ぽんこつおやこの【まー】と【まる】
今夜、『おおかみこどもの雨と雪』が金曜ロードショーで放送される。

先日、テレビの予告で、映画の音楽が流れて、タイトルが聞こえた。
この映画の音楽とタイトルを聞くたび、わたしは一瞬にして13年前の映画館へタイムスリップする。
🐺🐺🐺
あの日、わたしは映画を観ながら泣いた。
理由は、映画が感動的だったからじゃない。
映画館の暗闇の中、わたしは一度も隣の彼を見なかった。
見られなかった。
スクリーンに映る花の表情に、目を離せなかった。
おおかみになって遊ぶ子どもたちを見つめる優しい目。
そして、泣きながらも前を向き続ける、母の強さ。
スクリーンの中の花は、わたしが憧れる「母」そのものだった。
エンドロールが終わり、場内の明かりが戻る。
隣で彼が言った。
「いい映画だったね」
その一言で、何かが壊れた。
同じスクリーンを見ていたはずなのに、
わたしたちはまったく違う物語を観ていた。
彼にとってはただの「いい映画」。
わたしにとっては、手が届かない未来そのもの。
花のように生きたいと願うわたしと、
その願いを「まだ早い」と笑う彼。
涙がこぼれた。
映画が感動的だったから、じゃない。
彼との温度差に、積もり積もった何かが溢れただけだった。
当時、周囲の友人たちは次々に結婚していった。
妊娠・出産の報告も増え始めていた。
みんな、人生を前へ進めているように見えた。
そんな中、わたしだけが、同じ場所で足踏みをしていた。
二人の将来について、何度話しても、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
「結婚も、子どもも、今は考えられない」
「いらないかも」
その言葉のたびに、未来が一歩ずつ遠ざかっていく音を聞いた気がした。
わたしの人生は、止められている。
そう感じていた。
止めているのは、隣にいるこの人だ、と。
だから、スクリーンの中の花が、まぶしすぎて、痛かった。
母として、ひとりの人間として、力強く生きる彼女。
困難に立ち向かい、子どもたちのために前へ進み続ける姿。
ほんとうは、羨ましかった。
花が前へ進んでいくのが。
わたしは、止まったまま。
あの頃のわたしは、花の強さを見ていたのではない。
その強さに辿り着けない自分を、見ていたのだ。
届かない願いを、見ていたのだ。
🐺🐺🐺
花は都会を離れ、山へ移り住む。
畑を耕し、笑いながら転んで、立ち上がる。
母として。
そして、ひとりの人間として。
その姿は、当時のわたしにはまぶしすぎて、
今の自分の姿と比較して、勝手に傷ついていた。
わたしはいつ、あの場所に立てるのだろう。
いつ、母になれるのだろう。
映画の中で花は前へ進む。
わたしは、止まったままだった。
🐺🐺🐺
あれから13年。
紆余曲折を経て、結婚し、母になった。
子育ては、想像よりもずっと大変で。
花が孤独だったのは、“おおかみこどもの母”だからだと思っていた。
世間に隠さなければならない秘密があったから。
でも、違った。
わたしは“おおかみこども”を育てているわけでもないのに、
夜中、泣き続けるわが子を見て、どうしようもなく途方に暮れることがあった。
モンスターに見えたのも一度ではない。
夜中2時。
眠るはずの娘の泣き声と、
眠れないわたしのため息の音だけが部屋に響く。
「静かにして」
そう言ってしまう夜があった。
言葉が通じない日々があった。
母親らしくいられない自分が、嫌いになった。
泣く子どもを抱きながら、
“母親失格”という言葉が、何度も頭をよぎった。
「こんな母親でごめんね」と子どもと共に、泣きじゃくった日もあった。
皮肉だ。
あれほど望んだ結婚と出産で前に進めたはずなのに、
自分が不幸なように感じてしまう。
でも今度は、誰のせいにもできない。
自分が望んで選んだ道なのだから。
🐺🐺🐺
そう。あの映画館で泣いたわたしとは、もう違う。
誰かに導かれるのを待つだけのわたしではない。
誰かのせいにして、泣くだけの自分でもない。
自分の足で、自分の人生を歩こうとしている。
何もできないと思っていたこの手で、
たしかに誰かを守ろうとしている。
そして、気づけば、子どもは日々、成長していた。
少しずつ泣く時間が減ってきて、
一人で歩けるようにもなった。
言葉を話すようになり、意思疎通ができるようになった。
自分の好き嫌いを言えるようになり、
その日の気分で服を選ぶようにもなった。
いろんな歌を歌い、絵も上手に描けるようになった。
自転車にも乗れるようになって、逆上がりだってできるようになった。
子どもがどんどん成長していく姿を、
わたしは横で応援しながら、見守ってきた。
小さな変化ばかりだけど、
それでも一つひとつを積み重ねることで、
確かに、わたしたちは前へ進んでいる。
そして、ふと思う。
娘が成長していくように、
わたしも母親として、少しずつ成長できているのだろうか。
子どもを育てながら、実は、いちばん育てられているのはわたしなのかもしれない。
いつか娘が、自分の生き方を選ぶときがくるだろう。
そのとき私は、ちゃんと背中を押せるだろうか。
花のように、涙をこらえて、見送ることができるだろうか。
今はまだ、その覚悟が持てる自信はない。
けれど、あの日見た花の姿が、わたしの中で小さな光になっている。
🐺🐺🐺
そして今、ようやく気づいた。
13年前の映画が教えてくれたのは、
“強くなる”ことではなく、
“強くなろうとし続ける”ことだった。
あの日、映画館で流した涙は、
なれなかった自分を責める涙ではなかった。
なりたい自分を見つけた涙だったのかもしれない。
花の強さは、今もわたしの憧れのまま。
でも、もうそれに傷つくことはない。
まぶしさの向こう側に、やさしい光を見つけられるようになったから。
🐺🐺🐺
2025年11月7日。
今夜わたしは、あの映画をもう一度観る。
今度は、13年前に隣にいた、
いまは彼ではなく、夫と呼ぶようになったその人と。
そして、小学3年生になった娘“まる”と。
偶然にも“ハナ”と名付けた愛犬を撫でながら。
13年前には想像もできなかった、今がある。
今度は、きっと違う涙を流すだろう。
悲しみでも、憧れでもなく。
きっとそれは、“ここまで来た自分”を抱きしめる涙。
娘の横顔を見ながら、そっと思う。
あの頃、映画を観て泣いていた13年前のわたしへ。
「大丈夫。あなたの願いは叶うから。」
🐺🐺🐺
人生は、あの映画みたいに完結しない。
わたしの「母として、人として」の成長も、まだ途中だ。
ポンコツ母娘の“まー”と“まる”の物語は、
これからも続く。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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