SFの思い出
1 Introduction
僕が初めて読書に慣れ親しんだのが〝Science Fiction(SF)〟だったので、今回はこのSFについての思い出を語りたい。
ただ、読み耽ったのが小学生の頃の話なので、記憶が曖昧な点にはご容赦いただきたい。
僕の読書遍歴はそうして小学生前半のSFから始まって、小学生後半の歴史本、それからは随分間が空いて受験期には読書とは言わないかもしれないが参考書などを挟んで、あとは就職してからの技術本やマーケティング関係、それらが一段落したところで古代ギリシャ中心に哲学本、といった感じでSFとはずっとご無沙汰してしまったのでSF界の現状はよく分からないのだが、たまに本屋のSF文庫本のコーナーを眺めてみると、小学生の頃に読んだ覚えのある懐かし本ばかりで棚のスペースも縮小、新しい作家の本はあまり出てきていないような印象だ。
僕が小学生の頃でも、その頃既に大御所になっていた作家の本がほとんどだったから、新刊単行本を買うことも少なく、〝創元推理文庫〟〝ハヤカワ文庫〟といった文庫コーナーが定番の〝行きつけ棚〟といった具合だった。
もちろん、最近でもたまに新しいSF映画なんかも公開されることがあるようだし、ちゃんと調べれば新しいSF作家もいるのだろうけれど、やっぱりSFの全盛期は1860〜1930年代に遡る〝SFの父〟と言われる〝ジュール・ヴェルヌ〟と〝H・G・ウェルズ〟や1950〜1970年代のR・A・ハインライン〟と〝アーサー・C・クラーク〟の頃で、今では本のメインジャンルの一つではなくなってしまった印象だ。
現代では科学技術の進歩が著しく、宇宙探索や情報技術がかつての〝空想〟を現実化してしまったことがその理由かもしれない。
僕が子どもの頃は、SFこそが時空を超えて異次元・異空間に誘ってくれる最高のエンターテインメントだった。
そんな僕のSFについての郷愁と思い出話にしばらくお付き合い願いたい。
2 ジュール・ヴェルヌ(1828.2.8 - 1905.3.24)
いつもなら好きな順に作家を取り上げていってしまうところなのだが、〝思い出〟を語るに相応しく、ここではおおよそ生年の年代順に僕が好んで読んだSF作家について語っていこう。
先ずは当然〝ジュール・ヴェルヌ〟だ。
SFに詳しくない人も何かしら読んだり、読んでなくても名前や本のタイトルだけは知っていると思うので説明不要と思うが、〝SFの父〟と称されるフランスの作家で、代表作には、『地底旅行』(1864年)、『海底二万里』(1870年)、『月世界へ行く』(1870年)、SFではないが冒険小説の、『八十日間世界一周』(1873年)、『十五少年漂流記』(1888年)、などがある。
これらはもちろん僕も全部読んでいる。また、映画化されたものも多い。
今ヴェルヌの生年と著作の発表年を見ると、
(僕が生まれる1世紀近い昔の小説を読んでいたんだなあ)
と感慨深い。日本では、生年の1828年は江戸時代文政11年将軍徳川家斉の時代だし、『地底旅行』の1864年もまだ江戸時代、『海底二万里』と『月世界へ行く』の1870年になってようやく明治時代(明治3年)という時代背景となる。
そんな大昔のSF小説を読んで小学生が未来を空想していたのだ。
自分が絶対に行ったり見たりできない地底や海底や月の世界を覗き見る、これが僕たちの欲求だったし、初期のSFのスタンダードであり、ヴェルヌの作品は正にそういうものだった。
あまりにも昔で幼少の頃に読んだものだから、詳しい内容の記憶は無いのだけれど、描かれる未知の世界を探検できるだけで楽しかったし、ストーリーや登場人物像みたいなところには著者も読者も重点を置いていなかったように思う(記憶に残っていないだけかもしれないが)。
『十五少年漂流記』は子ども向けだったからか、『月世界へ行く』はさすがに遠すぎる世界で空想に限界があったのか、どちらも厚さの薄い本だったと記憶しているが、『海底二万里』は随分厚い本だったことはよく覚えていて、創元推理文庫の情報今調べてみたら、549ページの大書だった。
ヴェルヌが一番力入れた作品だったのかもしれない。
本の厚さだけの話になってしまって恐縮だが、それだけ小さな頃に熱中したSF作家・作品ということでご容赦いただきたい。
ヴェルヌが僕にとってSFの世界への入り口だったことは間違いない。
