「束の間の旅」
その日は、誰にも平等にやってくる。
死の元の平等――。
たとえ人間の寿命が、200歳や300歳に伸びたとしても、
死の恐怖や、
苦しみや悲しみは、なくならないであろう。
未来社会にも、宗教は存続し続けるであろう。
この世がいかにバラ色に輝こうとも、医学がいかに発達しようとも、
宗教なくば、死の恐怖を乗り越えることは難しい。
そしてまた、いちはやく、死の恐怖を超越した者こそ、英雄となり、覚者ともなるのだ。
人生も半ばを過ぎたなら、
少しずつ、この辺の執着を減らしてゆけ。
名誉心をおさえ、利己心を透明なものへと変えていけ。
財産はあっても、持ってはゆけない。
怒り少なくして、穏やかな心となることを尊ぶがよい。
あの世から見れば、
この世は束の間の旅にしか過ぎないのだ。
【感想・気づき】
今日は3.11。
東日本大震災から14年あっという間に月が経って、2025年となりました。
しかし私たちの心の中に、まだ震災の記憶は、爪痕を残し続けているようにも感じます。
毎年3.11になると、皆さんが鎮魂の祈りをされている姿が目に入ります。
何か未曽有の事態があったときに「祈る」という行為。
それ自体が、誰に言われたでもなく、自然と心から湧き出てくる。
だとすれば、「祈り」とは、人間が持っている本質的なものなのだろうなと思って感動しております。
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亡くなられた方々に対して、祈りを捧げる。
二度とこのようなことがないように祈りを捧げる。
素晴らしいことです。
さらにもう1歩踏み込むならば、
一体何に対して祈りを捧げて、今後どうやって行きたいのか。
そういう決意のようなものを表明できるようになると、より建設的で積極的な祈りになるのかなとも感じております。
海外の諸宗教、たとえばキリスト教であれば、イエス・キリストであったり、天なる父に対して祈りを捧げると言う構図が明らかなのですが、
日本人は、一体何に対し祈っているのかはまだよくわからないとも言われています。
こういう時だからこそ、過去の痛みに思いを馳せるのであれば、その先に存在している「神様」に対して、心からの祈りを捧げてみるのも良いのではないかなと思います。
神様といっても、いろんな種類の神様がいらっしゃると言われています。
日本に八百万の神々という存在もいらっしゃいますが、
そのさらに先に、「地球の神」とも言うべきご存在がいらっしゃると教えていただいております。
日本の神様よりもさらに上の存在がいて、それが世界的な存在であるとのは、理にかなった考え方だなと思いますよね。
もう1段大きな視野を持つためにも、日本大震災のような大きな震災の爪痕に対して祈る場合には、地球の神様に対して、
「どうかこの先も私たちが健康で幸福でありますように。明るい未来が訪れますように。私たちもそれに対して向けて努力精進していきます」
と言うような祈りの誓いができたら素晴らしいことだと思います。
私たちの人生はほんの一瞬、つかの間の旅だとも教えていただいています。
人生がいつ終わるかわからない。今日で終わりかもしれない。
そんな思いも持ちつつ、生きている私たち。
ただ、「祈る」という行為を通して、私たちは永遠の人生を生きているようにも感じます。
少なくとも、「祈り」の瞬間だけは、神と一体になることも、思い出の中の方々と心を通わせることもできる。
そのような不思議な気持ちもしております。
いざという時に想い残しがないように。行き過ぎた名誉心や権力欲などの執着を去って、スッキリさっぱりと生きていきたいものですね。
私も過去に痛みに寄り添いつつ、心を込めて今日の祈りを捧げ、明日に向かって前進していきたいなと思います。
今日の1日が皆さんとって純粋な祈りの1日となりますように。
祈りの先に、明るい未来が拓けていきますように。
拙い感想を最後までご覧くださり、誠にありがとうございました。
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