歌という媒体
私には友達があまりいない。
それでも、長く続く友人ももちろんゼロではない。
学生時代の友人は二人、長く連絡を取っていた。
3年前の秋、そのうちの一人から夜かなり遅い時間に
電話がかかってきた。明らかに変だ。電話に出た。
彼女は泣いていた。そして信じられないこと言った。
もう一人の友人が亡くなったというのだ。
私は普段、自分の心に動きに数秒分析がはいる。
でも、あの日は分析できなかった。
半狂乱状態だった。そしてショック状態は数ヶ月続いた。
それは後悔と自己嫌悪の日々。
友人は初夏に他界していた。
携帯のロックが解除できず、お母さんは
私たちに連絡ができなかったのだ。
後日、墓前を訪れ、ここ数年の彼女のことをお母さんから聞いた。
私は何も知らなかった。親友とは名ばかりだ。
当時、自分のことでいっぱいいっぱいで、
あからさまに弱音を吐かない彼女の微細なサインを見逃していた。
彼女はいつも元気で笑顔で可憐で
お婆さんになるまでそれは変わらないと信じ込んでいた。
もうすぐ彼女の命日だ。
彼女は亡くなる数日前に、会社で突然倒れた。
その日にちを聞いて、ふとある記憶が蘇った。
不思議な体調が数日続いたことを思い出した。
もともと不眠体質で、眠れなくなることは珍しいことではなかった。
でも明らかにいつもと違う鋭い覚醒が異常に続く数日があった。
この強い覚醒はなに?どうしてこんなに眠れない?
と不思議に思っていたので、印象に残っていた。
活動量計の睡眠記録をたどった。
活動量計の日付は彼女が倒れた日と一致していた。
その日、睡眠のグラフは乱高下を繰り返している。
偶然とは思えなかった。彼女が私を呼んでいたと思った。
あの夜、繰り返し襲ってきた鋭い覚醒は
彼女が私の名前を呼んでいたんだと思った。
今でも耳の中の記憶が新しい、彼女の声。
どうしてあの時、気づけなかった。
勘違いでもいい。もしかして、とどうして思えなかったのだ。
あの時気付けば、彼女に会える可能性はまだ残っていたのに。
どんなに自分を責めても彼女は帰ってこない。
あれから3年が経ち、彼女にもう会えないことはいつしか日常になり
仕事部屋に飾った彼女の写真の顔を時々撫でて、ごめんねと謝る。
もう自分はこの喪失を受け入れて、立ち直っていると思っていた。
この夏のボイトレのある日のレッスンで
「涙そうそう」が課題曲として与えられた。
有名曲だ。歌詞も知っている。お師匠に促され、一回歌ってみる。
最初から最後まで歌えた。
歌えるっていうことは、それぐらい聞いたことがあるんだなと思った。
でも、「涙そうそう」の意味は知らなかった。
沖縄の言葉で、涙がポロポロ流れることだという。
亡くなったお兄さんを思って書かれた詩だということも
知らなかった。自宅に帰り、少し歌ってみた。
いつもいつも胸の中、はげましてくれる人よ。
彼女が浮かんだ。
晴れ渡る日も雨の日も、浮かぶあの笑顔
彼女を思った。
私は全く歌えなくなってしまった。
歌の成り立ちを知らない時は最初から最後まで歌えたのに。
突き上げるように強い感情が立ち上がり
どうしてもぼろぼろ泣いてしまう。
言葉の意味の知り、言葉へ込められた思いを知った途端
見える世界が変わり、この曲は別の歌になった。
お師匠は歌う前に、歌詞を私に朗読させる。
歌わなくても読んでいるだけで、
いつもの自分が消えてしまう。
無防備に裸になった自分の感情が
お師匠の前で恥ずかしげもなく
あられもない姿をさらけだしてしまう。
そんな私にお師匠は昔の写真を見せてくれた。
少し若いお師匠の笑顔が可愛らしく温かい。
「次は録音しよう、じゃ、いくわよ。」
お師匠の声に、気持ちがすっと立ち上がり、
私を包むようなギターの伴奏に誘われるように
すっと息を吸う。
1番は無事に歌えた。
2番も行けそうだった。
夕暮れに見上げる空、心いっぱいあなた探す
この歌の練習を始めてから、私は犬の散歩中、空を見上げて
彼女を思っていた。
悲しみにも、喜びにも 思うあの笑顔
あなたの場所から私が見えたら、きっといつか
私の中から聞いたことのない声が出てきた。
声が、ビリビリしていた。
剥き出しで泣きたい自分と
抑制して歌いたい自分が
モンゴル民族のホーミーのようだ。
音程のなかに声が二つ聞こえた。
一瞬、彼女が来た?とも思った。
会えると信じ生きていく。
最後だけいつもの声で歌えた。
帰宅後、おもちゃのボタンを繰り返し押す子供のように
私はビリビリ声の音源を何度も何度も聞いた。
そこに何かがあるわけじゃないし、
何かを見つけたいわけでもないのに。
でも、彼女の声を探したかったのかもしれない。
歌を歌っているのは
知らないことを知るのが楽しいからだ。
歌が上手くなりたいとはあまり思っていない。
歌は音程と言葉だけで出来てると思っていた。
お師匠はそんな私の雑なスケッチに
いつも筆を入れて情景を広げてくれる。
そして、歌の持っている力が
私の知らない何かが一つ、またやってきた。
まだ終わっていない私の中の喪失が
歌を通してここにいるよと
私の心と体に伝えてきた気がする。
歌は媒体なんだな。
彼女にもう一度会えた気がした。