3 H・G・ウェルズ(1866年9月21日 - 1946年8月13日)
「ヴェルヌ派?ウェルズ派」
と訊かれたら、僕はウェルズ派だった。2人の本を読んでいた頃はどちらも〝SFの父〟と呼ばれていたし、同年代の作家と思っていたのだが、今生年情報を確認してみると、40年弱も年齢差があって、ここで取り上げる〝H・G・ウェルズ〟の方が若い。
僕がウェルズ派だったのも、この年齢差に起因していて、ウェルズの作品の方がさらに先を行っていたからなのかもしれない。
ウェルズはイギリスの作家で、代表作には、『タイム・マシン』(1895年)、『モロー博士の島』(1896年)、『透明人間』(1897年)、『宇宙戦争』(1898年)、『月世界最初の人間』(1901年)、などがある。
これらも僕は全部読んでいる。また、やはりほとんどの作品が映画化されており、僕も映画化されたものは全部観たんじゃないかと記憶している。
どれも面白かったのだが、強いて一番面白かったのを挙げるとすれば『宇宙戦争』だろうか。
現代の人だったら、タイトルからは宇宙を舞台とした高度異星人とのハイテク戦争をイメージしてしまうと思うけれど、原題は『The War of the Worlds』で、地球に侵略してきた火星人との地球上での戦いを描いたSF小説だ。その火星人も大きな頭に長い手脚のいわゆる〝タコ型宇宙人〟で人間の姿とは程遠く、高度知能生命体のイメージではない。
『タイム・マシン』では、主人公が自分で作ったタイム・マシンで訪れた80万年先の未来は退化した世界だったり、『モロー博士の島』では、獣人作りの実験に勤しむ狂気の博士の話だったり、と未来や科学に対する懐疑的な見方のSF作品や、SF以外ではノンフィクションの社会批判や平和主義・人権主義を主張した著作も多い。
こうした側面もヴェルヌの作品との違いであり、進歩の跡が見えるところと言えるのかもしれない。
もちろん、小学生だった僕がそんな背景を考えならウェルズの作品を読んだはずもないのだが。
4 E・R・バローズ(1875年9月1日 - 1950年3月19日)
〝E・R・バローズ〟はアメリカ人で、いわゆる〝スペースオペラ〟の代表的作家だ。スペースオペラとは宇宙を舞台とした冒険物・ヒーロー物でエンターテインメント性溢れるSF小説のジャンルだ。SF雑誌〝アメージング・ストーリーズ〟の連載を中心に1930年代から1950年代にかけて全盛期を迎えた。
バロースの代表作には、誰もがお馴染みの『ターザンシリーズ』(1912年〜)、『火星シリーズ』(1917年〜)、『ペルシダー(地底世界)シリーズ』(1922年〜)、『ムーン(月)シリーズ』(1926年〜)、『金星シリーズ』(1934年〜)、などがある。全部〝シリーズ〟だから総巻数は膨大になるが、もちろん僕は全部買って読んでいる。
スペースオペラはすでに説明したように、冒険あり恋愛ありのエンタメだから、〝科学的にどうなの?〟という野暮な疑問は横に置いておいて、とにかく痛快で楽しい。小学生の頃から文章を書くのが好きだった僕は、バローズに倣って似たようなSF小説にチャレンジしたこともあったほどだ。
特に好きだったのが『火星シリーズ』と『金星シリーズ』。
『火星シリーズ』は第1巻のタイトル『火星のプリンセス』とある通り、主人公の地球人〝ジョン・カーター〟が火星を冒険して彼の地の王女〝デジャー・ソリス〟の愛を勝ち得る冒険活劇だ。『火星のプリンセス』は2012年にディズニーが『ジョン・カーター』のタイトルで映画化したのでご存知の方もいるだろう。
『金星シリーズ』は全5巻と、他の主力シリーズと比べると巻数が少ないのだが、僕は『火星シリーズ』同様楽しく読んだ記憶がある。訳者の厚木淳氏のあとがきによると、共産主義やナチスなどの政治・社会風刺になっているとのことだが、ウェルズのところで書いたのと同じく、当時の小学生の僕はそんなことはつゆ知らずに異世界を舞台にした波乱万丈の冒険小説として楽しんでいた。
僕が生まれてこれまでに買った同一作家の本で、SF以外も含めてダントツ一番で冊数が多いのがこのバローズだ。
5 ピエール・ブール(1912年2月21日 - 1994年1月30日)
次はここまでの作家たちとは違って、1作品だけ読んだフランスのSF作家〝ピエール・ブール〟だ。
ピエール・ブールという作家名は初耳だとしても映画『猿の惑星』は誰もが知っているに違いない。
