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オジサンになってもヒップホップ①――90年代ヒップホップに見る終わらない自己演出

終わりのない自己言及としてのヒップホップ

私はZORN『地元LOVE feat.後藤真希』(2026)に,日本のヒップホップの成熟した姿を見ました.

『地元LOVE』は,古典的なヒップホップの方法論で作られています.この作品では地元の人間関係を呼び込むことで,ヒップホップの宿痾と言える,「自己言及の再帰的無限ループ」を克服していました.

​そもそもヒップホップ,特にBoom Bapという形式は,数小節の音型をストイックに繰り返す「ループ」を大前提としています.
この無限に続くような反復構造の中で,ラッパーは「自分とは何か」を確認し続ける運動を強いられます.

この構造は,SNSが行き渡った現代社会を生きる私たち自身にも重なっています.
「自分が自分であること」の証明が,自己演出の無限の更新になってしまうのです.

これが私の言う「自己言及の再帰的無限ループ」です.

今回はこの観点から90年代に一世を風靡したBad Boyレーベルに注目して,ヒップホップを概観します.
このBad Boy勢こそ,90年代ヒップホップがアンダーグラウンドからMTVの隆盛とともに商業化した象徴と言えるからです.
オジサンになった私が今だからこそ見える,ヒップホップの核心を考えてみます.

The Notorious B.I.G. "Party and Bullshit"(1993)〜「現場」に接地したBoom Bap

あのBiggieのデビュー曲です.プロデュースはEasy Mo Bee

まず『DA.YO.NE』(1994)でおなじみの"Here We Go!"から始まりますよ."The Show"(1985)からのサンプリングでしたよね.

そしてUFOみたいなファンファンした音はESGというバンドの"UFO"(1981)という曲から.この音はすでにヒップホップで数多くサンプリングされていて,「コア」なヒップホップであることの名刺みたいなものです.

これらのサンプルソースを使用することが,ヒップホップという「ゲーム」のルールを理解し,そしてそこに参加する,ということの意思表明になっています.

つまり"Party and Bullshit"は,「アンダーグラウンド」「現場」を足場にした「ハードコア」「スタイル」そのものです.Boom Bapの基盤となる大事な価値観に他なりません.
Biggieのラップも極めて正統的でスキルフル.彼は若くからラップの技術をストイックに磨いていたことは多く証言されています.

ここで大事なポイントを確認します.この時点のBiggieは,確かなラップの「スキル」Boom Bap「スタイル」を体現し,ブルックリンの「地元」にも接地していました.

ただ,ラップの内容は享楽的.93年の時点では,刹那的で拝金主義的な欲望をストレートに表現することが「リアル」だった.資本主義のゲームに乗ることも,ヒップホップの作法のひとつなのです.
でもこの方向性は必然的に「現場」「地元」の関係性から遊離していきます.私の言う「自己言及の再帰的無限ループ」に一歩踏み出しているのです.

The Notorious B.I.G.  "Big Poppa"(1994)〜「コア」の商品化

同じくBiggieです.この曲は大ネタ,アイズレー・ブラザーズ"Between the Sheets"(1981)を使用.この曲はこの頃にはもう数多くサンプルされており,ちょっとメロウでわかりやすくするにはもってこいのネタ.しかもご丁寧に"Big Poppa"ではフックに高音でフワーとした音色のシンセまで重ねています.これは当時西海岸でメチャメチャ流行っていたGファンクのやり方です.

私が初めてこの曲を聴いたときは,また"Between the Sheets"ネタで,しかも東海岸がGファンクのまねごとをするのか?と全然感心しませんでした.けれども,"Big Poppa"の12インチのB面はハードコアなクラシックである"Who Shot Ya?".この頃のBad Boy勢は,A面で売れ線を狙いB面でストリートからの支持を確保する,というバランス感覚が功を奏していました.

