頭の中は熊本地震
朝の陽気は涼やかである。少々オーバーな表現では涼風が浮きぬける涼やかさの朝などと言えそうだが、短時間で厳しい暑さに変化するから厄介だ。今日もまた熱中症の中での自己防御装置とか行動制御装置とかを心に持っての生活となる。強調したい行動制御装置なる言葉は結局可能な限り黙って過ごすことであり、不必要な行動などするなであり、さらに厳しく言うと動くなであると、ほとんど諦めの心境である。
そんな生活の寒でも熊本地震のことが頭を占める。高齢者の車中泊の女性の死亡が報道され、初めての関連死などの報道の言葉には違和感もあるが、でも、やはり関連死かも知れないと聞くしかないが、車中泊の現実は厳しいものがあり、まして燃料不足の状態で冷房の利かない車中には人間が眠れるわけもなく、せめて燃料くらいは届けてほしいと言う思いに、国の対策の遅さなどへの怒りが湧いてくる。それも、トランプのイラン攻撃のせいだとの思いも湧いてくるから、怒りの方向は大きくなっていく。
そん化国くな環境下でも多くの支援団体が素早い対応であるから救われると思いである。あらゆる分野の支援団体が駆けつけて活動を始めていることに感謝したい思いの人は多いだろう。健康管理は心配する必要もない専門分野の支援団体の皆さんに声援を送りたい。そして、避難所への支援も十分とは言えなくてもそれなりには進んでいると思いたい。間乱視などの言葉が聞けないようになってほしいと願い、多くの被災者の健康状態が守られるように祈る朝である。
災害省とか、災害対策省の設置などの政治の取り組みもあったような記憶もあるが、どうなったかと対応の遅い政府に少々怒りも湧いた来る熊本地震である。地震発しさえ政治にとってはその他多くの厄介事のような扱いでありと、政治への怒りは庶民の最後の怒りの捨て場には違いないが、どんな対応をしようと庶民の怒りは常に政治み向かうが、その場違い的な怒りが時に真実の政治の欠陥を暴き出すこともあるだろうと、辛口評論家的な発想になるのは仕方ないが、同時に、避難所への民間団体の環境整備への必死の取り組みには感動する。一般の人たちがただただ、被災者の苦難を緩和するために尽力する姿は人間の素晴らしさを表現しているようである。そして、外国の人たちの救助活動にも感動する。外国人の犠牲者も出て残念だ。災害の被害は区別もないと、改めて、日本に住む人は平等であり、同じ地域に進む人々はみな平等であり、兄弟姉妹同然だと災害が教える。そのことを災害から教わる悲しさもある。
兎に角、被災者が救われ、これ以上の犠牲者が出ないようにと、
兎に角車中泊などの避難方法が解消せれるように、
兎に角車中泊を余儀なくされる車に十分燃料があるように、
兎に角被災者の健康が守られますように、
兎に角復旧復興が速やかに進みますように祈ります。
