『山は遠くにあるほど、心に近づいてくる』
2026年5月 いの町にて
『山は遠くにあるほど、心に近づいてくる』
天空の回廊とも呼ばれるUFOラインの夕暮れどき、目の前に現れた瓶ヶ森は、ただ高く美しいだけではなく、どこか人の心を静かに招き入れるような山の姿をしていた。
左にゆるやかなな、氷見二千石原を見せる瓶ヶ森。
その右側やや下には子持権現山、こっちから見ると全然違う表情だった。
二つの峰が寄り添うように並ぶことで、風景には単なる山岳写真を超えた、物語の気配が宿っている。
空は澄み、淡い雲が山の上をやさしく流れ、夕暮れの光が山肌の陰影を静かに際立たせていた。
印象深いのは、山の“二つの表情”が一枚の中に同居していることだと思う。
瓶ヶ森の頂上付近は、やわらかな笹原に包まれ、空に向かってなだらかにひらけている。
まるで誰をも拒まない草原のように、やさしく、おおらかだ。
けれどその下には、深く刻まれた谷筋や切り立つ岩肌があり、山が本来持つ厳しさを隠してはいない。
やさしさと険しさ、その両方を抱えながら立っているからこそ、この山はただの“きれいな山”ではなく、人の胸を打つ存在になるのだろう。
右手に見える子持権現山は、瓶ヶ森に比べると少し鋭く、引き締まった印象を与える。
その姿は寺川方面から見ると、険しい岩肌に同化しているようにも見えた。
対照的でありながら、どちらも同じ空の下に連なり、ひとつの山の世界をつくっている。
山は単独で美しいのではなく、隣り合う峰や落ち込む谷、空の広さや光の向きまでも含めて、ひとつの景観として心に届く。
そのことを、静かに教えてくれる。
山が大好きなのに、山登りは苦手。
どこかとても深い真実があるように思う。
山を愛することと、山を征服することは、きっと別のことなのだ。
遠くから見上げるだけでも、心が震える山がある。
登らずとも、その稜線に励まされる日がある。
そして瓶ヶ森は、そんな“見上げるだけでも好きになれる山”の代表のように見える。
だからこそ、「登りやすいと聞いたから、元気なうちに一度は登ってみたい」という思いが、自然で、切実で、どこかあたたかい願いに感じられる。
この夕景には、挑戦を煽るような激しさはない。
むしろ「急がなくていい、でも、いつか来てみたら」と、山のほうからそっと声をかけてくれているような穏やかさがある。
頂に広がる笹原は、遠くから見るだけでもやわらかく、あの場所に立てばきっと、空を近くに感じながら風に包まれるのだろうと想像させてくれる。
山登りが得意な人だけの山ではなく、山に憧れるすべての人に向かって開かれているように見えるところが、瓶ヶ森の大きな魅力なのかもしれない。
寺川方面から見上げたこの日の瓶ヶ森は、まだ登っていない山でありながら、すでに心の中では何度も訪れている場所のようでもあった。
人は時に、足で登る前に、気持ちのほうが先に山へ登っていく。
写真に写るのはただの風景ではない。
これから先の自分がいつか立つかもしれない頂への、静かな予感でもある。
だからこの一枚は、単なる記録写真ではなく、「いつか」の気持ちを大切に抱きしめた一枚なのだと思う。
もしこの風景にひとつ題をつけるなら、「見上げることから始まる登山」。
UFOラインの夕暮れに見た瓶ヶ森と子持権現山は、登る前からもう人を励まし、夢を与えてくれる山だった。
好きだけれど苦手、苦手だけれど惹かれる。
そんな揺れる気持ちさえ、山はきっと否定しない。
ただそこに在りながら、いつか来るその日を、静かに待っていてくれる。
