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スペイン散歩 1 June '26 アルハンブラ-1| 裁きの門・要石の〈手〉 (34)

スプリンクラーの攻撃を避けながら、城壁を見上げ、裁きの門を眼下に10分程で入口へ。アルカサバの前に立つ、手前に咲くのは夾竹桃だろうか。現地のガイド氏は花の名前に詳しいが、わたしはダメですな。

08:22
5.4 × 14.9 cm チケット 予約 08:30

近年の観光客増加に伴い、ツアー申込時に、パスポート番号と氏名が必要。個人手配はややこしいようですね。

 諸説あるらしいが、「アルハンブラ」というのは「赤色」に関係する名という。城壁や建物の色彩にその感じを認め、砂漠(?)の乾いた土の色かと思った。間違いか? ── でしたね。大塚勝弘が歴史家イブン・アル・ハティブの説を紹介し

通説によれば、アルハンブラの城壁の上塗りに使われている土に鉄分が多いため、変色して赤色に染まったからといわれるが、アラビア人の歴史家イブン・アル・ハティブの説では、アルハンブラの前身であった古い要塞を、夜を徹して再建する間に松明が焚かれ、その炎に照らされた城壁がグラナダ市民に赤く見えたのであって、実際の城壁の色は漆喰塗りで白かったという。
 十五世紀の城壁の整備で茶色に上塗りされているが、最初の色が白かったことは、その後の調査でも確認されており、「赤い城」の名の由来は、イブン・アル・ハティブの説が正しいかもしれない。

大塚勝弘『現代アルハンブラ物語』(東京図書出版会 2008年) 31頁

アルハンブラは海抜685mのサビカの丘に広がる城壁に囲まれた王宮都市で、「全体形はほぼ東西に細長い形で、全長740m、最大幅220m、総面積13ha」(大塚) 当初は防衛上の目的から樹木はなかったという。
 昨夜「ナスル朝王国の中心で、休息と『千夜一夜物語』のような夢心地のひとときを過ごす」と引用したが、建国は1238年、初代国王ムハンマド1世によって丘にあった古い要塞を改造し王宮を移したのがアルハンブラ宮殿の起こり。1240年頃に最初のアルカサバが造られ、1450年に整備を終えた。
 カスティーリャ王国によるレコンキスタのコルドバ奪還が1236年、バレンシア1238年、セビーリャ1248年と続くなかで、最後のイスラム王国となるナスル朝はカスティーリャ王国と友好関係を保ちつつも、臣従による平和と繁栄であって、常に影をまとう王朝となった。770年にわたるレコンキスタ、時代の流れを止めることはできない。最後のボアブディル王がキリスト教徒に城を明け渡したのは1491年11月25日だった。

裁きの門

裁きの門

「手」に特別の関心を寄せる筆者には、馬蹄形の要石に右手が大きく彫り込まれている「裁きの門」には、立ち止まってパチリをさせる魅力が満ちている。「手」はイスラム教徒の教理のシンボル。魔力に守られ嵐にも大地震にも被害を受けず、今日に残っている。以下の昔話に心踊る。

王様、私は老人の中の老人、高齢でございます。それに、古星術師とよばれる哲学者でもありますので、金銀財宝を欲しがる者ではございません。しかし、せっかくの仰せゆえ魔力を持つ宮殿が完成したときは、最初にその門をくぐる生きものを私にくださいませんでしょうか

W・アービング『アルハンブラ物語』江間章子訳(講談社 1976年/1975年)143頁

詳細は後日のつもり。

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カルロス5世宮殿

カルロス5世宮殿

イザベラ女王(カスティーリャ王国)とフェルナンド国王(アラゴン王国)の孫、カルロス5世が1527年に最新のルネサンス様式で建設を始めた宮殿。その後、資金難と心変わりから頓挫。そのためにコマルス宮の取り壊しが一部でとまったのは歴史のあや。使われたことのない宮殿の滑稽さ、カルロス5世は先日紹介したメスキータの改造もしたのだった。

08:38
ブドウ酒の門

アルカサバ

アルカサバ

メスアール宮

1319年頃の建築で、現存する建物としては最古といわれる。

左にムハンマドの塔(雌鶏の塔)
メスアールの間

ナスル朝の司法と行政機能の場であったが、パチリの時点で確認できる上段横木欄干などは聖歌隊席の名残で、大規模な改修が行われたと知る。

黄金の間
ムカルナス

イスラム建築で特徴的な持ち送り構造装飾であるムカルナス。鍾乳石の丸天井を想起させ、10世紀中頃から発展。水の落下を永遠に停める、乾いた国故の風景。

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