美人薄命という封じられた運命ーー江戸時代の地域共同体が織りなす「美」の生と死
美しいがゆえに、命が薄くなる──それは肉体の死ではなく、主体性が奪われる人生のありようを示す、時代と構造に根ざした言葉だったのではないか。
「美人薄命」──この言葉がただのロマンティックな響きを持つものではなく、ある時代と共同体の構造に深く根ざした現実を映し出しているとすれば、そこにはどのような背景があったのだろうか。
語源をたどれば、「美人薄命」は中国・北宋の詩人・蘇軾による詩「薄命佳人」に由来するとされる。古くは前漢の『楽府』にも「妾薄命」の題が見られることから、美しい女性に悲運が重なるという観念は、古代中国から繰り返し詠われてきた主題だった。
だが、この観念が日本で民衆の感情に深く根を下ろし、ある種の「運命論」としての定着をみせたのは、江戸時代以降のことだと思われる。近世の日本では、移動の自由が厳しく制限され、農民の暮らしは領主の支配と村落共同体の相互監視の中で成り立っていた。閉鎖的な地域共同体は、一人ひとりの人生を「村の都合」で決めていく力学を持っていた。
そのような共同体の中で「美人であること」は、必ずしも幸運なことではなかった。美しさは、共同体全体の利害の中に組み込まれていた。
たとえば、若くして「村一番の美人」とされた女性は、本人の意思に関係なく有力者や地主階層との縁談をまとめられることがあった。そこには家の都合、村の力学、時には領主や庄屋の意向までもが複雑に絡んでいた。美しいというだけで、その人の人生は地域の期待と利害の対象になってしまう。本人に選ぶ自由がないままに、若くして年配の権力者に嫁がされることも珍しくなかった。
しかも、結婚後もその立場は安定したものではなかった。美しいがゆえに村の男たちの欲望の対象となり、陰口や嫉妬の的になり、他の女性たちからは無言の牽制を受けることもあった。そんな中で孤立し、心を閉ざしていく女性もいた。
このような状況の中で、美人であった当人は、自分の人生を主体的に選び取ることができず、あたかも「共同体の財産」として扱われていた。だからこそ、自らの運命を諦め、せめてわが子には別の人生をと願うようになる。しかしその子もまた、母の美貌を受け継いでいれば、同じように共同体の力学に巻き込まれていく。
こうして「美人薄命」という言葉は、単なる身体の弱さや短命を意味するのではなく、共同体の中で個の意志を持てなかった女性の「生き方そのもの」に重ねられるようになる。
もし、あなたの中にもふれたものがあったのなら、それは、思いがけない歓びです。
