妄想: 【カタカムナウタヒ】・分け御霊・五という数
妄想: 【カタカムナウタヒ】・分け御霊・五という数
【カタカムナ】という、私たちにとっては、たったの五文字・たった五つの音なのですが、実はとてもとても重要な意味が隠されているので、再び書き記します。
五という数なのですが、
岡本天明氏の日月神示で
【元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄(やさか)えゆく仕組み】
というのは、【カタカムナ】の五文字・五音のことかもしれないな…と感じているからです。
↓以下【カタ】の部分の内容
見えない働きであるチカラが(スクリーンのように広がっているワンネス=1を秘めた零である)零から、+1 (ヒフミのヒになって、蓄電され)分かれ出たもの。(分かれ出るといっても、源であり、礎であるスクリーンは常に背後に存在している)
↑【カタ】=陽エネルギーを蓄えた(蓄えた時エネルギー=寿命の)形(容れ物)、+1という縁取り
【カム】の部分
時空間に映されるもの(現象・三次元物質)としてのカタは、中に蓄えているエネルギー、寿命が尽きると、中味が空になった間となり、カタの中味であったチカラも無(厶)に還って(ヒ=+1を秘した)零(ワンネス)に留まる。
↑【カム】=蓄電された陽エネルギーを使い果たしていくことで、無(=広がり・スクリーン・ワンネスを秘した零)に帰還していくチカラ(カタの中味・本質)
【ナ】の部分
こうして一巡りを終えると、再び新しいより進化した統合(新展開・進化した展開=10 )を目指して、より調和が進んだ核として新たな循環(+1)の因子となる。
↑【ナ】
【カタカムナ】をまとめると
零(1というワンネスを秘めている零)→+1(寿命をもつもの)となってワンネスに映される形をもつ
+1という(寿命)が尽きる=寿命と引き換えに霊(ヒ)は使命という10(統合)が完了することによって、根源へと帰還する=10は統合の成果である1(進化・調和した1=霊)を秘した零(=ワンネス)となる。
再び1を秘した零(ワンネス)から統合を目指し、振動という時エネルギー(寿命)が蓄電されて+1となって出現する。
この循環法則を意味しているようです。
使命(氏名)の完了=10 という成果が、
核(ナ)という新たな因子となって
再び寿命と形態をもった命として生まれ出る
というのは、
まさに因果応報を内含する循環であることを意味しています。
ここで声を高くして申し上げたいのは、
【カタ】も【カム】も【ナ】も源はワンネスで、役割は異なるけれど、壮大なひとつの機能(仕組み・摂理)であるワンネスと毎瞬、永遠につながっているということです。
→万象も宇宙空間(星・宇宙人・UFO)も、ワンネスから一度として離れていないということです。
なぜなら【カタカムナ】も【三種の神器】同様に宇宙の摂理だからです。
この後に続く【ウタヒ】という言葉が的確にそれを表しています。
【ウタヒ】について
凸と凹が組み合うように、陽エネルギーは振動して、陰はそれを受け入れて、陰に穴を開けて、重なる部分に魔法のような間・空間を作る。
その受容の間で、時エネルギーを蓄え、寿命を調整されて、時が満ちると生まれ、(カタとして)分かたれるものが霊・魂(であり、核のところにカウントダウンするタイマーをもって)います。
霊・魂とはワンネス(神)がワンネスであるスクリーン上に映し出される被写体として、降臨するために生み出されたもの、即ち分け御霊であるといっています。
生まれ出るもの、宇宙空間も森羅万象もすべて、ワンネスという源から分かたれた、分け御霊であり、寿命=時エネルギーに従って循環(生死という変化を繰り返)しているものであります。
【カタカムナウタヒ】として総合的に読み解くと…
① ワンネス(1を秘した零 01 )はメビウスという仕組みによって、
01 →1 →10 (寿命を使い果たし・使命を全うした 統合)→反転(メビウス)して(核に統合・進化した1を秘す)01 となる→繰り返す循環となる=ワンネスの分け御霊となって時空間に降臨する。
分け御霊の仕組み
②1を秘す零であるワンネスを源に分化(形象化)と統合(使命を果たし零へと帰還すること)により、より調和した(統合的な)核となり、それが再び寿命と形象をもってワンネスから照らし発せられる被写体となって現れること。
分け御霊とはワンネスが自身を映し出す、鏡と被写体として存在する仕組み。
という感じがします。
一言でいうと 示し=ワンネスのスクリーン上に映されるもの、被写体である分け御霊
であり【弥栄(やさか)えゆく仕組み】であり
まさに五という数(カタカムナ)でありました。
カタカムナウタヒとはカタカムナそのもの、五という数だよ と言っているようです。
ここまで書いたら
常に潜象界と現象界を支えているワンネスとは
鏡=被写体 即ち(見る=ある)だ
という声がきこえてきます。
【自分をみるのに鏡は要らない】
(生まれも死にもしない、生死・時空間を超えよ!)
といってます。
