33 孔子家語 冠頌
孔子家語 冠頌
中国哲学書電子化計画 準拠
<現代語訳>
邾国の隱公が国王即位後に加冠の儀を行おうとして、大夫を派遣して魯国の孟懿子の伝手で加冠の儀の礼法を孔子に照会させた。孔子が言うことには、その礼法では世子の加冠の儀と同じようにする。式壇への階段「阼」で冠を被るのは、代替わりを示します。客の位置である西側で酒を飲み返杯しないという「醮」の礼法を行うのは、世子となったことを示し、それに加えて人事権を示す緇布の冠、軍事権を示す皮弁、祭祀権を示す爵弁と三たびそれぞれの冠を被り替えて尊さを示し、その都度にその世子に相応しい志を持つように導き諭します。加冠の儀を行って名前を字(あざな)にするのは、本名である諱を避けて世子の名前を敬するためです。天子の元子(後嗣)であっても加冠までは士の身分です。その加冠の儀の礼法には国の世子と変わりはありません、これは天下に生れながらにして貴き者はいないからです。冠事を行う場合は必ず祖廟で行い、黒き酒白き酒を祖に捧げる「祼享の礼」によ神下しを行い、「金石の楽」の礼式を行って儀式におのおの節目をつける。自らを卑下することで先祖を尊び、独断勝手な振る舞いをしないことをしめすのです。懿子が言うことには、天子が加冠の儀をする前に天子の位に就いた場合、成長成人してから加冠の儀をするのでしょうか。孔子が言うことには、昔、王の世子は幼児であっても、その位に就けば、その尊きことは人君となります。人君は成人の事を治める立場の者ですから、幼児であっても既に成人ですからどうして改めて成人になったとして加冠の儀をする必要があるでしょうか。懿子が言うことには、そうすると諸侯の加冠の儀は天子のものと異なるでしょうか。孔子が言うことには、君が薨じると世子は喪主の立場となり、これもまた加冠をしたと同じです。人君は天子と異なる所は無いのです。懿子が言うことには、今、邾君が加冠の儀を行うことは礼法に適わないのでしょうか。孔子が言うことには、諸侯に加冠の儀の礼法があるのは、夏王朝の末に造られたもので、そこからの伝統です。今、邾君の加冠の儀が礼法に適わないと謗る必要はありません。天子として加冠の儀を行うのは、武王が崩じ、成王が十三歳で世子となり跡を継ぎました。周公が冢宰の地位で補佐役に居り政を執って天下を治めました。その明年の夏六月に埋葬が済み、成王は加冠の儀を行い祖廟に諸侯を朝参させ、朝廷で諸侯を謁見したのは、天下に君主が居ることを示したものです。周公は祝雍に命じて祝辞となる「頌」を作らせ、その祝辞「頌」に言うことには、「王を祝せ達して未だ幼(王を祝せ、ただまだ王は幼い)」。祝雍が辞を作って言うことには、「王をして民に近く、年に遠く、時を嗇(おし)み、財を惠み、賢に親しみ能に任ぜしめむ(王には民に親しませよう、春秋の寿命には遠く、春秋四季の時を大切にし、収穫と言う財貨を恵み、賢者に親しみ有能者に任を任せ)」と。その祝辞「頌」に言うことには、「令月吉日、王の始めて元服を加ふ。王の幼志を去り、袞職に心す、欽みて昊天に若ひ、六合の是れ式る、爾の祖考に率ひ、永永に極まり無けむ。(令月吉日、王は初めて元服の加冠の儀を行う。王の幼き心を去り、天子の職に心す、謹んで上天に従い、天地東西南北の六合の治めはこれに従う、汝の祖霊に従い、永遠に極まりなきように)」。(幼児が天子に就いた後に元服加冠の儀を行うこと、)これは周公が定めた制度です。懿子が言うことには、諸侯が加冠の儀を行うとき、だれが賓客となり、その理由はなんでしょうか。