タイの田舎で過ごした子どもの頃の一日
子どもの頃、年に一度、日本からタイ南部の田舎に一時帰国していた。
そこはこんな世界だった。
朝は、壺に貯められた水を桶で掬って浴びるところから始まる。最初は冷たさに驚いたが、すぐにそれが普通になった。
バスタオルに潜んでいた赤蟻に気がつかず身体を拭き、全身激痛に襲われた。
髪の毛は濡れたまま放置するのが常だった。
暑さで程なくして乾いた。
家の外に置いてあるテーブルに並ぶ朝ごはん。
パートンコーとオアンティン。
ある日はガイトートともち米、ムーピンの日もあった。
早起きの祖父がバイクを走らせ買ってきたものだ。
周りの大人を真似て、素手で食べた。
明日は一緒に買いに行くか?
と何度も誘われたが一度も起きられなかった。
祖父はいつも上にシャツを着ておらず、パーカオマーを腰に巻くだけだった。どうしておじいちゃんは服を着ないのかと聞いたら、その場にいた人たちが大笑いしていた。結局答えは分からないままだった。
入れ替わり立ち替わり、誰かが来ては、また誰かが去る。親戚なのか、近所の人なのか、たまたま居合わせた人なのか、よくわからなかった。
女性たちは世間話に花を咲かせ、男性たちは紙でタバコ葉を巻いて吸っていた。
誰がそこにいても、誰も気にしていないようだった。
そうやって、一日が始まる。
家の前の木に登って青いマンゴーをもぎ取る。
地面に落ちた椰子の実を割って、予想に反して生温いジュースを飲む。
団扇で炭の火を起こすのを手伝う。
漁師が売りに来た魚に塩をもみ込み、プラーケムを作る。
裏庭からは、鶏を絞める声が聞こえてくる。
五感が忙しい毎日だった。
親戚の家を回ると、どの家でも「食べていけ」と言われた。断るという選択肢はないようだった。
特別なご馳走ではなく、お邪魔した時に家にあったであろうおかずや果物、タイ菓子などが出てきた。
それが飾らない愛情だと分かるまで、少し時間がかかった。
夕方になると、どの家でも夕食の準備が始まる。
祖母が椰子の実を削るところから料理はスタートした。
いつからそこに居るのか分からない唐辛子やマナオ、バイマックルーを摘む。カレーペーストを石臼クロックで叩く等間隔の音がする。獲ってきた貝は、その日のうちに香辛料と炒められる。
庭で遊びながらご飯ができるのを待つ。
なぜか私と弟にだけ、蚊がひっきりなしに群がった。誰かが蚊よけに椰子の皮を燃やしてくれた。
その燻されたような匂いは鼻にツンとくるが、心地良い。
3チャンネルのドラマの時間になると、女性陣がわらわらとテレビの前に集まってきた。画面の中のタイ語は、家族が話すタイ語とは違って聞こえた。
その頃の私は、南部の言葉が標準語だと思っていた。
消灯の時間になると、固い床にゴザを敷いて、蚊帳の中に潜り込む。暑さでなかなか寝付けない。
網目越しに大きな天井扇を見上げながら、ウンアンやトッケーの鳴き声をしばらく聞いていた。外からは色んな生き物の音が聞こえた。
日本に帰る日が近づくと、祖父が木を削ってゴムのパチンコを作ってくれた。日本へのお土産だと。
せっかくもらった手作りの品なのに、あれはどこにやってしまったのだろう。
タイの地元は、ただそこに「子どものわたし」として存在しているだけで良い場所だった。
mari.
タイに一時帰国していた期間中の私のタイ語の発語については次の記事で触れたいと思います。

結構力がいる作業
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