1968年の『猿の惑星』に始まり、『続・猿の惑星』(1970年)、『新・猿の惑星』(1972年)、『猿の惑星・征服』(1972年)、『最後の猿の惑星』(1973年)、と5作も続いた大ヒットSF映画だ。
僕も実は映画が先で後から原作に興味を持って読んだ〝映画が先〟のパターンだった。
ピエール・ブールの代表作には、『猿の惑星』(1963年)の他に、SF作品ではないがこれまた映画で有名な『戦場にかける橋』(1952年)、文明批評的な7つのSF短編が収録された『E=mc2』(1957年)などがあるが、僕が読んだのは最初に書いた通り、『猿の惑星』だけだ。
映画『猿の惑星』は、睡眠薬で眠った4人の飛行士を乗せた宇宙船が見知らぬ惑星に不時着すると、そこは猿が人間を支配する世界で、猿たちに捕えられた船員が猿の女性獣医とその婚約者の猿の考古学者の助けを借りて〝禁断地帯〟とされる過去の人類文明が眠る洞穴に赴き、そこの海岸で倒れた〝自由の女神像〟を発見して、その惑星は実は未来の地球だった、ということを知る衝撃のエンディングの作品だ。当時、猿の表情をリアルに表現した特殊メイク技術にも注目が集まった。
今では技術の進歩でバーチャルやAIで様々な特殊効果や人工映像を取り入れることができるが、当時の人間業での映像作品としてはSF映画の最高作品だっと言ってもいいのではないかと思う。
ということで、原作を読んではみたものの、実は原作小説ならではの印象や感想は持ち合わせていない。
それだけ映像作品の出来が素晴らしかったのであるが、こうした傑作映画が生み出されたのは原作あってこそのことなのだから、その発想をはじめ原作者のピエール・ブールにも賞賛を贈らなけれいけないだろうと考えてここに取り上げさせてもらった。
6 イアン・フレミング(1908年5月28日 - 1964年8月12日)
この辺りで、SFの本道からはちょっと外れてしまうが、誰もが知っているスパイ映画の超人気シリーズ〝007〟の原作者〝イアン・フレミング〟を取り上げよう。
〝007〟は僕の大好きなスパイアクションだ。
イアン・フレミングはイギリスの作家で、主人公の007『ジェームズ・ボンド』シリーズとして、
『カジノ・ロワイヤル』(1953年)、『死ぬのは奴らだ』(1954年)、『ムーンレイカー』(1955年)、『ダイヤモンドは永遠に』(1956年)、『ロシアから愛をこめて』(1957年)、『ドクター・ノオ』(1958年)、『ゴールドフィンガー』(1959年)、『サンダーボール作戦』(1961年)、『わたしを愛したスパイ』(1962年)、『女王陛下の007』(1963年)、『007は二度死ぬ』(1964年)、『黄金の銃を持つ男』(1965年)、があり、いずれも映画化されて大ヒットしている。
〝007〟は他のSF作品とは違って、僕は小学生前半というより、割と最近も含めてもう少し後年に映画や原作を体験した。
映画の方は、おそらくみなさんと同様、次々と展開されるハラハラドキドキのアクションシーンや毎回出てくる美女ヒロインとのロマンスシーンも大好きだったのだが、映画から興味を持って読んだ原作の方は、邦訳がイマイチだったのが主原因だったと思うのだが、映画ほどのカッコ良さや面白さを感じることができなかった。映画が素晴らし過ぎる場合の〝あるある〟で、仕方ないことなんじゃないかと思う。
ジェームズ・ボンドシリーズは最初にも書いた通り、SF小説ではなくスパイ小説なのだけれど、僕にとってはE・R・バローズのところで取り上げたスペースオペラと同ジャンルのエンターテインメント作品なので、特別にここで扱わせてもらった。
7 R・A・ハインライン(1907年7月7日 - 1988年5月8日)
僕がSFにはまっていた頃、この〝R・A・ハインライン〟と次に取り上げる〝アーサー・C・クラーク〟がSF界の両巨頭として扱われ、この2人に短編集『わたしはロボット』など『ロボットシリーズ』で有名な〝アイザック・アシモフ〟を加えて、〝SF界のビッグスリー〟と呼ばれていた。
ハインラインはSF全盛期を代表する作家の1人だ。
ハインラインはアメリの作家で、代表作には、『ガニメデの少年』(1950年)、『太陽系帝国の危機(ダブル・スター)』(1956年)、『夏への扉』(1957年)、『宇宙の戦士』(1959年)、『異星の客』(1961年)、『月は無慈悲な夜の女王』(1966年)、などがある。
