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「父の死」は悲しいが、死は悲しくはない

5月24日、娘の婚約者のご両親と会食。
式をあげないのなら、早く入籍しちゃえばと話がまとまり、大安の26日に入籍。
その夜、病院から、入院中の父が意識不明との連絡が入る。
27日、妹夫婦と母が見舞いに。
やはり、意識は戻らないまま。血圧は正常とのこと。
その深夜、23時半頃に病院から電話。
血圧が急激に下がってきた。すぐに来てほしい。
母と妹に連絡をとりながら、病院に向かう。

病院では心臓マッサージを看護師が懸命に続けていてくれた。
何とか息子さんが来られるまではと、お父さんも頑張られました。
ただ、これ以上は続けても体にダメージが残るだけとのことで、ストップしてもらう。
28日の0時17分、父は亡くなった。
その直後、母と妹夫婦が駆けつけた。

父は、僕の娘、自分の孫の入籍を見届けるようにして、そして、それを僕に自慢するのを待っていたかのように逝った。

もちろん、そんなはずはない。
そんなに都合よく意識不明になって、亡くなれるわけがない。
しかし、物事に意味をつけることができるのは、生きているものの特権だ。

その後、斎場の霊安室に移動され、通夜、告別式の段取りはスムーズに進んだ。
妹夫婦が、その関係の仕事についているために任せておけばよかった。
身近にそういう人がいればいいが、そうでない方は、できるだけ細かいところまで自分の生前に打ち合わせをしておくことをお勧めする。
遺族を困らせないために。

90歳。
日本人男性の平均寿命が81歳であることを考えると、よく生きた方だろう。
人生100年時代などと言っているが、100歳まで生きられるのは、まだまだごく一部だ。
100年ビジネスに惑わされては行けない。
ついつい、自分も100歳まで生きられるような気になるが、決してそうではない。
その手前で息絶える可能性の方が遥かに大きいのだ。

父の苦労話などは書かない。
その年代の人は、多かれ少なかれ苦労しているだろう。
ただ、馬鹿な息子のために被った苦労については、いずれ書こうと思う。

父は、多分自分が死んだことを知らない。
それならば、父の死という、本人も知らない死とは、誰のものなのか。
人は、どう足掻いても、自分の死を体験することはできない。
それは、自分の姿を見ることができないのと同じだ。

人は、自分の姿を自分の目で見ることはできない。
せいぜい、鏡や写真で見て、そこに映る自分そのものではない「他人」の姿から推測することしかできない。
しかし、それは自分自身ではない。
同じように、人は他人の死を見て、自分の死を、自分の死もこのようなものだろうと推測するしかない。
しかし、それは同じく、自分の死ではない。

考えてみれば、人は、生まれて散々苦労しながら、結局自分について何ひとつ知ることなく、目にすることなく、死んでいく。しかも、その死すらも知ることはない。
この不条理。

そもそも、死とは、人の人生の中でいつのことを言うのか。
死ぬというのは、これから死ぬということで、まだ生きている。
死んだというのは、すでに死んでいる状態だ。
死そのものには、長さはない。
だから、目にすることも感じることもできない。

本来、面積のない線や点を人は見ることはできないはずだ。
それを、線や点として名づけているのは、あくまでも仮のものだ。
死という言葉も、本来、その向こうには、何もない。
あくまでも、仮のものを指しているに過ぎない。
見ることのできない死そのものと、死という言葉の間には、決して一致することのないズレと揺らぎがある。

すべからく言葉というものは、そのようなものではないだろうか。
目の前にあるコップをコップと呼ぶときに、果たしてそれは一致しているのか。
そこには、限りになく同一に近づきながらも、重なりきれないズレがあるはずだ。
にもかかわらず、コップという言葉がなければ、コップをコップとして見ることはできない。

こんなことを思いながらも、段取りは進んでいく。
時折思い浮かぶ「父の死」は悲しいが、死について考えていれば悲しくない。
誰かの死は、悲しいものだが、死そのものには何の感情もない。
自分の死は、恐ろしいものだが、死そのものは怖くも何ともない。
だから、人は死について考える。
悲しさや、恐怖から逃れるために。

通夜から先は、儀式だ。
生きているものによる、生きているもののための儀式だ。
そもそも釈迦が、焼香の回数まで定めているわけはない。
本来、死体なんてものは、その辺にうっちゃっておかれたはずだ。
しかし、近くに放置しておくとそれを目当てに猛獣が集まってくる。
すると、生きている自分達まで襲われる危険がある。
そこで、できるだけ離れたところまで持っていき、隠すために埋めた。

どうせ、そのあたりが始まりに違いない。
これをビジネスにしたやつは天才だ。

喪主は母だが、高齢のために代わりに挨拶をした。
アドリブにしては、うまくやれた方だろう。
当日は、朝から雨が降っていた。
「お足元のお悪い中」がお約束だ。

大体、葬式の日の天気は、極端に暑いか寒いか、あるいは雨か。
相場は決まっている。
だから、こんなものだろうと思っていた。
焼き場に向かうために外に出た時、雲の間から日がさした。
思わず、「おお」と声が出た。

火葬場で焼かれた骨と、戦場で焼け残った骨と、何の違いがあるのだろうか。
もはや、個性などというものはない。
人は、最後は骨という抽象的なものになって消えていく。

まだまだ、事務的な手続きもあり、四十九日、納骨と残ってはいるが、ひとまず僕の父の物語は終わったとしていいだろう。
父の物語は、書棚に静かに納められた。

もし、これから身近な人の死に出会うことがあれば、悲しみから逃れるために、「その人の死」から離れて死そのものを考えてみてはどうだろうか。
「その人の死」は悲しいが、死は悲しくはない。

僕もこれから何度も、「父の死」を思うことがあるだろうが、そんな時には、「父」を振り払い、死について考えることにする。

それに、四六時中悲しいわけではない。
笑える時には、笑えばいい。
そう思う。





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