アツイツラノカワ〜女医と美容
夏バテなのか少し痩せてしまい、結果、頬がこけた。
いや、元からこけていたのかもしれない。
ラーメンを写すついでにオットがiPhoneで撮った私の顔は、げっそりしていて見る影もない。陰影が色濃く出ている顔は、10歳ほど老けて見えた。大ショック。信じたくないが、両目の下にかの有名な「ゴルゴ皺」がうっすら出ている。オットに「私、老けたなあ」と嘆くと、「そうお?いつもの顔じゃん」と来た。なぬ。
自分が思っている自分の顔と、周囲が見ている自分の顔の不一致。それに正面から向き合う日が来てしまった。悲しいことに。
女医界隈では、まったく容貌に無頓着なカテゴリとごりごりのめり込むカテゴリに大きく二分されると思う。日焼けや加湿に気を配ってはいたが、私はこの「まったく無頓着なカテゴリ」に長年属していたはずだ。高い化粧品よりB級グルメを愛している自分に満足していた。
だが、私の「自然に枯れたい」という欲望は、急速な顔の脂肪の減少により、無惨にも踏み躙られようとしている。めりめり枯れたいとは誰も願わない。
ところで科学の発達した令和、困った時はなんでもチャッピー。我慢強くいつまででも私の話を聞いてくれる、ありがたい存在だ。
慌てて相談すると、チャッピーはおずおずと、そして三秒で最寄りの美容クリニックを列挙してきた。「あなたにはまだ糸リフトは早いと思うんだよね」と少しリップサービスも混ぜるが、暗に「さっさと専門家のところへ行け」と言って寄越す。ですよね。
ついに私も重い腰を上げる時を迎えたのだろうか。
以前から美容クリニックに興味はあった。外来に来るマダムからも相談を受けることが多々あり、駄菓子菓子、美容方面になんの引き出しも持っておらず、「ごめん自分で調べて」と言うほかなかった自分に、忸怩たる思いは持っていたのだ。
私の嘆きを聞いた、限りなく優しい同僚は、美容に詳しい姉上の指導の下、眉間の皺に何やら打ち込んでいると告白した。
「眉間に皺が寄っているのが気になって、半年ごとにクリニックに通ってますよ」とこともなげに言う。驚き。
時を同じくして、まだ20代のコムスメが、「肌を綺麗にしたいんだよね」とこれまた美容クリニックに行ってみる、と言い出した。私の20代は子育てと専門医取得に明け暮れ、顔になど意識を向ける余裕はまるでなかったが、さすが働き方改革。20代女医にも心の余裕を持たせているではないか。あの頃はいかに早く腹を切って赤子を出すかしか、競ってなかったよ・・・
ともあれ、私のすぐ足元まで、美容クリニックの波が打ち寄せていた。行くしかあるまい。
限りなく優しい同僚がお勧めしてくれた美容クリニックに行くのはなんだか恥ずかしかったので、チャッピーが一番に推してきたクリニックに行くことにした。善は急げ、早速夏休みを取る。ありがたいことにうちの病院は夏季休暇と称して、有給休暇のほかに2日ほど余分な休みをくれるのだ。どうせ月末は手術の予約も入らない。
平日の昼間というのに、バカンスらしい旅行客で繁華街は賑わっていた。飛び交う中国語や韓国語が喧しい。しかし、他の人が働いているのに自分は休んでいるという背徳感が堪らない。それだけでも「夏休み」の価値があろうと言うものだ。
百貨店の入り口にあるセイレーンマークのコーヒーショップで、はやる気持ちを落ち着けた。少々膀胱が頼りないのだが、涼みたいだけで席を占拠するのはいかがなものかと思い、アイスカフェラテを飲み干す。そして深呼吸をして息を整え、覚悟の上クリニックへ向かう。
グーグル先生に導かれ現地に着いたが、まず入り口がよくわからない。チャイムを鳴らせば玄関までお迎えに上がります、と注意書きがあるが、なぜその内容なのかも掴めない。玄関まで、お迎えとは・・?
