発的に、予測不能な状態で来るということですよね。

それが感覚世界になって、聴覚を通して、自然な状態で、絶頂的な感情を感じながら身体が反応する。その環境が自分が取りに行って、ホンモノになるのです!

ようやく、本来のASMRに近づいてきたんじゃないかな、と思います。

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