見出し画像

中国では、なぜ家を持つことが「結婚の条件」になったのか?

一軒のマンションに、恋愛・親の資産・男の価値まで詰め込まれる社会

このシリーズでは、ニュースだけでは分からない世界の人々の日常を、一人の人生を通して描いています。

前回は、中国の若者が「もう競争したくない」と感じ始めた背景を見ました。

今回は、その競争の中でも特に重いもの。

「家」

です。

中国では、結婚を考える時に、

「好きです」

だけでは足りないことがあります。

男性に対して、

「家はあるの?」

という質問が投げかけられる。

しかも、その家を買うために本人だけでなく、両親や祖父母まで貯金を出すことがあります。

なぜ一軒のマンションが、

恋愛。

結婚。

家族の資産。

そして男性としての価値。

そこまで背負うようになったのでしょうか。



「結婚したい。でも家がない」

杭州に住む30歳の陳杰(チェン・ジエ)は、同い年の恋人と4年間付き合っています。

二人とも会社員です。

関係は悪くありません。

むしろ、結婚したいと思っています。

しかし、話が具体的になると空気が変わります。

「家はどうする?」

恋人の父親が聞きました。

陳杰は答えます。

「まだ買えていません」

部屋の空気が少し重くなりました。

彼女自身は、

「賃貸でもいい」

と言っています。

しかし親は違います。

「結婚するなら、安定した家が必要でしょう」

陳杰は分かっています。

悪意ではありません。

娘を不安定な生活に出したくない。

その気持ちです。

でも彼にとって、その一言は、

「家を持っていない自分は、結婚相手として不足している」

と言われたようにも聞こえました。



なぜ「家」がこれほど重要になったのか

中国では、長い間、住宅が単なる住む場所以上の意味を持ってきました。

それは、

資産。

社会的地位。

結婚条件。

親孝行。

将来の安心。

これらが全部乗った存在です。

特に都市化が進み、住宅価格が上昇した時代には、

「家を持っている=成功している」

という感覚が強まりました。

さらに、不動産価格が上がり続けるという期待もありました。

家を買うことは、

消費ではなく、

資産形成

でもあったのです。

だから親世代は言います。

「家は早く買った方がいい」

「賃貸はお金が残らない」

「結婚するなら持ち家が安心」

この価値観が、

結婚市場にも入り込みました。



男性に求められる「証明」

中国では地域や家庭によって差がありますが、

結婚の際に男性側に、

住宅。

車。

安定した仕事。

一定の収入。

を期待することがあります。

これらは単なる物ではありません。

男性が、

「家族を支えられるか」

を測る材料として扱われます。

つまり家は、

経済力の証明書

のような役割を持ちます。

陳杰が恋人の父親に聞かれたのも、

「どんな家が好き?」

ではありません。

「持っているか」

です。

家の有無が、

結婚の現実性を判断する最初の基準になることがあるのです。



でも若者だけでは買えない

問題は価格です。

北京。

上海。

深圳。

杭州。

広州。

大都市の住宅価格は、若者が自分の収入だけで簡単に買える水準ではありません。

そこで登場するのが、

親です。

陳杰の父親は地方で工場勤務。

母親は小さな商店で働いてきました。

二人が何十年も貯めたお金があります。

ある夜、父親は言いました。

「頭金なら、少し出せる」

陳杰は黙りました。

それはありがたい話です。

でも同時に、重い。

父親の老後資金。

母親の病院代。

家の修繕費。

それらに使うはずのお金です。

陳杰は思います。

「自分の結婚のために、親の老後を削っていいのか」



結婚は、二人ではなく「二つの家族」の取引になる

ここが、中国の結婚の非常に特徴的な部分です。

結婚するのは二人です。

しかし動くお金は、

本人だけのものではありません。

男性側の親が住宅資金を出す。

女性側の親が家具や家電を用意する。

地域によっては彩礼がある。

結婚式費用もかかる。

つまり結婚は、

恋愛のゴールであると同時に、

二つの家族の資産を組み替えるイベント

でもあります。

誰がいくら出すのか。

住宅の名義は誰か。

頭金は誰が負担するのか。

結婚後に親と同居するのか。

こうした話が、結婚前に現実問題として出てきます。

愛情だけでは解決しません。



「賃貸ではダメなのか?」

日本人から見ると、

「まず賃貸で暮らせばいいのでは?」

と思うかもしれません。

もちろん、中国にも賃貸で暮らす夫婦はいます。

しかし親世代の中には、

賃貸に強い不安を持つ人もいます。

家賃が上がるかもしれない。

契約を更新できないかもしれない。

子どもが生まれた時に不安定。

そして何より、

「家がない家庭は安定していない」

という感覚があります。

さらに学校区の問題も絡みます。

子どもの教育環境を考えれば、

どこに住むかは大きな問題です。

家は、

結婚だけでなく、

次の世代の教育までつながっています。



