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#87『顔を捨てた男』(2025)~いくら外見を変えても、自分からは逃げ切れない。私の人生を他人に奪われる、A24の最恐不条理劇~

こんにちは、まーみんです🐧
去年の東京コミコンで一緒に写真を撮ってもらった、大好きなセバスチャン・スタン主演の作品を観ました!鑑賞後もしばらくさまざまな感情が頭の中をぐるぐると駆け巡っています。外見と内面の関係性を深く問いかける、ものすごい余韻に包まれる作品でした。


おすすめしたい人

  • ​セバスチャン・スタンの新境地となる怪演を堪能したい人

  • ​人間のエゴやコンプレックスを鋭く描いたA24作品が好きな人

  • ​鑑賞後に考察を巡らせたり、誰かと深く語り合ったりしたい人

おすすめしない人

  • ​すっきりと分かりやすい大団円の結末を求めている人

  • ​人間のドロドロとした執着や精神的な崩壊を見るのが苦手な人

​あらすじ

​顔に極端な変形を持つ、俳優志望のエドワード。隣人で劇作家を目指すイングリッドに惹かれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きる彼は、ある日、外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩み出した矢先、目の前に現れたのは、かつての自分の「顔」に似たカリスマ性のある男オズワルドだった。その出会いによって、エドワードの運命は想像もつかない方向へと猛烈に逆転していく───。

Filmarksより引用

​監督

​アーロン・シムバーグ

​キャスト

​エドワード…セバスチャン・スタン
​オズワルド…アダム・ピアソン
​イングリッド…レインスヴェ

​感想(ネタバレなし)


​スクリーンから溢れ出るセバスタの圧倒的な表現力

​東京コミコンでお会いしたときの紳士的な笑顔が記憶に新しいセバスチャン・スタンですが、今作での演技はまさに圧巻の一言に尽きます。前半の特殊メイクを施した状態での、周囲の視線に怯えつつも夢を諦めきれない繊細な演技から、顔が変わった後の自信に満ちた表情への変化が見事です。外見が変わることで解き放たれた喜びと、その裏に潜むどこか危うい空気感を、繊細な目の動きや佇まいだけで表現していて、彼の役者としての底知れない実力を改めて見せつけられました。ちなみにセバスチャンは、この特殊メイク姿のまま街を歩き、役作りに励んだそうです。そうした徹底的なアプローチが、作品のリアリティをさらに高めています。

​外見の呪縛と本当の自分を見失う迷宮

​物語は、誰もが一度は考えたことがある、もしも違う顔に生まれ変わったらという願いを、皮肉を交えて描き出します。治療によって完璧な容姿を手に入れ、本来の自分とは全く異なる人物として生きることを選んだエドワードの決断には、観ていて衝撃を受けました。新しい顔は彼に成功をもたらす一方で、過去の自分を消し去りきれないジレンマを生み出します。専門的な言葉を使わずとも、人間の心にある根深い劣等感や、容姿が変わっても満たされない魂の渇きがダイレクトに伝わってくるような感覚を覚えました。

​ここからネタバレありの感想

​オズワルドという光の存在とエドワードの歪む心

​中盤から登場するオズワルドの存在が、エドワードが別人として築き上げた新しい世界を容赦なく揺さぶり始めます。オズワルドは、かつてのエドワードが持っていた身体的特徴がありながらも、エドワードとは正反対に、社交的で、機知に富み、周囲の人々を惹きつける不思議な魅力を持っていました。エドワードは「自分の人生がうまくいかないのは、すべてこの「顔」のせいだ」と思っていたように思います。だからこそ、自分の顔を削ぎ落とすように捨て、別人「ガイ」として生き直す決断をしたわけです。 ですが、オズワルドの登場によって、その前提が根底から覆されます。 「うまくいかない本当の原因は、顔(外見)ではなく、自分自身の内面(卑屈さ、被害妄想、自信のなさ)にあったのだ」というあまりにも残酷な現実を、オズワルドという存在そのものが言葉なしに証明してしまうのです。自分のこれまでの選択や人生そのものを否定されるような残酷な鏡だったのだと感じます。

​奪われるアイデンティティと、消費される「かつての自分」

物語がさらに不気味な狂気を帯びていくのは、エドワードを題材にした舞台劇をめぐる展開です。エドワード(今はハンサムなガイ)は、かつての自分自身の役を「特殊メイクをして」演じることで、自らの過去を乗り越えようとします。ここですでに歪んだ欺瞞が生まれているのですが、そこへ本物の特徴を持つオズワルドがやってきて、その役を軽々とさらっていきます。演出家のイングリッドも含め、周囲の人々のエゴも非常にリアルで痛烈です。イングリッドはエドワードの元の姿を哀れみ、それを劇という「アート」にして都合よく消費しようとしました。そして、より本物で、より魅力的なオズワルドが現れた途端に、イングリッドもまたオズワルドへと心移りしていきます。自分の人生、自分の痛み、自分だけの苦しみだったはずのものが、自分以外の「元の姿のまま輝く他者」によって、美しくアップデートされて世間に消費されていく。 自分の人生の主役ですら、今の美しい顔の自分(ガイ)には演じさせてもらえないという、アイデンティティの完全な剥奪と、それに伴う狂気への転落の描き方は、ホラー映画以上に背筋が凍るプロセスでした。

オズワルドはいったい何者なのか?そして「えっ、ここで終わり?」の結末が残すもの

観終わった後もずっと頭を離れないのが、「オズワルドは何者なのか、ただの偶然だったのか」という疑問です。オズワルドは現実の人間であると同時に、エドワード自身が「もし自分が、自分の姿を愛して自信を持って生きていたら辿り着けたかもしれない、あり得たはずの理想の未来の象徴」だったのではないでしょうか。彼が単なる偶然でエドワードの前に現れたのだとしたら、これほど恐ろしい運命の悪戯はありません。そして、映画は「えっ、ここで終わるの!?」という唐突なラストを迎えます。 はっきりとした結末は一切提示されません。 顔を変え、過去を捨ててまで掴もうとした幸せの終着点が、あまりにも呆気なく、そして虚無に満ちたものであることに気付かされた時、エドワードが抱いた絶望が画面を越えて私たちに覆い被さってきます。「いくら外見(皮)を綺麗に生まれ変わらせても、自分自身(マインド)から逃げ切ることはできない」 この映画が突きつける容赦のないメッセージは、現代のルッキズム(外見至上主義)への痛烈な皮肉であると同時に、私たちの心の一番奥深くにある弱さを抉り出す、計り知れない余韻を残す幕切れでした。

外見と内面、そして自分らしさという深いテーマについて、これほどまでに考えさせられる作品に出会えたことに感謝です。コミコンでのセバスタの思い出を胸に観ましたが、彼の役者としての新境地を目の当たりにして、さらにファンになってしまいました!

​次の更新もお楽しみに♪
それではまたね👋

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