【エッセイ】私は花を生けることに夢中だった
そう、夢中だったのは20年前のことだ。夫の海外赴任に同行して、フィリピンのマカティ市で暮らしていた。
𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁ 𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁ 𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁
そもそも、夫のこの言葉から始まった。
「会社の玄関に花を生けてほしいんだけど」
どうも殺風景で、何とかしたいと言う。草月流の華道教室に通ったことがあったので、二つ返事で引き受けた。
翌日、スーパーで花を買ってきて、床の間に飾るような、スタンダードな型で生けた。しかし、地味で見栄えがよくない。私は早々に自力では無理だと悟った。
そこで、以前から気になっていた近所の華道教室に通うことにした。フィリピン在住20年以上の日本人女性が自宅で教えていた。先生は当時50代後半で、見た目も雰囲気もデヴィ夫人にそっくりだった。歯に衣着せぬ物言いまで似ていたので、私は緊張しながら通い始めた。
毎週月曜日の午後2時から4時まで、手ほどきを受けた。前半は教科書に沿って基本型から学んだ。偶然にもこの先生も草月流だった。後半は「お好きなように生けて」と言われた。剣山だけではなくて、吸水スポンジにも花を挿して、気の向くままアレンジメントを楽しんだ。
「いろんな花を見て、選ぶ目を養いなさい」は、先生の口癖だった。
教室のある前日は、花を調達するために、車で1時間の花市場へ通った。直径30センチくらいのバケツを下げて、花屋を10軒ほど回った。
よく買ったのは、百合、菊、薔薇、蘭、ガーベラ、カラー、アンスリウムなど。冷房が効きにくい会社の玄関でも、5日は元気でいてほしい。とにかく新鮮な花を選んだ。時にはオランダからやって来たチューリップや、日本からの紫陽花も買うことができた。
フィリピン人は、日本人以上に花好きだ。しかし常夏のフィリピンでは、生花は傷みやすい。だから花を飾るといったら、ほとんどが造花。それに、生花は日本以上に高価だった。私の場合は、会社の経費で落とせると言うので、バケツにあふれるほど買った。
ただし、枝物はなかなか買えなかった。扱う店が少なかったのだ。
「枝は必須の花材です」
これも先生の口癖。
買えなかった時は、住んでいたマンションのスタッフに頼み込んで、中庭のグアバの枝を2、3本、切らせてもらった。
「今日もご主人様の会社へいらっしゃるの?」
教室が終わったら、今度は会社のために花を生けることを、先生は喜んでくれた。私以外の生徒は、自宅に飾るだけだった。
「ご自分の花を、多くの人の目に触れる場所に飾ることは、上達につながるわ」
先生はそう言って、私を見送ってくれた。
午後4時半、会社の玄関に着く。アレンジメントを生けていると、フィリピン人社員たちが通る度に声をかけてくる。
「今週の花もきれいですね」
「この花の名前を教えてください」
そんなやり取りが楽しかった。
会社はオフィスビルの15階で、同じ階には銀行も入っていた。私が作業を始めると、銀行の重役らしきフィリピン人男性がやって来て、しばらくじっと見ていた。その視線が恥ずかしくも、うれしかった。
玄関が終わると、次は応接室へ行く。ここでは派手にならないよう、シンプルに生けた。
午後6時過ぎ、私が終わるのを待っていた夫と会社を出て、外食して帰る。毎週月曜日の午後は、こんなふうに過ごしていた。
会社には1日おきに通って、水を足したり、しおれた花を新しいのに替えたりした。
たまにハプニングも起こった。
ある朝、出勤した夫が電話をかけてきて、
「玄関の花がひっくり返っているよ」。
慌てて会社へ行くと、花や枝が吸水スポンジに挿さったまま、テーブルから床に落ちていた。花器の代わりに使っていたガラスの器の足が折れたのだった。清掃スタッフが、濡れた床を拭いてくれていた。
ある時、フィリピン人社員の結婚式に呼ばれた。新郎のお父さんが、夫と私の席まであいさつに来てくれて……、私は思わず叫んでしまった。お父さんは、隣の銀行の例の重役だったのだ。
「私は、あなたの生ける花に癒されていました。ありがとう」
そう言われて、胸がいっぱいになった。
𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁ 𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁ 𓂃.◌𓈒𖡼𓂂❁
3年間の任期を終えて帰国してからは、花をバケツにあふれるほどは買えないし、花を触るは年に数回になった。
あの頃、花を生けることに夢中だった私は、間違いなく恵まれていて、幸せ者だった。
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました m(__)m
あなたの大切な時間を私の記事を読むために使ってくださったこと、本当に嬉しく有難く思っています。
また読んでいただけるように書き続けたいと思います。
