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翻訳できない温度 多言語対応の通知を読んで、コーヒーが冷めた夜のこと


その夜、私は台所のテーブルで、
冷めかけたコーヒーを前に画面を見ていた。

窓の外は小雨だった。今日の夜は静かで、車の音もほとんどない。

換気扇の低い唸り声だけが、時間が止まっていないことを教えてくれていた。

画面には、noteのお知らせが表示されていた。

「日本語で書いた記事が、自動で多言語対応されます」
読んだ。もう一回読んだ。


5月27日からはじまる



コーヒーカップを持ちかけた手が、中途半端なところで止まった。


正直に言うと、最初の感情は喜びじゃなかった。


なんというか、じわじわと膝の裏側が冷えるような、あの感覚だった。


私はこの半年、自分の文章がどこまで届くのかも分からないまま、ひたすら「書く」を続けてきた。


クラウドワークス、note、執筆・・・・


50代で、副業を始めようとして、AIという言葉に怯えながら、何度も「もう遅い」と思いながら。


それでも書いてきたのは、ただ、書くことしかできなかったからだ。


英語は、読めば少しわかるくらい。書けるとはとても言えない。


だから「海外に届ける」なんて、自分の話ではないと思っていた。


山の頂上の話を、登り口でうずくまりながら聞くような、そういう感じ。


それが、画面の中の短い文章で、急に崩れた。


怖かった。


素直にそう思った。
「世界に開く」という言葉が、リビングに放り込まれた石のように転がっていた。


私の文章が、誰かに見られる。それも、日本語を読まない誰かに。


そのとき頭に浮かんだのは、自分が去年書いた記事だった。
AIの使い方がわからなくて、三日間ぐるぐると同じ検索を繰り返した話。


友人に「そのやり方、古くない?」と言われて、夜中にこっそり泣いた話。
副業の収益が三ヶ月、ゼロのまま、スマホの画面の光だけで自分を照らしていた話。


そういう、誰かに見せるにはちょっと恥ずかしいような話を、私は書いてきた。

それが、翻訳される。
どこかの誰かが読む。


雨音が少し強くなった。
コーヒーはもう飲む気になれなくて、カップをシンクに持っていった。


水を流しながら、ぼんやり考えた。
私の文章は、翻訳できるのだろうか。


「よかよ」とか「〜やけんね」とか、そういう言葉の温度まで。


三日間悩んで、ようやく書けた一文の、その「ようやく」の重みまで。
たぶん、全部は届かない。

それでも、と思った。



世界のどこかに、今夜も画面の前で立ち止まっている人がいる気がした。


年齢のことを言い訳にしながら、でも本当は怖いだけで、新しい何かを前にして膝が震えている人が。


言語は違っても、その感触は同じじゃないかと、なんとなく思った。


「もう遅い」という言葉は、どの国の言葉にも、きっと翻訳できる。

私はテーブルに戻って、また画面を開いた。


書きかけの記事が、そのままになっていた。


削除しようか迷っていた段落がある。「こんな失敗談、誰が読むんやろ」と思って、何度もカーソルを合わせていた部分。


その夜は、消さなかった。
理由は、うまく言えない。


ただ、翻訳されたとしても、されなかったとしても、この文章を書いたのは私で、この温度は私のものだと、そう思っただけだ。

窓の外の雨は、まだ続いていた。



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マー先生@書きながら考える50代 応援ありがとうございます!嬉しいです。