中学受験するかしないか(2)
以前こんな記事を書きました。
そこでの自分なりの結論としては、メリットとデメリットが噛み合ってないからしないほうがいいよね、ということでした。
ところが最近それについてちょっとした気づきがありました。
先に言っておくと、結論は前回記事から変わりません。我が子には特に中学受験を積極的にさせる気は毛頭有りません。
ただ、中学受験をさせたがる親の気持ちというのが理解できるようになったのです。
X(Twitter)では中学受験を強く勧める意見が多く見られる(と自分は思っている)のですが、それを主張するのは多くがご自身が中学受験を経て難関大に入っていわゆるエリートと呼ばれるような良い就職先に入れた人たちであるように思います。というかそういう人のフォロワーが多いのでそういう意見がよく流れてきます。
僕はそうした人たちの意見を見て、田舎者を馬鹿にしたようなというか、人を見下したようなというか、自分の優秀さを誇っているかのような、そういう態度を感じてなんとなく嫌悪感を持っていたわけです。
でもよく考えてみるとそれは逆だったのではないかと思い始めました。
何が逆かというと、そういう人たちが仮に自信の能力の高さや優秀さを誇っているのであれば、別に中学受験を経由した人生でなくても自分はそれなりにうまくいったはず、という認知や主張になるはずなんですよね。
でも彼らは中学受験を激推ししています。それはつまり彼らの現在の地位や成功が彼らの能力によるものではなく経路依存であることを彼ら自信が認めているわけなんですね。
つまり自分が優秀だから今のエリート街道がある、と思っているわけではなくて、中学受験で成功して有利な状況を得られたから今がある、と思っているわけです。
この発想に思い至ったとき、逆に自分がいかに傲慢であったかにはたと気づいたわけです。
前回の記事の後半に「自分がド田舎の公立中高からなんとかやっていけたんだから別に子どもだって・・・」ということを書きました。
今にして思えばこの考えは、つまるところ自分は辺鄙な環境にもめげずに自分の能力の優秀さで道を切り開いたのであり(傲慢その1)、自分の子どもも自分の能力で道を切り開いていける(傲慢その2)、という2つの傲慢で構成されていたわけです。
この事に気づいてから、確かにもし自分の成功が経路依存であると認識していて、かつ子どもの能力に絶対的な確信が持てないのであれば、中学受験させたほうがいいという意見にはものすごく合理性があるのだな、という理解にいたりました。
というわけで、中学受験激推し層に対して敵対心的なものを持っていたことを深く反省しました。傲慢なのは自分の方でした、ごめんなさい。
とまあ今回の記事はそれだけなんですが、では自分の結論がなぜ変わらないかというと、中学受験経由の難関大の合格実績などは確かにアピールされて目立ちやすいもの、成績上位者以外の予後はそんなによくもなくて、MARCHならまだいいほうで日東駒専とかそれ以下の偏差値の大学に行く人もいっぱいいるようで、その水準の合格のために過酷な中学受験を繰り広げるのはやはりメリット・デメリット的に割に合わないな、という気持ちは変わらないのであり、つまるところ自分の子どもなら中学受験しなくてもそれくらいはなんとかなるだろうという「傲慢な」考えを変えるにはいたらない、ということですね。
そんなところです。お読みいただきありがとうございました。
