#002 サッカーユニフォームの向こうに人生が見える
今回は私のライフジャーニーとサッカーユニフォームの収集について書いてみます。何でライフジャーニーとユニフォームが結びつくのか、意味がわからないですよね。
はじまりは95年 ラツィオのカッコよさ
まず、私のサッカーユニフォーム収集の原体験は1995年の磐田市は東山、ジュビロ磐田スタジアムにあります。黄金期を迎えていたイタリアセリエAのこれまた黄金期を迎えつつあったSSラツィオが欧州サッカーのプレシーズンツアーで磐田にやってきました。(試合結果 Lazio wiki) ジュゼッペ・シニョーリにカジラーギ、ネスタ、ディバイオ、ネグロ…週刊サッカーマガジンで見たことがあるイタリア代表がずらり。しかもユニフォーム(↓画像)が超カッコ良かった。ベンチにはポール・ガスコイン(イングランドサッカー史上最高の天才。明るくも繊細な性格でアルコールと精神疾患に苦しんだ。)も座っていました。試合は中山雅史とトト・スキラッチの大暴れでジュビロが快勝。シニョーリの代名詞である助走なしPKは試合の翌日に校庭で真似しましたが全然威力が出なかったよね。でも、駆け出しのプロクラブだったジュビロでも結構戦えていたから、イタリアはそんなに遠くない気がしたし、ジュビロに夢を賭けて世界に打って出れば俺も案外行けるんじゃないかと夢が膨らみました。
左足一本でゴールを襲い続けたベッペ・シニョーリ。引退後は八百長を主導した賭博グループの幹部に転身・・・なんともイタリアらしいキャリアだ。勿論逮捕されたけど。
そして、バイトしてお金を貯めて、ラツィオのユニフォームを買いました。ジュビロ以外で初めて買ったこのユニフォームは、今でも私の部屋に飾られています。
インターネットも無かった当時、子供が夢や妄想を広げ、描き続ける力は今よりも研ぎ澄まされていたように思います。今の時代だったら、ラツィオ以上に魅力的なクラブをすぐに見つけて目移りしてしまい、リヴァプールFCやマンチェスターシティあたりのユニフォームを買ってどこにでもいるマス消費者に落ち着いてしまっていたはずです。そして、コレクターさんのInstagramを見れば、ユニフォームを集め始めた自分の20年後の姿までネタバレしてしまい、夢や妄想は広がらないでしょう。
ボンボネラの情念の渦中へ
ラツィオのシャツを買ってから今日まで、30年近く欠かさず続けているルーティンがあります。
「旅に出たら、その街のクラブのユニフォームを1着買って帰る」
プライベートでも、仕事でも、海外に出たら必ず1着買うのがミッションです。今や私のクローゼットにはユニフォームが何着あるのかよく分かりません。たぶん150~170着くらいかな?
そして、私のもうひとつの原体験に出逢います。2000年のトヨタカップです。国立競技場を埋め尽くしたボカ・ジュニオルス(アルゼンチン)を愛する皆さんに心を奪われました。
当時はクラブ世界一決定戦(欧州vs南米)=トヨタカップを東京国立競技場で開催していた。ボカがレアルマドリーを破った衝撃の一戦は世界を震わせ、地球の未来を変えた。
リケルメやパレルモがピッチ上で見せた電撃的なカウンターアタックや奥行きを生かしたスタイルのサッカーの面白さはもちろん、彼らを追い掛けてきたボステロ(糞回収業者=ボカファンの愛称)の情熱、価値観、そしてその酔狂な生き方に、心を奪われてしまいました。

このとき、この美しいスウェーデンカラーのQuilmesを手に入れてしまってから、私の正装はもう20年以上ユニフォームに短パン、サンダル、バケットハットのまま変わっていません。
これは近年我が国の若者に定着したBloke Core(サッカーユニフォームなどのスポーツウェアを、日常着として着こなすスタイル)を先取りしたわけではありません。私はラテンアメリカのその辺にいるおじさんになりたかっただけです。

