見て見ぬフリした罪悪感が教えてくれたこと
こちらの記事の続編です。
ニュースを全く見ないわたしだけど
最近とある情報収集のためにオンラインを徘徊していると
さまざまなニュースが目に飛び込んでくるようになった。
ニュースって、戦いが行われていた時代
自分たちの身を守るための注意喚起の大きな意味があり
現在どこどこでこんな危機がおこっています
というものを明るみに出す役割があった。
今もそうで、とにかくニュース番組を維持させるため
大きいニュースがないときは
小さな事件もセンセーショナルに報道して
大衆の注意を引き危機に対し心づもりをしてもらうための
任務でもあり彼らの正義でもあるのだ。
いつもありがとうございます✨✨(あんま見ないけど笑)
ちなみにマーケティング手法も
センセーショナルな演出で
それを見る人たちの注意を引くというアレコレを駆使している。
最初は初めてのことだから
わたしものっかって広報やマーケを楽しんでいたけれど
それが見る人たちのためになるかといえばそうでもなく
結局大半売りたい儲けたいこちら側の利益の話しなので
つまらなくなって興味を失っちゃった😊
本来の元祖マーケティングは
売りたい側のためのものではなかったはずなのに
今や日本の広告や広報活動は
自分のメリット追及型が多くて
なんだか楽しくなくなっているよね。
ワクワクしない。
宇宙視座で見る全体性の福利になる行動の方が
自我の考える利己的行動よりはるかに魂が震えると
気づいている人が増えている。
広報活動は集客のために
頑張って商品のよさを自らアピールするより
ただ在るだけで惹きつける魅力によるもの。それだけ。
もうすでに多くの人は気づき始めている。
おっと。この話題はいつかまた。
そして本題。
見て見ぬフリのことで
最近胸にグっと刺さって痛かったことをご紹介する。
遭難者がたった一人で滑落した。
結構大変な状況だったようだ。
その時近くを人が通り現場を目撃するが
助けを求めるもその人たちは何もせず声もかけずその場を離れた。
きっと救助の手配にいってくれたのだろうと
安心して待っていても待てど暮らせど救助は訪れず数日たった。
その後も幾度となく人の声や気配を感じたものの
救助が訪れることなく死亡したという話だった。
真意のほどは定かではないが
その状況そのままを受け取ると似たようなことは町中でもおこっている。
命の危機と思われるような状況や助けを求めている場面で
ただスマホをかざして撮影しつづるだけで
助けようとはしない周囲の人々。
渾身の思いで助けてと叫んでいるのに
多くの人が手を伸ばせば届く距離にそこにいるのに
誰一人して手を貸してくれない。
薄らぐ意識の中でどれほどの絶望と無念を感じるのだろう。
そう思うと心がえぐり取られるほどつらくなる。
それにシンクロする体験が
次々と思い出された。
特にまだ言葉がしゃべれずベビーチェアに載っていたころの記憶がフラッシュバックした。
とある日ベビーチェアに寝かせられお庭で日光浴をさせられていたわたし。
突然見知らぬおばちゃんが現れて
顔をおもいっきり近づけてきて挨拶をした。
そのおばちゃんが初めて見る人なうえ
顔には大きな大きなほくろがあった。
それがなんだかわからず違和感でビックリしたわたしは
ギャン泣きしてしまった。
しかしおばちゃんはわたしの気持ちなどわからないから
必至のパッチで
いないいないばーをしたり
おどけたりして笑わせようとする。
その頑張ってる感がまたわたしに圧として伝わり
ギャン泣きを加速させた。
とにかくこの状況をなんとかしたくて
母親に助けを求めるためにさらにギャン泣きしたけれど
泣けど泣けど母親は現れず
おばちゃんもあきらめてどっかへ行ってしまった。
疲れ果てたわたしは泣きじゃくりながらそのまま寝落ちしてしまった。
近くにいるはずの母が
見て見ぬフリして
危機に陥ってぱにくってるわたしを助けにこなかった
という乳児時代に受けたトラウマ。
乳児のころはふつうはまだ母子一体感の時期で
自分と母親を同一視していて
目の前にいる母親は鏡の中の自分だと勘違いしている時期でもある。
そんな時期の過渡期に母親が裏切ったともも捉えてしまう出来事がおきて
わたしの中に自分を信じられない信念の形成ができていたのだ。
しかし自分を疑ってかかる思考の癖は
仕事の面では大いに役に立ち
現状に満足せず向上しつづけるシゴデキ人間となり
若いころは
同年代女性よりは稼げる自分となった要因のひとつにもなった😊
手に職を持ち食うには困らないと言われる
経済的に自立した若い時期を過ごした。
さらにその上で水商売でもナンバーワンに輝くなど
稼ぐ力をしっかり身につけていた。
ただ出費がそれの数倍ってことで借金地獄になったのだけど笑
逆に寝たきりの要介護生活になり
経済的自立ができず支援を受ける自分も体験できた。
そうすべては完璧にうまくいっている。
全て必然。
両極の体験を通して初めて真実が見えてくるから
また共依存症の課題を浮き彫りにさせてくれる出来事でもある。
自分を信頼できないと他人も信頼できない。
危機に陥っている誰かをその場で助ける、手を貸すのが正義だと
なんでもかんでも助けようとしてしまう。
それって本当はその人が自らの力で回復できるって信じていないからなのだ。
危機とはチャンス。
つまり相手の危機助けることは
相手の次元上昇のチャンスを奪うこと。
信じるとは
手も出さず口も出さず愛で観測し続けることだ。
相手の身に起きた危機でも信じて見守るタフloveという
強い愛の学びを体験することで統合していく。
わたしも頭ではわかっているのに
今の危機に悩む相手をひとごとに感じられず
ついつい手出し口出ししてしまい
相手を依存させてしまう結果を招いたことたびたびもあった。
依存心は重くなる。
依存されると
エネルギーバンパイアだから離れる
という選択を繰り返した。
相手が自らで立つ可能性を
わたしがバンパイアしていたことの投影なのに😊
全部内側の投影✨✨
お金の問題があるなら稼ぎ方を教えるという
短絡的なビジネス塾のようなことにも傾いたこともある。
宇宙的クロージングロープレとか
成約のとれる宇宙マインドとか
宇宙につながりヒラメキをおこして
ノウハウにない独自のオンリーワンビジネスメソッドではあるものの。
見て見ぬフリをする罪悪感が
わたしをビジネスを教える役割に駆り立てた。
早く収益を手にするのが最善だという信念のために。
いまはわかる。
幼いころ見て見ぬフリをされたと思っていたのは
自分の勝手な解釈なだけ。
母は「おばちゃんとわたしだから安心❤」という信頼感で
その場を任せていただけにすぎなかったのかもしれない。
そりゃ知らないおじさん来てたらすっとんできたのかもよね( ´艸`)
見て見ぬフリをされた痛みが愛に変わり
見て見ぬフリしてきた自分の罪悪感が愛に変わる。
見て見ぬフリしてきた人の真の部分がわかり
見て見ぬフリしてきた人を許せるようになる。
さまざまな体験を経てこうして
覚醒の道を歩いて行ける今があるから!
人生の集大成。
過去の体験全てを宝物に変えていく。
そして美しい美しいその宝物を
多くの人と分かち合う。
だって枯れない源泉だから
与えても与えても宝石が次々にあふれてくる。
美しい宝石が多くの人の手に渡り
みんな真の豊かさに目覚めていく。
過去に見て見ぬフリしてきて隠し続けていた出来事
そろそろ表にだしましょうか。
それはよく見ればダイアモンドを凌駕する世界最高峰の宝石なのですから。
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