作品はたくさんあるのだけれど、僕はおそらく『異星の客』しか読んだことがないと思う。しかも『007シリーズ』同様、読んだのが小学生前半ではなく、ずいぶん後年になってのことだった。動機は、〝どうしても読みたい〟というのではなく、その頃僕は『オン・ザ・ロード(路上)』のジャック・ケルアック〟などの1950年代〝ビート・ジェネレーション〟文学に入れ込んでいて、その中のどれかの本のあとがきか何かでヒッピーとか自由恋愛・個人主義の絡みで〝ヒューゴー賞〟(SF・ファンタジーの優秀作に贈られる賞)受賞作品の『異星の客』の紹介があり、
(そういえば、SFにはまっていた小学生の頃にも有名な作家として知っていたけど、1冊も読んでいなかったなあ)
と思い出して、ヒッピーの経典とされ一番厚い(文庫本で781ページ)この本を手に取ったのだった。
ハインラインの作品はそうした文化背景の他にもそれまでのSF作家と比べて科学技術の考証の水準も高くSF界を代表する作家であることは間違いないのだが、『異星の客』を読んだ頃の僕はすでに興味がSFから他の文学に移ってしまっていたためか、ハインラインに入れ込むこともなく、次の作品を手に取ることもなかった。
8 アーサー・C・クラーク(1917年12月16日 - 2008年3月19日)
〝アーサー・C・クラーク〟もSFの巨匠だ。
アーサー・C・クラークはイギリスの作家で、代表作には、『銀河帝国の崩壊』(1948年)、『火星の砂』(1951年)、『幼年期の終り』(1953年)、『海底牧場』(1957年)、『宇宙の旅シリーズ』全4巻(1968年〜1997年)、『宇宙のランデヴーシリーズ(ラーマシリーズ)』全4巻(1973年〜1993年)、などがある。
『2001年宇宙の旅』は映画化されて1968年に公開された。
アーサー・C・クラークも、ヒューゴー賞とネビュラ賞(ともにSF・ファンタジー作品を対象とした文学賞)を複数回受賞している。
彼は〝クラークの三法則〟と呼ばれる以下の3つの法則を提唱していて、3つ目が一番有名だ。
①高名だが高齢の科学者が「それは可能である」と言った場合、その主張はほぼ確実に正しい。彼が「それは不可能である」と言った場合、その主張はほぼ確実に間違っている。
②物事の可能性の限界を測る唯一の方法は、その限界を少しだけ超えて不可能の領域に踏み込むことである。
③十分に高度な科学技術は、魔法と区別できない。
アーサー・C・クラークの本は子どもの頃に『宇宙のランデヴー』を読んだ記憶があるのだが、これらの法則を提唱するだけあって作品内容についての科学的裏付けにも腐心していたのだろうか、太陽系外から来た直径7kmの謎の巨大円筒型物体〝ラーマ〟が回転して発生する遠心力によって人工的に重力を作り出している、という発想には子ども心に感心した覚えがある。
けれど、ハインライン同様、最初の方で取り上げた古い世代のSF作家たちほどのめり込むことはなく、本棚にアーサー・C・クラークの作品がそれ以上に増えることもなかった。
9 ウィリアム・バロウズ(1914年2月5日 - 1997年8月2日)
ハインラインとの並びの関係と作風が一般のSFと大きく異なるため、生年ではアーサー・C・クラークと順番が前後したが、ここで〝ウィリアム・バロウズ〟を取り上げる。
バロウズはアメリカの作家で、ハインラインのところで少し触れた僕の好きな1950年代のビート・ジェネレーションを代表する作家の1人であり、代表作には、『ジャンキー』(1953年)、『クィア』(1953年)、『裸のランチ』(1959年)、『ソフト・マシーン』(1961年)、『ブレードランナー』(1979年)、などがある。
この中で、『裸のランチ』は麻薬中毒の幻覚を扱った問題作・代表作であり、僕が読んだのもこれだ。
僕がこの本を手に取ったのは、すでに書いたように僕が興味を持っていたビート・ジェネレーション作家であったことと、この後に取り上げる僕が一番好きなSF作家〝J・G・バラード〟たちがバロウズのことを〝ニューウェーブSFの星〟と持ち上げていたのがきっかけだった。
『裸のランチ』は内容が卑猥であったためアメリカ政府から発禁処分を受けたりしたが、こういう普通の文学とはかけ離れた〝実験小説〟の類は僕は好きだ。
