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核保有国には「特権」だけでなく「義務」と「負担」を

明日から八月に入る。毎年この時期になると、広島や長崎で平和記念式典が開かれ、「戦争の悲惨さを語り継ごう」「平和の尊さを忘れてはならない」という言葉が繰り返される。それはもちろん大切なことであり、私も異論はない。しかし、戦後八十年という節目を迎えた今、私たちは追悼だけで満足していてよいのだろうか。

日本が戦争を放棄しても、戦争が日本を放棄してくれるとは限らない。過去を振り返るだけではなく、次に核兵器が使われないためには、どのような国際秩序を築くべきなのかを考えることもまた、唯一の戦争被爆国である日本の重要な役割ではないかと思う。

私たちは「震災の教訓を風化させてはいけない」とよく口にする。しかし、本当に教訓を生かすとは、追悼式典を続けることだけではない。防潮堤を整備し、耐震化を進め、避難計画を見直し、防災へ継続的に投資することまで含めて初めて「教訓を生かした」と言えるはずである。核兵器の問題についても、私は同じ発想が必要だと考えている。


なぜ今、この議論なのか

近年、核兵器を巡る国際情勢は大きく変化している。ロシアはウクライナ侵攻以降、繰り返し核兵器による威嚇を行い、中国は核戦力を急速に増強し、北朝鮮は事実上の核保有国となった。中東ではイランの核開発問題が再び緊張を高め、「これ以上、核保有国を増やしてはならない」という声は、国際社会の共通認識になりつつある。

しかし、その一方で私は、ほとんど議論されていない問題があるように思えてならない。それは、「現在の核保有国は、何を根拠に核兵器の保有を正当化しているのか」という問いである。

例えばロシアは、通常兵器による敗北が国家の存立を脅かす場合には、核兵器の使用も排除しないという姿勢を示してきた。多くの国はその発言を批判したが、「核保有国だけが最後に核兵器を使う権利を留保している」という構造そのものについては、ほとんど議論されなかった。

もちろん、ロシアだけを特別視するつもりはない。私が違和感を覚えるのは、ロシアの発言そのもの以上に、他の核保有国から「通常兵器による敗北を理由に核兵器の使用を正当化すべきではない」という積極的な批判が、ほとんど聞こえてこないことである。

程度の差こそあれ、多くの核保有国も同様の抑止論を自国の安全保障政策に組み込んでいる以上、互いに強く批判しにくい構造があるのではないか。だからこそ、「新たな核保有国は認めない。しかし既存の核保有国は持ち続ける」という現在の秩序が、将来にわたって国際社会の理解を得続けられるとは、私には思えないのである。

もし核保有国自身が、「通常兵器による敗北を理由に核兵器を使用することは許されない」という規範を自ら打ち立てることすらできないのであれば、「新たな核保有国だけは禁止する」という現在の秩序も、いずれ説得力を失っていくだろう。

問われるべきは「保有」ではなく「正統性」である

私は、核兵器を直ちにゼロにできるとは考えていない。現実には既に核保有国が存在し、その抑止力の上に現在の国際秩序が成り立っている側面もある。理想だけで世界が動かないことは、国際政治の現実として受け止める必要があるだろう。

しかし、現実を受け入れることと、その現実を無条件で正当化することは全く別の話である。私が本当に問いたいのは、核兵器の保有そのものではない。核保有国が、その地位を国際社会から認められ続けるための努力を、本当に十分に行っているのかという点である。

核不拡散条約(NPT)は、一定時点までに核兵器を保有していた国だけを例外として認め、それ以外の国には保有を認めない制度である。言い換えれば、これは歴史的経緯によって認められた「先行者特権」の制度でもある。

冷戦下では極めて現実的な妥協だったが、どのような先行者特権であっても、利益だけを享受し続ければ、制度への納得感や説得力はやがて失われていく。「なぜ自分たちだけが認められないのか」という問いは、イランに限らず、これからも繰り返されるだろう。

では、その先行者特権を国際社会が今後も認め続けるためには、何が必要なのだろうか。私は、その答えは「特権に見合う義務と負担を、自ら引き受けること」にあると考えている。

先行者特権に見合う義務

民主主義社会では、「権利には義務が伴う」という考え方は、ごく当たり前の原則である。同じように、市場経済においても、利益を受ける者には相応の負担が求められる。税制や社会保障制度が長く支持されてきたのも、「利益を受ける者も制度維持のコストを分担する」という公平性が、多くの人に受け入れられているからである。

NPTもまた、この原則から無縁ではない。核保有国は、歴史的事情によって「先行者特権」を認められている。だからこそ、その特権を維持したいのであれば、「保有する権利」だけを主張するのではなく、それに見合う義務や負担を自ら引き受ける必要がある。私は、それがNPT体制への納得感と説得力を維持するための最低条件だと考えている。

先行者特権に見合う経済的負担

私は十年以上前から、その具体策の一つとして「核保有税」のような国際制度を提案してきた。税という名称だけを聞けば奇抜な発想に思われるかもしれない。しかし、その目的は税収ではない。核兵器を保有することにも制度上のコストを伴わせ、軍縮へ向かう経済的なインセンティブを設けようという発想である。

具体的には、国連分担金のような国際的な負担制度を応用することを想定している。まず、核保有国と非核保有国とで負担割合に明確な差を設ける。そのうえで、保有する核弾頭数に応じて負担額を段階的に増やしていくのである。

さらに保有弾頭数だけでなく、核戦力の近代化や配備規模なども負担算定の基準にする余地がある。この制度の目的は財源を確保することではなく、「保有し続けるほどコストが増える」という仕組みを国際社会へ組み込むことにある。

