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視界に滑り込めなかったあの日

晴れた日に、車窓というフィルターを通すだけで、過ぎゆく日常が愛おしいスローモーションに変わる気がする。

窓の外を流れる光の粒も、無防備に揺れる子犬の愛嬌たっぷりなぷり尻も、誰かのひたむきな肌を伝う汗も。 そんな瞬きの間の煌めきが、みんな等しく心に残る。

車からの景色は、驚くほど広く開けていて、目にする全てが申し合わせたかのようなタイミングで鮮やかな一瞬を見せてくれるのだから、まるで空から俯瞰しているかのように、周囲の出来事をひとつ残らず見通せるものだと信じていた。

だからこそ胸が騒ついたのだろう。
どうして気づいてくれなかったの?と。

信号の向こうに母の車を見つけた瞬間、私は全身を声にして叫び、通学路をがむしゃらに駆け出した。バックミラーの片隅にでもいいから映り込みたくて、リレー選手さながらの猛ダッシュで必死にサインを送った。

けれど、車は無情にも速度を上げて遠ざかって行った。以前、同じ場所で知り合いの大人に気づいてもらえた事を思い出して、余計に胸が締め付けられていた。

あんなに近くにいたのに、どうして視界に滑り込めなかったのかと、行き場のない気持ちをぎゅっと抱えて家に帰ったのを、今でも鮮明に覚えている。

帰宅しても、追いつけなかった寂しさを口にできなかったのは、「ねぇ、どうしていつも笑ってるの?」と無邪気に尋ねさせてしまう母のこぼれるような笑顔が、その日だけは固く閉ざされていたから。

狭い部屋で雑魚寝するような日々でも、こちらに注がれる眼差しだけは、いつだって穏やかで優しかった。だからこそ、張り詰めた様子の横顔に、本能的に言葉を飲み込んだ。その判断はきっと正しかったのだと思う。

あの時の私は、勝手に置いてけぼりにされた絶望感で、まるで世界に見捨てられたかのように悲しんでいたのだけれど。母はただ、押し寄せる何かを必死に堪えながら、前だけを見据えてハンドルを握りしめるしかなかったのだろう。

あの日、どうしても「一緒に帰りたかった」とは言えなかった。今更あの時の事を尋ねてみた所で、きっと困ったように笑いながら濁されるか、あまりに遠い記憶すぎて、全く覚えてないかのどちらかなのだろうけど。

あの日、何かの重圧と戦いながら、必死に明日という場所へ向かい車を走らせていた。

あの頃の自分に、それでよかったんだよと、静かに声を掛けてあげたい。


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