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わたしは、プリンセス

学生時代、学校のプログラムでカナダ・バンクーバーに留学することになった。期間はわずか数ヶ月。語学と文化理解を目的とした、いわゆる短期留学である。現地の学校に通い、ホームステイもおこなった。

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滞在先は、三歳と五歳の超イケメンな男の子がいる家庭だった。もう本当に、映画から飛び出してきたような愛らしさだった。

家の中は明るく、私が滞在するゲストルームにはテレビもトイレもシャワーも完備。留学生にとって理想的な環境だった。

ホストファミリーとは、フロアも違うのでプライベートも保たれ、恵まれた環境に私は安心しきっていた。

これなら問題なくホームステイできる。

そんな甘い考えを抱いていた私は、まだ自分の宿命を理解していなかった。

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ここでいきなりのカミングアウトだが、わたしの名前は鈴木まさみ(仮名)という。

ホストファミリーは最初、一生懸命「マサミ」と呼ぼうとしてくれていた。舌を噛みそうになりながらも、「マァーサァーミィー」と頑張って発音する姿は微笑ましかった。

けれど数日もすると、呼び名はなぜか「マサコ」に落ち着いていた。

おそらく、以前ここに滞在していた学生の名前が「マサコ」だったことと、海外ニュースでも時折取り上げられていた雅子さま(当時まだ皇太子妃で、海外メディアでもよく報じられていた)の存在が、彼らの頭の中で強烈に残っており、【日本の女の子の名前、ほとんど“マサコ”説】がこびりついて離れないようだった。

最初は訂正しようと思った。

しかし、「いや、わたしの名前はマサミです。」と言うたびに、彼らの困惑した顔を見ることになるのが面倒になり、やがて私は「もうこれでいいか」と思うようになった。

私はこうして「マサコ」として数ヶ月暮らすことになった。

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そして、現地の語学学校への初登校の日がやってきた。

ホストファミリーは近所にホームステイしている男子学生二人組に「彼女を学校まで連れて行ってあげて」と頼んでいた。

彼らも日本から来た留学生で、私と同じクラスではなかったが、同じ語学学校で、数日前から通学していたようだった。

通学を始めてからまだ数日の彼らだったが、私は土地勘が全くないので全面的に彼らを信頼した。「よろしくお願いします」と深々と頭を下げる私を見て、二人は「任せて!」と胸を張った。

しかし、その自信は、三十分後に見事に砕け散ることになる。

市バスを盛大に乗り間違えたのである。

気がついたときには、全く知らない住宅街にいた。

カナダの住宅街というのは、どこも似たような造りをしているため、迷子になると本当にどこにいるのかわからなくなる。

二人は額に汗を浮かべ、辺りをきょろきょろと見回しながら「どっちから来たっけ?」「どのバスに乗りなおせば学校に辿り着けるかな?」と焦りまくっていた。

ただ、すぐには軌道修正が難しそうで、授業には間に合わないと悟った私たちは、まずは学校に連絡をしようという話になった。

三人で近くの公衆電話を探すと、幸い住宅街の角にひとつ見つかり、片方の一人が学校に連絡を入れた。もう片方は「なんでこんなことになったんだ」と小声でつぶやいている。

そして私は、電話ボックスの外でボケーっと座って空を見ていた。

本来なら自分も学校に連絡するべきなのだろうが、同じ学校にかけるんだから、その学校内で連携すればいいという、そこだけ効率厨に走った考えの結果、彼らに丸投げした。

焦る彼らを尻目に私は、なぜか異常に冷静だった。

「海外で迷子」「初日から遅刻」という、留学生にとって最悪とも言える状況にも関わらず、心は妙に静かだったのである。

なぜなら、「遅刻したのはわたしのせいじゃない」という思いがあり、怒られはしないだろうと安心していたのだ。

その落ち着きぶりが、逆に二人を不安にさせたようで、「この子、本当に大丈夫なのか?」「ショックで現実逃避してるんじゃ」という顔をされたのを覚えている。

大丈夫かはわからない。ただ、考えるのがめんどくさくて何も考えていなかっただけだ。


結局、学校に到着したのは昼前だった。

午前中の授業はほぼアウト。クラスメイトや先生からは心配されたが、わたしは「全然大丈夫でしたー」と平気なフリをしていた。フリではなく、本心だったけれども。

だって、遅刻したってなんの支障もないんだから。
痛くもかゆくもない。

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ある週末、ホストファミリーと共に自動車ディーラーに出かけた。