孔子が言うことには、公の身分の諸侯が加冠の儀を行う時には卿が賓客とします、その卿に介添役は不要で、公の身分の諸侯自らが主人となり、賓客を迎えて出迎えの礼儀である「揖」を行い、式壇への階段である「阼」から登り、式壇上の席の北に立ちます。その壇上で酒を飲む儀式「醴」は、士の場合と同じようにし、賓客を饗するのに三獻の礼で行います。その酒を飲む儀式「醴」が終わったら、式壇への階段である「阼」から降ります。諸侯で公の身分で無い者で自ら主人となる者の場合で、その異なる点は皆が西側の階段から降り、また加冠で被る黒布の玄端と革製の皮弁とで朝服にあって冠を固定する紐が白色の「素畢」であって成人での黒色の「緌」とは違い、また、公が加冠で被る冠は四たび行い、人事権を示す緇布の冠、軍事権を示す皮弁、祭祀権を示す爵弁に天命を示す玄冕を追加して正装とし先祖を祭る。その儀式で使用した幣物を賓客の参集に対し報いるとして、一束の帛布と四馬を贈る。王の太子と庶子とが加冠するときはこれに準じ、皆は天子と同様に自らが主人なる。その加冠の儀の礼法は士の場合と変わるところは無く、賓客を饗食する作法も、皆同じである。懿子が言うことには、始めて加冠の儀を行うときに必ず黒い緇布の冠を被るのは、どのような理由ですか。孔子が言うことには、古を忘れないことを示します。太古では布を冠とし、物忌みするときは額の鉢巻きの布を黒色の緇にしました。今では緇布の冠で前垂れである「緌」を付けますが、私は今のところこの理由は聞いたことがありません。今では、加冠の儀をしたら(二度と使うことがないから)これを破棄することも問題がありません。懿子が言うことには、夏・殷・周の三代の王の冠、それが異なっているのはどのような理由でしょうか。孔子が言うことには、(言葉は違いますが)周の弁、殷の冔、夏の收、これらは同一のものです。三代の王は軍事権を示す冠の皮弁と祭祀権を示す冠の素績とを同じように用いています、ただ、常に被る冠で委貌は周の礼式様式です。章甫は殷の礼式様式です。毋追は夏后氏の礼式様式です。
<原文>
邾隱公既即位、將冠、使大夫因孟懿子問禮於孔子。子曰、其禮如世子之冠。冠於阼者、以著代也。醮於客位、加其有成、三加彌尊、導喻其志。冠而字之、敬其名也。雖天子之元子、猶士也。其禮無變、天下無生而貴者故也。行冠事必於祖廟、以祼享之禮以將之、以金石之樂節也。所以自卑而尊先祖、示不敢擅。懿子曰、天子未冠即位、長亦冠也。孔子曰、古者、王世子雖幼、其即位則尊為人君。人君治成人之事者、何冠之有。懿子曰、然則諸侯之冠異天子與。孔子曰、君薨而世子主喪、是亦冠也已。人君無所殊也。懿子曰、今邾君之冠非禮也。孔子曰、諸侯之有冠禮也、夏之末造也、有自來矣。今無譏焉。天子冠者、武王崩、成王年十有三而嗣立。周公居冢宰、攝政以治天下。明年夏六月、既葬、冠成王而朝于祖、以見諸侯、示有君也。周公命祝雍作頌、曰、祝王達而未幼。祝雍辭曰、使王近於民、遠於年、嗇於時、惠於財、親賢而任能。其頌曰、令月吉日、王始加元服。去王幼志、心袞職、欽若昊天、六合是式、率爾祖考、永永無極。此周公之制也。懿子曰、諸侯之冠、其所以為賓主何也。孔子曰、公冠則以卿為賓、無介、公自為主、迎賓揖、升自阼、立于席北。其醴也、則如士、饗之以三獻之禮。既醴、降自阼。諸侯非公而自為主者、其所以異、皆降自西階、玄端與皮弁異。朝服素畢、公冠四加、玄冕祭。其酬幣于賓、則束帛乘馬。王太子庶子之冠擬焉、皆天子自為主。其禮與士無變、饗食賓也、皆同。懿子曰、始冠必加緇布之冠、何也。孔子曰、示不亡古。太古冠布、齋則緇之。其緌也、吾未之聞。今則冠而幣之、可也。懿子曰、三王之冠、其異何也。孔子曰、周弁、殷冔、夏收、一也。三王共皮弁素績、委貌、周道也。章甫、殷道也。毋追、夏后氏之道。
