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【エッセイ】母の声

「もしもし、別に用事はないんだけど……」
最近の母からの電話は、こんな調子で始まる。暇を持て余している声。朝昼晩と1日3回かかってくる日もあれば、1回だけの日もある。
2週間前、介護付き老人ホームに1ヵ月の予定で入所した。ほぼ寝たきり状態が、今も続いている。

89歳の母に昨年から試練が続いている。昨年11月、痛んでいた左の股関節を削り、金属製の人工関節に置き換える手術を受けた。その後、入院生活は2ヵ月余り続いた。今年6月には、今度は右の膝に人工関節を入れた。そして入院。8月2日にやっと退院できて、杖を使って歩けるまでになった。
「お嫁に出した娘に、いつまでも甘えられないわ。これからはリハビリのつもりで、私が家事をやっていくわ」
そう言われて、私は晴れてお役御免となり、東京へ帰ってきた。

しかしその矢先、母は腰椎の第二関節を骨折した。
「朝、ベッドから起き上がろうとしただけなのに、骨折したの……」
一度は実家に戻ろうと思った。しかし今、東京の新型コロナウイルスの感染者が過去最多を更新している。この時期に実家に帰っていいものか。母も私もワクチン接種がまだ済んでいない。
「帰ってこなくていいわよ。私は大丈夫よ。整形外科でコルセットを作ってもらったし」
母の前向きな声に安心した。

その安心した3日後、再び電話がきた。
「もしもし、さっき老人ホームに入ったの」
老人ホームと聞いて驚いた。
「あれから、どんどん痛くなって、トイレに行くのも、一人では行けなくて……」
驚いた。
「お父さんを、私から解放してあげたかったの。私が家にいると、お父さんは大変なの。お父さんがどんどん痩せていくのよ……」
身長180センチの父の体重が、45キロになった。私が帰らなかったばかりに、家事と母の介護が、94歳の父に集中した。母はそれを気に病んだ。老人ホームに入ると言って聞かなかったと、あとで父に聞いた。
「お父さんはね、『気にしなくていい。家にいればいい』って言ってくれたの。でもね……」
母の涙声を久しぶりに聞いた。

しかし、翌日は明るい声に戻っていた。
「今日のお昼も美味しかったわ」
自宅と変わらず、食欲旺盛でよかった。
「昨日から、食事は食堂でとってるの。動くと痛いけど、車椅子で連れってもらえるし、テレビ見ながら、おしゃべりもできるしね」
確かに、24時間寝たきりはつらすぎる。
「食堂を出た所に、アイスクリーム専用の冷凍庫が置いてあるの。それでね、頼むと、アイスキャンディを一本もらえるのよ!」
昨日、めそめそしていた人とは思えない。
「でも、朝ごはんや晩ご飯の後はダメなの! 鍵がかかってて、介護士さんもその鍵を持ってないのよ」
不満そうな声が、ちょっとかわいい。

母の退屈しのぎになればと、書きたてホヤホヤの自作エッセイを郵送した。
「届いたわ。でも今日のエッセイには、先生の添削が入ってなかったわよ。先生がどんな感想をお持ちになったのか、それを読むのが楽しみなのに……」
エッセイ教室の講師のことを言っている。はいはい、返していただいたら送ります。
来月のエッセイは、自宅で父と一緒に読んでほしいものだ。そうなるように、あと少しだと思うから、踏ん張ってほしい。

(2021年9月に書きました)

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平(たいら) はられ 最後まで読んでくださり、ありがとうございました m(__)m あなたの大切な時間を私の記事を読むために使ってくださったこと、本当に嬉しく有難く思っています。 また読んでいただけるように書き続けたいと思います。