写真家 北島敬三
写真が強かったかどうかを論じる前に、その人が写真とともにどう生きてきたのかを、いま一度考えてみたくなった。北島敬三の写真を前にして残るのは、評価でも結論でもなく、理解しようとして立ち止まった時間そのものだった。
北島敬三の写真を見ていると、こちらの態度が試されているような気持ちになる。評価しようとすると、評価の手前で立ち止まってしまう。
1970年代から80年代にかけての写真については、もはや多くを言う必要はないのだと思う。東京、コザ、ニューヨーク。あの写真群には、時代の匂いや都市の荒さ以上のものが写っている。もっと単純で、もっとどうしようもないもの。身体が、そこに反応してしまったという事実そのものだ。
ストロボ一発で切り取られた光景は、構図として美しいわけでも、物語として完成しているわけでもない。ただ、近づいてしまった、という感じがある。近づいてはいけない距離まで、身体が勝手に踏み込んでしまった痕跡が、そのまま残っている。だから、あの時代の写真は強い。うまく撮れているからではなく、引き返せなかったからだ。
それに比べると、21世紀以降の写真は静かだ。題材は重く、社会的で、語る言葉も用意されている。けれど、写真そのものがこちらに迫ってくることはない。正しく、整っていて、どこか遠い。
この変化を、衰えと呼ぶことはできる。あるいは転向とも言える。ただ、そう言ってしまうと、何か決定的なものを見落としてしまう気がする。
北島敬三にとって写真は、表現だったのだろうか。少なくとも、そういう扱われ方をすることは多かった。けれど、写真を見続けていると、別の感触が残る。
写真は、彼にとって自分がここにいると確かめるための行為だったのではないか。作品を残すためでも、メッセージを届けるためでもなく、ただ存在が切れていないことを確認するための、きわめて個人的な行為。
もしそうだとしたら、やめるという選択肢はなかったのだと思う。写真が弱くなったからやめる、という判断は、最初から成立していない。やめることは、方向転換ではなく、消失に近かったはずだ。
長野県立美術館の展覧会は、そのことを驚くほど率直に示していた。展示の最後に置かれていたのは、強風の吹き荒ぶ岬の上で、三脚を立てようとする北島の姿を捉えた映像だった。何かがうまくいく気配はない。劇的な光景が現れるわけでもない。ただ、思うようにならない身体と、それでも立ち続ける人間がいる。
そこには、救済も、回復もない。あるのは執念と哀しみ、そして、それでも続けてしまうという事実だけだ。
私はこの展覧会を見て、北島敬三を肯定したいとも、否定したいとも思わなかった。ただ、彼が人生を賭けて写真とともに生きてきたことだけは、はっきりと伝わってきた。
北島のような生き方を、自分が選ぶことはない。それでも、あの写真が生まれた時代のエネルギーの凄さと、それが失われたあとも立ち続けた人間の姿には、目を逸らす気になれないし、ある種の憧憬すら感じるのだ。
もし、あなたの中にもふれたものがあったのなら、それは、思いがけない歓びです。
