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【マンガ感想】#16.九龍ジェネリックロマンス|気づけば、私も九龍にいた

先に漏らした記事を組み込んで、一応の完全版としてまとめようと思ったものの、ちょっと勢い的にここへ組み込めそうにないなと、不甲斐なくも断念してしまった。なので、まずはこちらの記事を読んでいただきたい。
1巻のファーストインパクトが凄まじしく、熱量がやたら高い。

独特な雰囲気を醸し出している「ジェネリック」という言葉のチョイス。
ジェネリックと言われると、東和薬品のジェネリック(黒柳徹子)や、沢井薬品のジェネリック(高橋英樹)を思い出すし、調剤薬局で聞かされる言葉だよなあ、と思う。だが、この作品タイトルで使われている「ジェネリック」も、要はそれと同じ“後発”なのだった。

シティーポップにありそうなタイトルだが、内容をズバリ並べたタイトルでもあり、語るほどにネタバレになりそうな気がする。初見の方には、この物語をできるだけまっさらな状態で楽しんでほしいので、私からはこれ以上、何も言わないでおきたい。
……とは言いつつも、後半では語りが漏れてしまっているので、本当に見たくない方は、申し訳ないが一旦離れていただくことを推奨する。

「九龍」と言えば、カオス建築の象徴というイメージだし、プレイしたことはないが、ゲームの『クーロンズ・ゲート』を思い出す。その強烈なタイトルの記憶しかなかったので、今になってネットで調べてみたところ、『クーロンズ・ゲート』にも小黒というキャラが登場するらしく、どことなくストーリーも似ていそうだった。

九龍城の歴史や諸々については、各自で調べてくださっていると思うので省くが、もう実際には存在しない場所でありながら、ミステリアスで、多種多様な謎がありそうで、何かが起こりそうなイメージが強くある。いわゆる“ダンジョン”だ。

同じ眉月じゅん先生の作品『恋は雨上がりのように』が、現実の日常にある恋と葛藤を描いたリアリズムのマンガだったのに対し、今作はロマンスこそあるものの、それは悲しく、そしてSFサスペンスでもあり、自己の存在意義を問うてくる作品だった。

先入観を良い意味で裏切られたし、舞台を始め、細部まで練られたと思われる設定に感服した。謎を追っていく先の気になる展開に夢中にさせられる一方で、繰り返される飲食や生活の描写から、鯨井や工藤と同じ九龍に居る感覚が鮮明になっていく。
読んでいる間、目の前の現実から離れ、自分も九龍で生きているのではないか、登場人物たちを間近で見ているのではないかと思わされるほど、深く没入していた。

読書中は、他所から知識を入れたり、解説を読んだりせず、このマンガしか見ていない状態でいた。そのうえで言わせてもらうのだが、先の記事で漏らした「ジェネテラが『新世紀エヴァンゲリオン』のラミエルみたいだな」と思ってからは、ずっと『エヴァ』の記憶が脳内で追いかけてきていた。

『エヴァ』についても、作中で前後編本の後編は読まないと言っていた鯨井よろしく、アニメシリーズしかまともに見ていないので、理解はその程度だ。本当にズレたことを言っているかもしれないが、それでも世界観や考え方がどこか似ていると感じた。

ジェネリックであること、失ったものを取り戻すために作られた世界であること。そうした要素を考えていると、私の脳内から『エヴァ』の記憶が何度も蘇る。「夏」が舞台という点も相まって、なおさらだった。

自分が何者なのか。
何者になりたいのか。
何者で居たいのか。

常に考えさせられ、突き付けられる。そして、愛はどこにあるのか。ここには無いのか。どこへ行ってしまったのか。
悲しみや切なさが、次々と押し寄せてくる。

改めて、劇中で歌われた曲が沁みてくるし、工藤は何を思って歌ったのか、そこに答えはあるのかと、色々と考えさせられる。

僕がいるんだ 君もいるんだ
みんなここにいる 愛はどこへもいかない

玉置浩二『田園』より

11巻で物語は佳境に入っていると思うが、結末はまだ見えていない。鯨井と工藤は、進む先で何を見つけるのか。本当に気になってしょうがない。
感情がフルセットで楽しめる作品だ。完結したら、また記事を書きに戻ってくることを誓う。

余談だが、『シバつき物件』のむうちゃん(犬)によく見られる「むうちゃん」の擬音って、工藤の後ろに出る「く怒〜〜〜」みたいな擬音と同じだよなあ、と毎回思っていた。
そう考えると、両作品にはリンクする部分が意外と多い気がする。

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