なぜ女性側の親も家を重視するのか

恋人の父親は、陳杰が嫌いなわけではありません。

むしろ真面目な青年だと思っています。

それでも家のことを聞く。

理由は、

娘の将来を守りたいから

です。

中国では結婚後も、住宅費や育児費の負担が大きい。

もし男性側に家がなければ、

結婚後の生活が不安定になる。

さらに出産後、女性のキャリアが止まる可能性もある。

だから親は考えます。

「少なくとも家くらいは安定していてほしい」

それは古い価値観だけではありません。

女性側から見ると、

将来のリスクを減らすための現実的な判断でもあるのです。



しかし、家がある男性が「良い夫」とは限らない

ここには大きな矛盾があります。

家を持っている。

高収入。

安定した職業。

これらは確かに安心材料です。

でも、

家事をするか。

暴力を振るわないか。

相手の仕事を尊重するか。

子どもを一緒に育てるか。

親と妻の間で公平に振る舞えるか。

そうしたことは、

住宅の登記簿には書いてありません。

結婚市場では、

測りやすいものが先に評価されます。

年収。

住宅。

学歴。

戸籍。

しかし、結婚生活で本当に重要なものほど、

数字にできない。

それでも人は不安だから、

数字に頼ります。



男性は「家を買えない自分」を責める

陳杰は、友人の結婚式に出席しました。

新郎はマンションを購入しています。

両親が頭金を出したそうです。

周囲は言いました。

「やっぱり家があると安心だね」

悪意のない一言です。

でも陳杰には刺さります。

自分はまだ買えない。

彼女を待たせている。

親からもお金を出してもらわないと難しい。

次第に、

「自分は男として足りないのではないか」

という感覚になります。

家は物件です。

しかし彼の心の中では、

自尊心そのものになっています。



親の愛情が、プレッシャーになる

ある日、父親から電話がありました。

「頭金のことだけど」

陳杰は答えました。

「大丈夫。まだいい」

父親は言いました。

「お前が結婚できるなら、使え」

陳杰は黙ります。

父親にとっては愛情です。

子どものために貯めたお金を使う。

当然だと思っています。

でも陳杰にとっては、

そのお金が重い。

「父さんたちの老後は?」

「俺たちは何とかなる」

この言葉もまた、

愛情です。

でも息子には、

自分の人生を成立させるために、親の人生を削っている

ように感じます。



不動産は「家」ではなく「信仰」になった

中国の高速成長期、不動産は非常に強い資産でした。

住宅価格が上がる。

買えば資産が増える。

子どもに残せる。

だから、

「家を買うこと」は合理的でした。

そして長い間その成功体験が積み重なりました。

すると家は、

必要だから買うものから、

買っておくべきもの

に変わります。

さらに、

結婚するなら持つべき。

大人なら持つべき。

親なら子どもに用意するべき。

という価値観に変わります。

つまり不動産は、

経済だけでなく、

家族文化の中に入り込みました。



ところが、不動産神話が揺らぎ始める

近年、中国の不動産市場は大きく変化しました。

大手不動産企業の経営問題。

売れ残る住宅。

建設途中で止まった物件。

価格下落への不安。

それまで、

「家を買えば価値が上がる」

と思われていたものが、

必ずしもそうではなくなりました。

若者は考え始めます。

「本当に今、家を買うべきなのか」

一方、親世代はまだ、

「家がないと不安」

と思っています。

ここでも世代間の価値観がぶつかります。



家を買うほど、人生が自由になるのか

陳杰はある夜、住宅ローンの試算をしました。

30年。

毎月の返済額。

管理費。

固定費。

修繕費。

それを見て、

今度は別の不安が出てきました。

家を買えば、

結婚はできるかもしれない。

しかし今度は、

会社を辞められなくなる。

転職もしにくくなる。

収入が下がれば返済が苦しくなる。

つまり、

家を持つことは安定でもある。

同時に、

逃げられなくなること

でもあります。

第34回で見た躺平の若者が、

家を買わない理由ともつながります。

家を持つか。

自由を持つか。

その二つが、時に同じ方向を向かないのです。



女性にとっても、家は自由を左右する

家の問題は男性だけではありません。

女性側にも別の問題があります。

住宅の名義が誰なのか。

頭金を誰が出したのか。

ローンは誰が払うのか。

結婚後に夫婦で返すのか。

離婚したらどうなるのか。

もし男性側の親が家を買って、

男性の名義だけになっていたら、

女性はそこで暮らしていても、

資産としては弱い立場になることがあります。

だから女性側の親も、

「持ち家があるか」

だけでなく、

「その家が娘の人生を本当に守るのか」

まで考えるようになります。



恋愛が「資産審査」になる瞬間

陳杰と恋人は、カフェで話していました。

彼女が言いました。

「私は家がなくてもいいよ」

陳杰は答えました。

「でも君の親はそう思ってない」