いずれにせよ,"Big Poppa"はアンダーグラウンドから這い上がってきたBiggieが,メインストリームに飛躍する大きなキッカケとなった曲のひとつです.
方法論として「コア」のスタイルを「商品化」しきったと言えます.これを仕掛けたのが,Sean "Puffy" Combs,後のP.Diddyです.

Biggieは97年に凶弾に倒れ夭折します.ここまでの数年間はヒップホップ界にまさに君臨していましたが,同時にその「虚像」に歯止めがかかっていなかった観もあります.

The Notorious B.I.G. "Sky's the Limit"(1997)〜成功したラッパーとしての「記号」

彼の死後にリリースされたアルバムから,Spike JonzeのこのPVが非常に示唆に富みます.

成功の証しとして成金的ラグジュアリーな生活を演じるのは,ヒップホップのPVでは定番的な演出です.それだけなら何の変哲もないビデオなんですが,何と登場人物は全員子ども.BiggieやPuffyのそっくりさん達が,本人たちそっくりな挙動で演じています.

このビデオの収録時にBiggieはすでに亡くなっていたのでいわば苦肉の策だったのですが,自分たちを完全にネタにしている.
「自己言及の再帰的無限ループ」としてのヒップホップを,図らずも完全に表現しています.
つまり成功したラッパーという「記号」が,肥大して自己目的化しているのです.しかもそれを子どもを使って表現する.彼らの「わかってやっている」感がうまく出ています.

そしてBiggieのラップのスキルは相変わらず素晴らしく,これがある限りヒップホップとしての「強度」は失われません.

けれどもビデオの豪邸が象徴するように,BiggieもPuffyもアンダーグラウンドの「現場」から遊離し,「地元」との関係も見えなくなっています.

また後年,PuffyことSean Combs自身も,性加害疑惑や人身売買容疑で起訴されます.
こうなるとこのビデオの印象も変わります.シャレにもなっていない.このことも付記しておきなければなりません.

P.Diddy feat. Black Rob & Mark Curry "Bad Boy for Life"(2001)〜「スタイル」に帰還したBad Boy

さて,Biggie亡き後のBad Boyレーベルは少し迷走しかけましたが,ヒップホップとしての「強度」を回復してシーンに帰ってきます.

シンプルで力強いトラックがBoom Bap「スタイル」として「強度」を担保しています.
ビデオは白人の住む郊外に,Bad Boy勢が「異物」としてやってきて傍若無人に振る舞う.けれども有名俳優たちのカメオ出演に見えるように,これらも明らかに「ネタ」であるという表現です.
つまり,「ハードコア」なヒップホップを実践しつつ,「成功」を収めた「ブランド」としての自分達を自覚的に演じているのです.

彼らは「自己言及の再帰的無限ループ」の中にいることを自覚しつつ,Boom Bap「スタイル」として「強度」は取り戻しています.つまり音楽表現の「スタイル」としては,帰る場所があった.
けれども初期のBad Boyレーベルには存在した,「地元」やアンダーグラウンドの「現場」との関係性から生まれる皮膚感覚は,やはり失っています.
「スタイル」のみで接地しているので,この「スタイル」が時代に合わなくなれば無限ループの中で方向性を見失うことは必然です.

売れなくてもよいなら,そういう方向性こそ「アンダーグラウンド」です.けれどもP.Diddyはそちらに行くことはなかった.彼は最後まで,成功したBad Boyという自己ブランドを手放そうとはしませんでした.
彼の現在の疑惑の数々も,この「虚像」を維持しようとしていたことと無関係ではないように見えます.

「無限ループ」を抜けるための「接地」

以上,東海岸ヒップホップのひとつの例として,Bad Boy勢を概観しました.
「自己言及の再帰的無限ループ」を抜けるには「強度」を担保するだけでは足りず,絶えず自分を「現場」や具体的な「人間関係」に接地し続ける必要があるのです.

次回は最近話題になった,Kendrick Lamar"Not Like Us"(2024)を例に,現代の状況を確認したいと思います.

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