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みたりきいたり

思い出したように時折、「さっきからずーっとYou Tube観てない?」「目の休憩した?」などと子どもに注意したりして偉そうなことであるが、かく言うわたしは子供のころ―といっても小学生以降―わりと映像(テレビ番組、映画、ミュージックビデオ)を観ていたため、そしてそのことがもたらした良い点や悪い点をなんとなく挙げることはできるのだろうけれど、何より楽しかったという自覚が強いために、突き詰めれば(きみの気持ちはよくわかる)ということでしかない。じぶんが子どものころにYou Tubeといったものがなかっただけで、教育テレビはあったし、ビデオやDVDで映画も観られたし、ケーブルテレビに加入したあかつきにはMTVもSPACE SHOWER TVもカートゥーンネットワークも観られた。

子どもが「これ好きなんだよねぇ」と言って、You Tubeで宇多田ヒカルの『Mine or Yours』を流している。「ママも好き?」「コラボの曲(※)とどっちが好き?」「この曲いつの曲?」などなど、降り注いでくるクエスチョンに意識が遠のきながら、「なにか飲むかい?」の歌詞のところで「ポンジュースとこたえてはどうか」などと述べつつ、食器を洗う。わたしにとって、夕方はいつも靄の中。

ふと気がつくと、夕食の時間にも『Mine or Yours』が流れていた。わたしが「音楽ならいいよ」とよく言うので、Eテレ番組(『ピタゴラスイッチ』『0655 』『2355』『アイラブみー』)をループしていた子どもが音楽に替えたのかもしれない。ということは、わたしが「ごはんに集中しなさい」と言ったのかもしれない。靄の中から現在に至るいつかの時点で。

「これ、好きなんだよねぇ」
とまたしみじみ言っている。好きなのはいいことだ。ごはんを食べてほしい。

「天井が下がってくるんだよねぇ」

「天井が下がってくるの?」
「そうだよ。もうすぐ。見ててごらん」

宇多田ヒカルが寝そべってキッチンの床にたまごを―底を割らずに―立てる。一度立ったたまごは転がって、それからシャンデリアのぶら下がった黄色い天井が下りてくる。そこまで急ぐ風でもない宇多田ヒカルは這いつくばって廊下を抜けて、脱衣室へ行く。ドラム式洗濯機の下から小さななにか丸いものを拾って、それから洗濯機の中へ入る。天井が下がり続ける。バタ足をするようにして彼女の脚がつま先までぜんぶ洗濯機の中に入って、いなくなって、ドラム式の丸い扉は開いたまま、曲が終わる。

「洗濯機に入っちゃうんだよねぇ」
と子どもが言う。

約1年の間、何度もこの曲を聴いていたのに、たまごが床に立つことも、天井が下りてくることも、宇多田ヒカルが洗濯機に入っちゃうことも、わたしはまるごと知らなかった。驚いた。見ているようで、なにも見ていないということだ。

「テレビずーっと観てないで遠くを見なさい」

と小言を受けていた子どもは本当に見ていて、「好きなんだよねぇ」と言っていたのだった。

いま子どもが好きなのは、ピクサーの短編映画『心を紡いで』という作品で、主人公はPurlという名前のピンクの毛糸玉。わたしも好きだがそれにしてもしょっちゅう観ており、ぬいぐるみに「けいとだまくん」という名前をつけようとしたほどだ。

いろんな立場や研究からいろんな見解があるのだろうが、好きなものに出会えたり繰り返し観たり聴いたりすることがかつてよりもずっと気軽にできるというのは、それはそれでシンプルに喜ばしいことのように思う。


※Charlie Puth『Home (feat. Hikaru Utada)』


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