我が子にも「Bloke Core流行ってんだろ。ユニフォームどれでも持っていっていいぞ。ストリートで違いを見せつけてやれ。」と私の自慢のコレクションを差し出してみますが、冷たく拒否されています。学生さんが楽しむライトなBlokeはガチすぎるチョイスのユニフォームだとかえって痛々しいんだそうな。
メキシコの豊かな民族アイコンに魅せられて
2010年代には、仕事でメキシコに長期滞在する良縁をいただきました。それまでラテンアメリカはアルゼンチンとブラジルを旅行で訪れたことしかなかった私でしたが、 メキシコの、トラディショナルで彩りあふれるデザインのユニフォームと、その背景に広がる深淵なサッカー文化、そして豊かな民族のアイコンに心を奪われるのにそう時間はかかりませんでした。
滞在していた街は、人口当たりの殺人事件発生率ランキングで南北アメリカ大陸チャンピオンにもなったことがあるバイオレンスなエリアで、日が沈むと銃声が聞こえ、夜が明けるといろいろ転がっているヤバい生活環境でしたが、毎日、1986年メキシコW杯の舞台となった古びたスタジアムをバスの窓から眺められる通勤ルートは最高で、毎日がとても充実していました。
首都メキシコシティの名門プーマスUNAM。このクラブのユニフォームの胸にはエンブレムが無く、腹に巨大なプーマの顔を描くのが通例となっている。2016-17モデルの金のユニフォームは本当に美しかった。
会社から支給される危険手当には手をつけずに貯め込み、夕食は日本から持ち込んだカップ麺、近所の薬局で売っているバサバサの安いパンとコーク、たまに近所の屋台でタコスを食べて凌ぎました。高地での労働に脳を溶かし、銃声に震えつつ、次の週末に出会えるサッカーシーンと、ユニフォームを楽しみにしながら。

本田圭佑選手とキャリアジャーニー
メキシコで働く人達から学んだことは多かったです。特に、明日を生きるために自分のキャリアと真剣に向き合い、時間を惜しまずスキルを磨き、堂々と次のキャリアに向かう決断を繰り返す彼らの力強い生命力は自分のワークキャリア、ライフキャリア両面の道標となりました。また、ビジネスの現場では心に突き刺さるようなとんでもないハードシップ、原体験も得られました。
必死に働いていたら、いつの間にかイタリアのACミランから本田圭佑選手がメキシコに移籍してきてバカスカ点を決めまくり、危険で不自由の多い駐在員達の生活を少しだけ彩ってくれました。これもまた良い思い出です。
本田選手も唯一無二のジャーニーマン。とっても興味深いキャリア観の持ち主ですよね。大好きな選手です。
たぶん、このパチューカ時代が本田圭佑選手の最後のピーク。日本本国ではあまり報じられませんでしたが、ド派手なゴールを決めまくって現地で頑張る日本人たちを元気にしてくれました。
今は転職してメキシコへ行くことはなくなりましたが、私の憧憬は消えることはありません。 コパ・アメリカや、'26W杯のメキシコ代表ユニフォームもきっちり確保しました。手元に届いてから「この独特の柄、どう着こなせばいいのか……」と一瞬困惑しましたが、それくらいでないとこの国のサッカーは面白くありません。
コレクションはあちらの世界に持って逝けない
最近は歳をとり、少しばかり身体の衰えを感じます。
ユニフォームも私と共に歳をとり、マーキングの劣化が進んできています。そして、コレクションはあちらの世界へ持って逝けないという不条理にもじわじわ気づきつつあります。 それでもユニフォーム1着1着には、自分だけの、誰にも想像できない素敵な思い出が詰まっています。眺めるたびに、何度でも私に「生きている実感」を与えてくれます。
それでも私はまだ、財産を整理して隠居するにはパワーが残りすぎているようです。 だから、もう一度ラテンアメリカの地を訪れ、心が満たされるその時までは変わらず南米のおじさんにあこがれ続けようと思います。
他に何を着たら良いかよく分からないからね。
あすたるえご。
ちゃうちゃう。