もちろん、核保有税だけで核問題が解決するとは考えていない。私が提案したいのは税そのものではなく、「先行者特権には追加的な負担が伴う」という原則を制度として可視化することである。核保有国も制度維持のコストを分担するという考え方が定着すれば、「核兵器の保有は例外である」というNPT本来の理念にも、より強い説得力が生まれるはずだ。

先行者特権に見合う軍事的制約

義務や負担は、経済的なものだけではない。私は、核保有国は核兵器を使用できる場面についても、自ら厳しい制約を受け入れるべきだと考えている。

現在、多くの核保有国は、通常兵器による敗北が国家の存立を脅かす場合には、核兵器の使用も排除しないという立場を維持している。しかし、この論理を認める限り、「国家の存立を守るためには核兵器が必要だ」という主張を、これから核保有を目指す国に対して否定することは難しくなる。

だからこそ、核保有国自身が率先して、核兵器の役割を限定する必要がある。例えば、「核兵器は核攻撃への報復以外には使用しない」という原則を国際規範として確立していくことは、その有力な選択肢の一つだろう。核保有国が自ら追加的な制約を受け入れて初めて、「新たな核保有国は認めない」という主張も、国際社会からより強い支持を得られるのではないだろうか。

ここで私が主張したいのは、核保有国を弱体化させることではない。歴史的事情によって認められた「先行者特権」を、将来にわたって正当化し続けるためには、それに見合う義務と負担を制度として積み重ねていく必要がある、ということである。

「唯一の戦争被爆国」の役割とは何か

日本では毎年、「唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴えるべきだ」という言葉が繰り返される。その理念は尊い。しかし、理念だけでは国際政治は動かない。安全保障上の利益が衝突する世界では、理想を掲げるだけではなく、各国が受け入れられる制度を提示することもまた外交の重要な役割である。

日本は世界でも極めて特殊な立場にある。唯一の戦争被爆国でありながら、中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に囲まれ、安全保障はアメリカの「核の傘」に依存している。それでも自ら核武装を選択せず、NPT体制を支持し続けてきた。

この立場だからこそ、日本には「核保有国は、どのような条件の下で核兵器の保有を認められるべきか」という新しい議論を提起する資格があるのではないだろうか。日本は国際社会で自国に有利な制度設計を提案することには慎重になりがちだが、平和に関する国際規範についてまで遠慮する必要はない。

NPT体制を守るための制度改革

私の提案は、核武装を勧めるものでも、核廃絶という理想を否定するものでもない。むしろ、現在のNPT体制をより長く維持するための制度改革である。

核廃絶を目指す立場からは、「なぜ核保有そのものを認めるのか」という批判があるだろう。一方で、核武装論の立場からは、「制度改革だけで安全保障は変わらない」という反論もあるかもしれない。しかし、どちらの立場であっても、「先行者特権が無条件に認められ続けるべきではない」という点については、共通の議論ができる余地がある。

私は、NPTを否定したいのではない。むしろ逆である。NPTは、核保有国の無秩序な増加を一定程度抑制し、核拡散を防ぐ国際秩序として大きな役割を果たしてきた。だからこそ、その制度への納得感を将来にわたって維持するためには、「特権には義務と負担が伴う」という原則を、これまで以上に明確な制度として組み込んでいく必要があると考えている。

「先行者特権」を正当化する条件

ロシアによる核威嚇、北朝鮮の核開発、イランを巡る問題は、それぞれ別々の出来事のように見える。しかし、その根底には一つの共通した問いがある。

「なぜ一部の国だけが核兵器を持ち続けることを認められ、他国には認められないのか。」

この問いに対して、「歴史的経緯だから」「現実だから」と答えるだけでは、いずれ制度への納得感は失われていくだろう。歴史的経緯によって認められた「先行者特権」なのであれば、その特権を維持するための努力もまた、先行者自身が負わなければならない。

報復目的への役割限定、核保有税のような追加的な負担、そして軍縮へ向けた継続的な取り組み。こうした制度を一つずつ積み重ねることによって初めて、「核保有は例外である」というNPTの理念は、これからも国際社会の理解を得られるのではないだろうか。

戦後八十年を迎える今、日本が世界へ発信すべきなのは、「核兵器は恐ろしい」という事実だけではない。その恐ろしさを踏まえたうえで、「核保有国の正統性には条件がある」という新たな国際規範を提案することである。

被爆の記憶を語り継ぐことは大切だ。しかし、日本にしかできない役割は、過去を語ることだけではない。その教訓を踏まえ、核保有国の正統性に条件を設けるという新たな国際規範を世界へ提案することである。

歴史的経緯によって認められた先行者特権であるなら、その特権を維持するための義務と負担もまた受け入れなければならない。そうした普遍的な原則の実践こそが、核保有国が国際社会から信頼され続けるための最低条件ではないだろうか。

日本は、平和を願うだけの国ではなく、平和のルールを提案する国であってもよいはずだ。それこそが、「唯一の戦争被爆国」である日本にしか果たせない役割ではないだろうか。


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『軍備と影響力 ― 核兵器と駆け引きの論理』

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本記事では、ロシアによる核威嚇や核保有国の責任、そしてNPT体制を維持するための制度改革について考察しました。核抑止や軍事バランスが現実の国際政治でどのように機能しているのかを理解することで、本記事で提起した「核保有国の正統性」や「制度改革」の必要性について、より多角的に考えることができる一冊です。


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ジョン・J・ミアシャイマー 著(奥山真司 訳)

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