彼女は少し黙りました。

「親も心配してるだけ」

分かっています。

でも陳杰は苦しい。

彼女を好きか。

一緒に暮らしたいか。

本来、考えるべきなのはそれです。

しかし現実には、

住宅。

ローン。

親の資産。

名義。

収入。

すべてが恋愛の中へ入ってきます。

恋愛が、

人生で最も大きな資産審査

のようになっていく。



「家があるから結婚する」は幸福なのか

家を用意できた。

結婚した。

それで幸せになるとは限りません。

逆に、

家がなくても幸せな夫婦はいます。

でも社会の中では、

分かりやすい基準が好まれます。

家がある。

仕事がある。

収入がある。

その方が、

「安心できる相手」

に見える。

人は将来を予測できません。

だから不確実な愛情より、

確実に見える資産に安心を求めます。

それが、

家を結婚条件にした大きな理由の一つです。



でも本当は、家を求めているのではない

恋人の父親が欲しいのは、

マンションそのものではありません。

本当に欲しいのは、

娘の安心です。

陳杰の父親も、

家を買わせたいのではありません。

本当に欲しいのは、

息子が結婚して安定すること。

若者自身も、

豪華な住宅が欲しいわけではありません。

欲しいのは、

将来が壊れないという感覚。

つまり、

誰も本当は家を欲しがっているわけではない。

家に、

安心。

安定。

愛情。

社会的承認。

老後保障。

それら全部を載せているのです。



中国では、なぜ家を持つことが結婚の条件になったのか?

理由は一つではありません。

不動産が資産だった。

住宅価格が上がり続けた。

男性に経済力が期待された。

親が子どもの結婚に深く関わる。

女性側が将来の安定を求める。

教育や戸籍とも住宅が結びついている。

そして何より、

社会保障だけでは足りない安心を、家族と住宅が補ってきた。

だから家は、

ただの建物ではなくなりました。



家がないから、結婚できない

この言葉は、

少し変です。

結婚するのに必要なのは、

本来、二人の意思です。

でも現実には、

家があるか。

親がいくら出せるか。

ローンを払えるか。

こうしたことが、

結婚の可否を左右する。

ここに、中国社会の大きな矛盾があります。

経済成長で、

家を買える人は増えました。

しかし同時に、

家を持つことが「普通」になったため、持っていない人が不利になった。

豊かになった社会が、

新しい基準を作り、

その基準がまた人を苦しめています。



父親の通帳

数週間後。

陳杰は実家へ帰りました。

父親が古い通帳を出しました。

「これを使え」

数字を見て、

陳杰はすぐに分かりました。

両親が何十年も貯めたお金です。

旅行にも行かず。

高い服も買わず。

古い車に乗り続けて。

息子のために残したお金。

陳杰は通帳を閉じました。

「やっぱり、まだいい」

父親は言います。

「何を遠慮してるんだ」

陳杰は答えました。

「父さんたちのお金だから」

父親は笑いました。

「お前のために貯めたんだ」

陳杰は何も言えませんでした。

このお金を使えば、

家を買えるかもしれない。

結婚もできるかもしれない。

でも、

この通帳には、

両親の人生そのもの

が入っています。



一軒のマンションに、何人の人生が入っているのか

マンションの広告には、

広さ。

駅からの距離。

設備。

価格。

しか書かれていません。

でもその一室の頭金には、

父親の残業。

母親の節約。

祖父母の援助。

息子の将来。

恋人の不安。

娘を心配する親。

さまざまな人生が入っています。

一軒の家は、

単なる不動産ではありません。

家族の希望と恐怖をコンクリートで固めたもの

になっているのです。



本当に問うべきなのは「なぜ家を買うのか」ではない

家を買うこと自体が悪いわけではありません。

持ち家には安心があります。

資産にもなります。

家族の拠点にもなります。

問題は、

家を買うことが、

結婚できる人。

できない人。

価値のある男性。

価値のない男性。

幸せな家庭。

不安定な家庭。

そうした評価と結びついた時です。

本当に問うべきなのは、

「なぜ中国人は家を買いたがるのか」

ではありません。

なぜ一軒の家に、これほど多くの安心を背負わせなければならないのか。

なのです。



次回予告 第36回

中国は、本当に台湾へ侵攻するのか?

台湾・日本・南シナ海――戦争を始めずに現状を変える「戦争未満」の戦略

軍事演習。

海警船。

台湾周辺への圧力。

尖閣諸島周辺での活動。

南シナ海でのフィリピンとの対立。

一つ一つを見ると別々のニュースに見えます。

しかし、それらを一本の線でつなげると、

中国が何を狙っているのか、

まったく違う姿が見えてきます。

次回は、

「中国はなぜ、全面戦争を避けながら圧力を強め続けるのか」

という視点から、台湾・日本・フィリピンをつなぐ中国の安全保障戦略を深く掘り下げます。

いいなと思ったら応援しよう!