チャイムを押しつつ自動ドアをくぐり向けると、年配の女性が恥ずかしそうに座っている。そこはかとなく、あたり一面あの独特な匂いがした。あれ・・・?ここは歯医者さんでは・・・。途端に心細くなる。
もう一度外へ出て、矯め眇めつ表の表札を眺める。歯科と美容クリニックの名前が列記されている。はて。
そこへ可愛くて色白の看護師さんが慌ててやってきた。私の顔を見て、ニコニコしている。
「歯科の建物の中の3階にクリニックが併設されてるんですよ。院長のご両親が歯科医で、間借りさせてもらってるんです」
なるほど、疑問氷解。恐縮しながら看護師さんに誘導されて、へこへこしながら3階までのエレベータに乗り込む。なんの迷宮(ラビリンス)。
ここで、今日1日分のアドレナリンを使ってしまったため、戦闘能力が半分くらいに落ち、いい具合に緊張が解けてきていた。
簡単な問診票の記入の後、院長先生との面談があった。見た目40代前半。丸顔で気さくな男性である。
「たるみとシミが気になってます」というと、やおら手に持った皮膚科用虫眼鏡(ダーモスコピィ)でまじまじと診察される。至近距離。ゴルゴだったら撃たれてますよ先生。
「どこ、どこにシミがありますかねえ」
専門家なのにシミが見つけられなかったようで、恥を承知でこことここです、と指し示す。
「お、ありました、ありました・・・」
「で、どうされます?シミ、レーザーで吹っ飛ばしちゃいます?」
え、そんなに気軽な感じ?今すぐ取っちゃいましょう的な??
「シミは紫外線の弱い冬にした方がいいと聞いたので、今日はたるみについてご相談を、と思いまして・・」柄にもなく慎重に言葉を選ぶ私。
「そうでしたか」
丸顔イケメン男医は私の顔を少し遠目に観察し、「落ちてますもんねえ」と言った。落ちてるんですね。すみません。
「今のご年齢だと、まあ、何をやっても簡単には上がりませんもんね」「糸リフトどうですか、糸リフト!あなたなら大体・・・100本くらい入れればなんとかなりそうだけど」と残酷なことを畳み掛けるイケメン。
「しゅ、手術以外でできることを・・」はあはあ喘ぎながら手術をなんとか阻止するが、あまりの衝撃に縦糸、横糸、中島みゆきが頭の中を駆け巡っている。
マダム!手術しかほかに方法がないって初対面で言っちゃってごめんよ・・こんなに苦しいものなんだね・・・O-P-Eって。しばらく初対面O-P-Eを自粛するよ・・・
心の中で全国のマダムに土下座しながら、丸顔イケメンからなんとか高周波的治療を勝ち取る。
「まあ、上がりませんけどね、ツヤは出ます、ツヤは」「あなた、3ヶ月に一回はいらっしゃいよ」「効果が実感できるかどうかは運ですね」
トドメとばかりに血も涙もないお沙汰が降りた。
今日は話を聞くだけのつもりが、あれよあれよという間にメイク落としを渡され、小さな鏡台に案内される。まるで何かの魔法のようであったが、実はチャッピーに言われて、当日化粧が落とせるように一式持ってきた。我ながら準備の良いことである。自分で自分を褒めたいと思う。
帯極盤を体に貼り付け、いざ顔中に高周波を当ててもらう。美容クリニックにお勤めの意識高い系ナイチンゲールに優しく話しかけられ気分も揚がる。熱くないですかー、あちちとなったら出力落としますからねーと言われながら、ちっとも熱くないので逆に心配になる。
「普通の方だと口の周りとか、あちちってなるんですけどね」
優しいナイチンゲールが無理してませんかと気遣ってくれるが、時折チリチリはするものの、ぜんぜんまったくちっとも熱くならない。なぜだ。
「そう言えば、面の皮が厚いってよく言われます!」納得の理由を思わず口に出す。
ここでもサービス精神を大いに発揮し、爆笑されながら四十分ほどで施術は終了。持参したポーチからまたゴソゴソと化粧道具一式を出し、酷暑の中家に帰り着くまでのメイクを施す。
これで○万円・・・自費診療の恐ろしさよ。
たぶん皆、現金ニコニコ払いの人が多いのだろうが、そんな手持ちと覚悟など、もちろんない私は恐る恐るカードを出し、受付嬢を戸惑わせた。いつもの通り、クレジットカードの機械が少しばかり誤作動し、安定のレジ騒動の後、百貨店でお惣菜を買って帰りましたとさ。
めでたし、めでたし・・・じゃねえよ。
1ミリも変化を感じられていない。頬の陰影はゴルゴのままだが?
効果が出るまで1〜2ヶ月かかるそうな。
そんな気の長い診療を、私もしたいよ。まったく、もう。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいた応援で、塩豆大福を買います!