どうも車を買い替えるらしい。

それまで乗っていた年季の入った車から、ピカピカの新車への華麗なる転身である。

理由を聞くと「近所で車へのいたずらが多発しており、我が家も被害にあった。でも、ちょうど大きなお金も入ったから修理ではなく新車を買う」というのだ。

それを聞いた時、その「大きなお金」が、どうしてもわたしのステイ費用に思えてならなかった。

つまりわたしは、知らぬ間にこの家に新車購入資金をもたらした、歩く ATM のような存在だったのではないか。

そんな疑念が頭をもたげた。

もちろん確かめる勇気はなかった。「その大きなお金って、もしかして私のステイ費用ですか?」などと聞けるほど、私の英語力も度胸も備わっていない。

ただ結果的に、私の移動は格段に便利になった。

新車効果で彼らの運転への意欲も高まったらしく、「マサコ、どこか行きたいところある?」と頻繁に声をかけてくれるようになったのである。

彼らは新車を得て、私は移動手段を得た。見方によってはwin-win である。

ただ一つ、わたしの心の中にわだかまりが残っただけのこと。

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ある日の夕食のことだった。

ホストマザーが作った春雨サラダが、美味しかったのである。

海外でアジア系の料理に出会えた嬉しさもあって、久しぶりに慣れ親しんだ味を感じることができた。

私は素直に「This is delicious! I love it!」と伝えた。


日本的な感覚では「また作ってもらえたらいいなあ」という軽いリクエストのつもりだった。

しかし、ホストマザーに届いた「I love it」という言葉は、わたしの想像をはるかに超えるパワフルさを持っていたのである。

翌日、学校での昼食時間。

弁当箱を開けた瞬間、私は目を疑った。

タッパー容器いっぱいに、前夜の春雨サラダがぎっしりと詰め込まれていたのである。

ONLY HARUSAME。


フォークを差し込むと、ずしりとした重量感。


すくってもすくっても減らない。同じ味が永遠に続く悪夢のような昼食だった。

ただ、周りを見渡すと、リンゴとバナナだけのシンプルな昼食を食べている学生もいる。それに比べれば、私の春雨サラダONLY弁当は、調理という手間が加えられている分、豪華とも言えるだろう。

しかし問題は量である。これは一人で消費するには、あまりにも多すぎた。

「これはご褒美なのか、それとも試練なのか…」



そんなことを考えながらも、せっかくの心遣いを無駄にするわけにはいかない。


私は感謝の気持ちを込めて、最後の一本まで春雨を平らげた。

“愛”には、試練がつきものだと初めて知った出来事だった。

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留学中に通っていた学校の最終日がついにやってきた。

最後の授業では、ちょっとしたレクリエーションがあり、サプライズ企画として、アシスタントの学生たちが手作りの表彰状を配ってくれることになった。

クラスメイト一人ひとりの特徴を捉えたユニークな賞で、学校生活の締めくくりにふさわしいイベントである。

「Big Smile Award!」「Nice Sense Award!」「Friendship Award!」

みんながそれぞれの賞を受け取り、華やかに笑っている。どれも前向きで素敵な賞ばかりだった。


そして私の番がやってきた。

手渡された紙には、こう書かれていた。

「Tardy Award」。



その瞬間、私はきょとんとした。ターディ?なにそれ?


表彰してくれたアシスタントに小声で聞いてみると、笑顔でこう言った。

「遅刻常習犯って意味だよ!」

……そのときの私の引きつった笑顔と言ったら、学生らしからぬ渋い顔だったに違いない。

教室は爆笑に包まれた。

私は「いや、あれは私のせいじゃない」と言いかけて口をつぐんだ。


初日のバス迷子事件を英語で説明する語学力もなければ、今さら弁解したところで「それでも遅刻は遅刻でしょ」と返されるのがオチである。

それを考えるだけでめんどくさくなってしまい、結局、私はこの不名誉な称号すら、にっこり笑って受け入れた。

カナダに留学してまで得たものが「遅刻魔」という肩書きだったとは…もう笑うしかなかった。

何の支障もないと思っていた遅刻が、最後の最後にボディブローをかましてきたのである。

痛い痛すぎる。


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帰国後、お礼の気持ちを込めて、日本のギフトとクリスマスカードをホストファミリーに送った。

日本的な丁寧さで、感謝の言葉をびっしりと書き連ねた手紙も同封した。

ほどなくして、返事のメールが届いた。

久しぶりに見る英語のメールにドキドキしながら開いてみると、文面の冒頭にはこう書かれていた。

「Dear Masako」


帰国してなお、私は「マサコ」であった。

数ヶ月共に過ごしたホストファミリーに、最後の最後まで名前を覚えてもらえなかった事実に、もはや訂正メールを送る気力もおきなかった。

ただ苦笑いを浮かべるしかない。


そのとき、偶然にもテレビからニュースが流れた。


皇室関連の報道で、そこには優雅な笑みを浮かべ、手をひらひらと振る雅子さまの姿があった。

私は思わず、同じように笑みを浮かべて手を振ってみた。


鏡に映るのは、優雅なプリンセス。

わたしは、プリンセス、

【プリンセス・まさこ】


ではありません。


わたしの名前は、鈴木まさみ(仮名)。


ただの、まさみです。
是非、覚えてくださいね。


#なんのはなしですか

#フビワングランプリ
#なまえ百景


今回、このお話は最初大塚ぐみさんの企画された【なまえ百景】に提出する予定で書いてました。

ただ、留学の時の話を書けば書くほど、当時を思い出し、思い出せば思い出すほど、自分が不憫に思えてきて、なまえ百景の企画の大本である、アルロンさんが企画している【フビワングランプリ】にも提出しようと決めました。

そして欲張っちゃって、【なんのはなしですか】マガジンにも載せてもらおうという、

全部のせ。全乗っかり。

な記事にさせていただきました。

どうぞよろしくお願いします🙇

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