不登校34万人─子どもがもっと学ぶために、教師は意識を変えられるか?
1. はじめに
「先生って、本当に大変ですね」
保護者や地域の方から、そんな言葉をいただくことが少なくありませんでした。
25年間、私は小学校の教壇に立っていました。
朝早くから夜遅くまで、土日もスポーツ少年団の指導や行事で学校に出ていくのが当たり前。気がつけば、家族との時間よりも学校で過ごす時間のほうが多かった。
「先生は子どものために一生懸命働いている」
確かにそうです。でも、その「一生懸命」は、本当に子どものためになっていたのでしょうか。
2. 長時間労働は努力の証ではない
かつては「残業は美徳」とされてきました。長く働くほど頑張っていると見なされる空気が、教育現場にも強くありました。
最近はさすがに「美徳」とは言われなくなってきました。しかし依然として「長時間勤務は当たり前」と思われている風潮は残っています。そのため、業務改善は掛け声に終わり、本質的な改革が進まないのです。
ここで注目すべきは、スタンフォード大学のジョン・ペンカヴェル教授の研究です。
彼の調査によると、週50時間を超えたあたりから労働時間あたりの生産性は急激に下がり、55時間を超えるとほとんど成果は増えないことが示されています。
つまり、教師がどれだけ「子どものために」と思って働いても、週55時間以上の勤務では、その努力がほぼ空回りになってしまうのです。
3. 子どもたちが求めていることとのズレ
では、子どもたちは何を求めているのでしょうか。
不登校の児童生徒は年々増え続け、今や30万人を超えています。
彼らが声にならない声で訴えているのは、
安心できる関係性
自分で選べる余地です。
しかし学校現場はどうでしょう。
いまだにいまだに「みんないっしょに」と足並みを揃えることが重視され、そして「問題が起きないように管理する教育」が横行しています。
先生がコンフォートゾーンにしがみつき、トラブルを避けることが第一になってしまう。結果として、子どもにとって安心できる環境は整わず、むしろ息苦しさが増していく。
このギャップこそが、不登校の増加の大きな要因のひとつだと私は考えます。
4. 手当の増額に国民は納得できるのか
文部科学省は、教職調整額の増額を検討しています。もちろん、先生の働きに対して適切な報酬が支払われることは必要です。
しかし、業務の構造が変わらず、長時間勤務が「当たり前」のまま続く中で手当だけが増えたら……。
「それは納得できない」
そう感じる国民がいるのも自然ではないでしょうか。
お金だけではなく、教育観そのものを変えなければ、教師の燃え尽きは止まらず、子どもの安心も取り戻せません。
5. 学校文化の壁と燃え尽きる先生たち
新しい教育観──たとえば探究学習や対話的な学び、SEL(社会情動的スキル)の導入。これらを取り入れようとする先生は確かに増えています。
けれども、現場ではまだ「そんなことをしたら和を乱す」「テストに出ないことを教えてどうする」といった声が根強く残っています。
私自身も新しい学びの取り組みを提案してきましたが、そのたびに「学校の批判ばかりするな」と釘を刺されました。
改革の芽を育てるどころか、摘み取ってしまう空気が、いまだに学校現場には漂っているのです。
結果、熱意ある先生ほど孤立し、組織との板挟みで疲弊し、燃え尽きてしまう。
精神疾患による休職が増えているのも、こうした背景と無関係ではないと考えます。
教師が燃え尽きや精神疾患による休職が増えてしまうということは、子どもたちの未来を支える基盤そのものが揺らいでいるということ。これは、教育界だけの問題ではなく社会全体の危機です。
6. 教育は国の礎、変化の鍵は教師の意識
教育は国の礎です。
社会の変化に合わせて教育が変わらなければ、国の未来も拓けません。
だからこそ、現場の先生たちが意識を変える必要があります。
「長時間勤務=美徳」という幻想から抜け出し、子どもを中心に据えた安心できる学びの場づくりに挑戦すること。
その一歩が、教育を変える原動力になります。
教師がその一歩を踏み出してこそ、国民も「教育改革は本物だ」と納得できるのです。
7. 私のチャレンジ:学校の外に広がる学びの場
私は25年の教職生活を経て、自律サポート型学習スペース「学VIVA(まなびば)」というオルタナティブな学びの場を立ち上げました。
そこでは、子どもたちが自分のペースで学びを選び、自分の興味関心を深めています。
また、リトリートや自然体験など、学校の外に広がる学びを通して「生きる力」を育む取り組みも進めています。
これは学校を否定するものではありません。
むしろ、学校と社会が補い合いながら、子どもたちに多様な選択肢を提供する時代が来ているのだと思います。
8. 結び:子どもの安心を中心に据えた教育へ
先生の努力を否定したいわけではありません。
私自身、長時間働きながら必死に子どもたちと向き合っていた時期があります。
けれども今振り返ると、あの努力の一部は子どものためではなく、「文化や仕組みに縛られた自己満足」に近いものもあったのではないか──そう思うのです。
教育の価値は、教師の勤務時間ではなく、子どもの安心と成長にこそ宿ります。
だからこそ、もう一度問い直したいのです。
「長時間勤務は本当に必要か?」
「子どもにとって安心できる学校とは何か?」
その問いに向き合うところから、教育の未来は拓かれていくはずです。
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教職25年・1,300人と向き合い、気づきました。
「やる気がない」のではなく
「引き出されていない」だけ。
それは子どもも大人も同じ。
サポートは、子どものサードプレイスと
大人の学び場に活用します。
「自分らしく学べる社会」を
一緒につくりませんか。