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泣いてもいい。私が子どもに伝えたい「強さ」の話【後編】


前編では、家族をいじる冗談にモヤッとしたことをきっかけに、ママ友へ、

「私はそういう冗談が苦手」

と伝えた話を書いた。

その中で、特に私の心に引っかかった言葉があった。

息子が、まだ経験してもいないことについて、

「怖〜い、できな〜いって泣いてそう笑」

と、冗談のネタにされたこと。

なぜ私は、それがこんなに嫌だったのだろう。

考えてみたら、たぶん私は、

「泣く=弱い」

という見方そのものに、あまり共感できないのだと思う。

うちの子は、できないことがあったり、悔しかったりすると、涙が出ることがある。

小さいころはもっと激しかった。

思い通りにならなくて、大泣きすることもあった。

今では本人は、そんな昔のことをほとんど覚えていない。

以前その話を息子にしたら、

「あのときは本当にごめんね〜💦」

と、息子が覚えてもいないのに謝ってきて、みんなで笑った。

子どもって変わっていく。

今の姿だけを見て、

「この子はこういう子」

と決めることなんて、本当はできないのだと思う。

泣いても、やることはやる

私は、息子が涙を流すこと自体を、それほど問題だと思っていない。

なぜなら、

泣いても、やらなければならないことはやるから。

悔しくて泣く。

できなくて泣く。

怖くて涙が出る。

それでも、自分の中で「ここまでやりたい」と思ったら、最後までやろうとする。

私は、

「泣かなかったね、偉い」

より、

「泣いたけど、それでもやったね」

のほうに強さを感じる。

感情がないことが強いわけではない。

怖さを感じないことが勇気でもない。

怖い。

悔しい。

つらい。

そういう感情を抱えながら、それでも必要なことに向き合う。

それも立派な強さだと思う。

「泣いてる〜笑」より、「何かあった?」

そして私が、もう一つ大切にしたいと思っていることがある。

誰かが泣いていたとき。

「泣いてる〜!笑」

と面白がる人より、

「どうしたの?」

と言える人であってほしい。

「何かあった?」

「大丈夫?」

「手伝えることある?」

そんな言葉が自然に出てくる人。

自分が痛みを知っているからこそ、相手の痛みも想像できる。

私は、そちらのほうがずっと大切だと思っている。

優しいだけでもない

でも、

「人の気持ちを考えられる人になってほしい」

というのは、

「何でも我慢できる人になってほしい」

という意味ではない。

相手が嫌な気持ちにならないように。

場の空気を壊さないように。

みんなが楽しくいられるように。

そうやって自分の気持ちばかり後回しにすることを、私は「優しさ」だとは思わない。

相手の気持ちを考えられる。

そのうえで、

「でも、私はこれは嫌だよ」

と言える。

それも強さだと思う。

強さには、いろいろな形がある

泣かない人が強い。

怖がらない人が強い。

何を言われても笑って流せる人が強い。

私は、そんなふうには思わない。

強さには、もっといろいろな形がある。

涙が出ても、必要なことをやる強さ。

「怖い」と言える強さ。

失敗しても、また挑戦する強さ。

困っている人に「大丈夫?」と声をかける強さ。

相手の痛みを想像する強さ。

そして、

自分が嫌なことには「嫌だ」と言う強さ。

どれか一つだけを持っていればいいわけでもない。

その人なりの形で、少しずつ育っていけばいい。

子どもは、周りから勝手にきめられたキャラクターを生きなくていい。

大人はときどき、子どもに簡単なラベルをつけてしまう。

「泣き虫」

「怖がり」

「しっかり者」

「やんちゃ」

「おとなしい子」

でも、子どもはそんな一言では説明できない。

泣くこともある子が、誰より粘り強いこともある。

慎重な子が、ここぞというときに大胆なこともある。

普段しっかりしている子が、家では思いきり甘えることもある。

その全部が、その子なのだと思う。

だから私は、誰かが勝手につけた「この子はこういう子」というキャラクターを、息子自身が証明したり否定したりする必要はないと思っている。

普通に生きていけばいい。

周りが勝手に、

「あれ?思っていたのと違った」

と気づけばいい。


私はときどき、

「この子は実力で見返すタイプだな」

と思うことがある。

でも、それは誰かを負かして、

「ほら、あなたが間違っていたでしょう」

と言うことではない。

ただ、自分のやるべきことをやる。

自分の好きなことを伸ばす。

できないことにも、自分なりに向き合う。

人に優しくする。

必要なときには、自分の意見も言う。

そうやって生きているうちに、

周りが勝手につけた評価が、いつの間にか追いつかなくなっていく。

私は、それで十分だと思っている。

そして、今回の私はどうだっただろう

ここまで書いていて、ふと思った。

今回ママ友に、

「家族をいじる冗談は、私は苦手」

と伝えたことも、

もしかしたら私自身が、子どもに伝えたいと思っている「強さ」を練習した出来事だったのかもしれない。

相手を傷つけたいわけではない。

相手の気持ちも考えたい。

だから、なるべく穏やかな言葉を選んだ。

でも、

「私は嫌だった」

という自分の気持ちまで、なかったことにはしなかった。

相手の気持ちも大切にする。

自分の気持ちも大切にする。

その両方を持っていていい。

子どもに見せたい「強さ」

私は子どもに、

何を言われても笑って流せる人になってほしいわけではない。

泣いたっていい。

怖がったっていい。

悔しくて立ち止まったっていい。

それでも必要なことには向き合う。

誰かが困っていたら、

「何か手伝える?」

と言える。

そして、自分や大切な人が雑に扱われたと感じたら、

「それは嫌だよ」

と言える。

自分の痛みも、相手の痛みも大切にできる人。

私は、そんな人を強い人だと思う。

子どもにそれを望むなら、まずは私自身も練習していこうと思う。

相手を責めずに、自分の気持ちを伝える。

相手を思いやりながら、自分の境界線も守る。

涙が出たって、迷ったっていい。

それでも必要なときには、一歩前に出る。

子どもに教えたいと思っている「強さ」を、

たぶん私は今、子どもと一緒に育てている途中なのだと思う。

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