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国や地域で異なるファンの価値観を読み解く——日本と西洋の生成AIの受け止め方

*この投稿はmaru mgmtが海外ブログプラットフォーム"substack"で公開した弊社Patrick St. Michel (maru mgmt)の文章の翻訳記事です。

会場内で多くのアーティストが掲げたサイン

2026年5月15日から5月17日、アメリカ中西部で日本のポップカルチャーを祝う最大級のイベントのひとつ、「Anime Central」が今年も開催された。

約30年の歴史を持つこのイベントは、長年にわたってアメリカにおける日本文化への熱狂の土台を築いてきた存在だ。しかし今年は、これまでのどの回とも異なる空気が漂っていた。というのも、来場者の多くが共有していたある感情が、外から見ている者の注意を引くほどはっきりと表れていたのだ。

世界中のアニメコンベンションで定番となっている「Artist Alley」(作者/アーティストが自分でブースを出展するイベント)形式の会場内を歩いていると、日本でいう「コミケ」に近いその空間の中で、繰り返し目に入ってくるがものある。「NO AI」——会場内のアーティストたちが各自で掲げた数多くのサインに記されていた、AIに関する注意書きだ。それは、販売されている作品が生成技術によって作られたものではないという保証であると同時に、AIがアートの領域に入ってくることに対する反対姿勢を示すものでもあった。ほかにも、赤い丸と斜線で「AI」を否定するマークなど、さまざまなバリエーションが見られたが、そこから伝わってくるメッセージは明確だ。

日本と西洋、それぞれに違う生成AIのとらえ方

「人工知能」、そして同様に「生成AI」の導入と受容は、世界中でますます一般的になっているように思える。特に日本では、ChatGPTのようなAIエージェントに「チャッピー」という全国的に認知されたニックネームまで付けられている。そのため、日本に住む人々にとっては、海外のコミュニティで多く見られるAIへの反応は少々分かりにくく感じられるかもしれない。しかしこの1年ほど、特にオンライン上で、そして最近ではより広く一般的な空気としても、この技術への反感が強まっている状況だ。とりわけ、アートを通じた創造性に力づけられているコミュニティの間では、その声は大きい。

この空気は、会期中のとある出来事で特に明確になった。招待されていた日本人ゲストのひとりが、ステージ上で明らかにAI生成と思われる背景映像を使用したのだ。些細なことのようにも見えるが、会場にいた一部の人々はそれに気づき、数名が途中退席し、SNS上でも怒りの声が上がっていった。

こうした出来事は、国際的な文化交流全体の中では、あくまで小さなことかもしれない。けれども、日本のアーティストたちがより世界へと進出していく際には、重要な教訓にもなる。つまり、議論を呼びやすいテーマについては、自分の地域とその他の地域とでどのように受け止められているのかという違いをしっかりと理解して、その上を慎重に歩いていくことが必要だ。

もちろん、これは海外市場に合わせて自分のアートを変えるべき、という話ではない。そもそも、ここ10年で日本の作品が世界で際立った存在感を持つようになった理由のひとつは、他の文化圏の作品にはない独自の視点やアイデアを提示してきたからでもある。海外においても、ファンたちは日本のポップカルチャーが「日本らしく感じられる」ことを好んでいる。そして不満が生じるときも、多くの場合において、それは自分たちが愛するものと、情熱を捧げてきたクリエイターの生活を守りたいという真剣な思いからだ。

海外との違いを示す事例1:日本のエンターテインメント需要

生成AIはこの数年におけるアート上の最大の火種であり、日本の外ではより扱いが難しい。アニメーション業界でのAI利用に焦点を当てたLuminateのレポートは、この技術によって業界が分断されていることを示している。制作を速め、コストを削減する手段と評価する人々がいる一方、倫理的・法的な落とし穴として捉える人々もいる。中でも、AIの害について声高に語っているように見えるのが、国内外のアニメーションファンたちだ。

同じような反感はオンライン上で日々見られ、この議論自体はアニメ作品のファンに限られた話でもない。特に西洋圏では、創作物に強い関心を持つ人々の多くが、生成AIを利用した作品に対して非常に露骨な敵意を示す傾向があり、それを受け入れる人々を攻撃することにもためらいがない。生成AIへの明確な怒りや、それを使う作品やアーティストを見限ることもいとわない姿勢は、日本のクリエイターには馴染みの薄いものかもしれない。

もちろん日本でも、この技術の法的・倫理的な使用をめぐる議論は起きており、コンテンツ海外流通促進機構が警告を出したりアニメのオープニング映像にAI素材が使われたことで論争が起きたりもしている。それでも、AIをめぐる空気は、西洋ほど敵対的ではない。

たとえば、ライターのMatt Alt2月の投稿で、日本でのAIへの楽観的な見方を取り上げている。一般的な書店でAIを称賛する本が多く売られていることや、AI生成マンガが一部のランキングで上位にあることなどを紹介していた。昨年には、完全にAIで生成された楽曲がバイラルになり、怒りではなくミーム的な笑いを呼んだ。日本のアートの文脈で見るなら、生成AIはアーティストが試しに遊んでみることができるものであり、それが強い反発を招くとは必ずしも想定されていない。

ただし、それは反AIの姿勢がより強く形成されている西洋には進出しない限り、の話でもある。

海外との違いを示す事例2:POiSON GiRL FRiENDの場合

「AIが出てきたばかりの頃、私はイラストなどにすぐ使ってみました。2年前にリリースしたシングルでは、実際にAIにジャケットを描かせて、それをそう発表した(AIを使用したと発表した)んです。すると、ものすごい反発がありました。特にアメリカの若い子たちは『だめ、だめ、だめ、だめ』という感じでした。私はすぐに取り下げて、ジャケットを変更しました

POiSON GiRL FRiENDとして活動する関口典子は、今年初めに私がThe Japan Times向けに行った特集取材でこう語ってくれた。彼女の音楽は主に1990年代のものだが、近年、世界中のファンから新たに注目を集めている。しかしそのことは同時に、カバーアートでAIを試しに使っただけでも、日本ではなかなか想像しにくい反発を招く場合がある、ということでもある。

様々な国で、文化圏で——。自分の観客が持っている価値観を知ること

AIは新しい技術であり、アーティストには自分が適切だと思う形で実験する権利がある。一方で、自分の制作過程からは拒絶する権利もある。どちらにせよ、こうした出来事は、国境を越えて活動したいのならば、自分の観客がどんな感覚を持っているのか意識する必要があるという格好の例でもある。

特に日本のアーティストにとって、その点は重要だ。なぜなら、海外の日本文化のファンは、AIに対してとりわけ強い反感を持っているように見えるからだ。海外公演では生成AI素材の使用を控え、それについては公の場であまり多く語りすぎないことが、かなり大きな意味を持つかもしれない。

そうすることは、ファンがそもそも求めているあなた自身によるアートそのものに、より興味や関心を集中させることに繋がっていくはずなのだ。


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