バロウズは、ニューヨークをはじめ様々な場所に移り住み、〝アレン・ギンズバーグ〟や僕の好きな〝ジャック・ケルアック〟といった他のビート・ジェネレーション作家たちと知り合い、共同生活を送ったりもしている。
ちなみに、バロウズは自分自身が麻薬常習者であり、妻を射殺する事件も起こしており、人間としては最悪の作家だった。
10 星新一(1926年9月6日 - 1997年12月30日)
終わりが近づいてきたので、この辺で日本の作家も取り上げておこう。
日本でSFといったら、やっぱりこの人〝星新一〟だ。
星新一は言わずと知れた短編SF〝ショートショートの神様〟であり、代表作には、『気まぐれ指数』(1963年)、『エヌ氏の遊園地』(1966年)、『マイ国家』(1968年)、『声の網』(1970年)、『ボッコちゃん』(1971年)など、他にも短編集を中心に数々のSF作品がある。
僕が小学生の頃は星新一が大流行りで、本を貸しあったりしてみんなで読んでいた。
作品数が膨大だったから全部読んだわけではないけれど、それでも不思議に透明感のある文章・文体が好きでたくさんのタイトルを楽しんだ記憶が鮮明に残っている。星新一の本の魅力はその文章とともに、無機質で未来的な挿絵にもあった。挿絵はほとんどをイラストレーターの〝真鍋博〟が描いていて、星新一の文章との相性が抜群だった。
余計な話だが、その星新一の影響なのか、僕は小説の尺は長編よりもショートショートくらいの短編がちょうどいいように感じていて、自分が書いている小説も短編ばかりだ。
11 J・G・バラード(1930年11月15日 - 2009年4月19日)
やっと辿り着いた。これが最後で〝J・G・バラード〟。小学生の時から今に至るまで常に僕が一番好きだったSF作家だ。
このエッセイを書こうと思いついたのは、バラードことをぜひ書きたい、と思ったのがきっかけだったと言っても過言ではない。
バラードの作品を読むと、極端な異世界を描いているわけではないのに、理屈抜きに〝シュール〟(超現実)な気分になれるのだ。
感情の無い無機質な世界。これを描けるのはバラード以外にない。
バラードは、イギリスの作家で、代表作には、『狂風世界』(1962年)、『沈んだ世界』(1962年)・『燃える世界』(1965年)・『結晶世界』(1966年)のいわゆる『破滅三部作』、『ハイ・ライズ』(1975年)、『スーパー・カンヌ』(2000年)、など多数の作品がある。
僕は、その他の作品も含めてバラードのほとんどの著作を読んでいる。
幼少の頃に『破滅三部作』を読んで、随分後年になって『スーパー・カンヌ』を読んだわけだが、バラードのシュールな魅力は不変だった。
彼が書いた小説は〝ニューウェーブSF〟と呼ばれ、バラードは、
「これからのSFが探索すべきは、外宇宙ではなく、人間の意識の内宇宙だ」
と語っている。
僕は音楽はハードロックが好きで〝エドワード・ヴァン・ヘイレン〟のファンでもあるのだが、少し飛びすぎた比喩になってしまうが、バラードの感情が欠如したような無機質な文体はエディのギタープレイに通じるものがあるように感じるのだ。
これは〝感覚〟の話だから、その感覚をわかってもらうには、実際にバラードの文章を読んでもらうしかない。
繰り返しになってしまうが、バラードはみなさんにもぜひ薦めたい僕にとってダントツに大好きなSF作家なのである。
12 Epilogue
僕が小学生前半の頃を中心に熱心に読み耽って空想の世界を旅したSF小説とその作家について語ってきたが、何せ昔の幼少の時の話で本の内容についての記憶も薄れていたり曖昧で、ここまでお付き合いいただいて辛抱強く読んでくれたみなさんには、
(参考になるところもほとんどなかっただろう)
と、お詫びの気持ちでいっぱいだ。
それなのに申し訳ないけれど、これを書き上げた僕は今、満足な気持ちに満たされている。
僕がまだ世の中のことも知らず、何の予見も偏見も持たない幼少期に、ただ〝面白い・楽しい〟と感じただけの理由で愛した珠玉の作品たちについて、
(これを書いてみよう)
と思い立った気まぐれがきっかけで、少なくとも〝思い出リスト〟としてまとめることができたからだ。
みなさんの小さい頃に読んだ本はどんな本でしたか?
一度振り返ってみるのも楽しいと思いますよ!
そんなきっかけになったなら嬉しいです。