<書き下し>
邾(ちゅう)の隱公の既に位に即(つ)き、將に冠せむとし、大夫をして孟懿子(むいんし)に因りて禮を於孔子に問はしむ。子の曰く、其の禮は世子の冠の如くす。阼(そ)に冠するは、以つて代るを著(あらわ)すなり。客位に醮(しょう)するは、其の成ること有るに加へ、三たび加へて彌(いよいよ)に尊(とうと)し、其の志を導喻(どうゆ)す。冠して之に字(あざな)するは、其の名を敬するなり。天子の元子と雖も、猶は士なり。其の禮は變無し、天下に生れながらにして貴き者無きの故なり。冠事を行ふは必ず祖廟に於てし、以祼享(かんきょう)の禮を以つて以つて之を將(おこな)ひ、金石の樂を以つて節す。自ら卑くし先祖を尊び、敢て擅にせざるを示す所以なり。懿子の曰く、天子の未だ冠せずして位に即(つ)けば、長じて亦た冠するや。孔子の曰く、古者(いにしへ)、王の世子は幼と雖も、其の位に即けば則ち尊きこと人君と為る。人君は成人の事を治むる者なり、何ぞ冠すること之れ有らむ。懿子の曰く、然らば則ち諸侯の冠は天子に異なるか。孔子の曰く、君の薨じて世子は喪を主り、是も亦た冠するのみ。人君は殊なる所無きなり。懿子の曰く、今、邾君の冠するは禮に非ざるや。孔子の曰く、諸侯の冠の禮有るや、夏の末に造れるなり、自りて來る有り。今、譏(そし)ること無かれ。天子の冠するは、武王の崩じ、成王の年十有三にして嗣立(しりつ)す。周公の冢宰に居り、政を攝(と)り以つて治天下を治め。明年の夏六月、既に葬し、成王を冠して祖に朝し、以つて諸侯を見るは、君有るを示すなり。周公の祝雍(しゅくよう)に命じて頌(しょう)を作らしめむとし、曰く、王を祝せ達して未だ幼。祝雍の辭して曰く、王をして民に近く、年に遠く、時を嗇(おし)み、財を惠み、賢に親しみ能に任ぜしめむと。其の頌(しょう)に曰く、令月(れいげつ)吉日、王の始めて元服を加ふ。王の幼志を去り、袞職(こんしょく)に心す、欽(つつし)みて昊天(こうてん)に若(したが)ひ、六合(りくごう)の是(こ)れ式(のつと)る、爾(なんじ)の祖考に率(したが)ひ、永永(えいえん)に極まり無けむ。此れ周公の制なり。懿子の曰く、諸侯の冠するや、其の賓主為る所以は何ぞや。孔子の曰く、公の冠するには則ち卿を以つて賓と為し、介無し、公の自ら主と為り、賓を迎へて揖(いふ)し、阼より升(のぼ)り、席の北に立つ。其の醴するや、則ち士の如くし、之を饗するに三獻の禮を以つてす。既に醴し、阼(そ)より降り。諸侯の公に非ずして自ら主と為る者は、其の異なる所以は、皆は西階より降り、玄端(げんたん)と皮弁(ひべん)とは朝服(ちょうふく)の素畢(そひつ)を異にし、公の冠するは四たびし、玄冕(げんべん)を加して祭る。其の幣を賓に酬(むく)ゆるは、則ち束帛(そくはく)乘馬(じょうば)もつてす。王の太子・庶子の冠するは焉(これ)に擬(なら)ふ、皆の天子自ら主と為す。其の禮は士と變る無し、賓を饗食するも、皆同じ。懿子の曰く、始めて冠するに必ず緇布(しふ)の冠を加ふは、何ぞや。孔子の曰く、古を亡(わす)れざるを示す。太古は布を冠し、齋(ものいみ)すれば則ち之を緇(くろ)にす。其の緌(ずい)は、吾は未だ之を聞かず。今、則ち冠してこれを幣(やぶ)るも、可なり。懿子の曰く、三王の冠、其の異なるは何ぞや。孔子の曰く、周の弁、殷の冔(く)、夏の收(しゅう)、一なり。三王は皮弁(ひべん)素績(そせき)を共にし、委貌(いぼう)は周道なり。章甫(しょうほ)殷道なり。毋追(ぼうたい)は夏后氏の道なり。
