史実考察 #貂蝉 #三国志 #三国志演義
史実概略(ただし創作されたとされる人物)
考察
貂蝉は、呂布に董卓を裏切らせ、主君殺しをさせる重要な役割を果たす。
しかし、史実には存在しないようだ。
もちろん、貂蝉の養父とされる王允は、実際に呂布を裏切らせている。
そんな重要な人物が創作なのは、なぜだろうか?
史実の呂布・董卓・王允の関係を簡単に整理すると、
呂布の養父・丁原は、洛陽の治安部隊(并州兵)を率いる有力者
董卓は西涼の軍閥を率いて上洛
どちらも洛陽の軍事権を我が物にしたい
丁原は警備部隊であり洛陽郊外で、重装備の董卓軍の迎撃に失敗
洛陽を破壊しないため、董卓は呂布に、死か丁原を裏切るかを強制
にも拘わらず董卓は呂布に対して「裏切者はまた裏切る」と信用せず
董卓は短気な性格のため、口論から呂布に戟を投げる
呂布は、いつ暗殺されてもおかしくない状況と判断
そこに後漢の最高位の文官で武力を持たない王允が呂布との同盟と、董卓への裏切りをそそのかす
とまあ、簡単には整理できないような複雑な関係にあった。
呂布と董卓の関係は、董卓が洛陽の軍事権を掌握するには、呂布に丁原を裏切らせるしかない時点で実は詰んでいた。
なので、「董卓の自業自得」という物語的には盛り上がらない場面になる。
しかし、三国志演義で、この関係性を説明するのは、とても大変だし、読者も理解にしくい。
しかも、地味だ。
そこで導入されたのが、呂布・董卓の敵対関係を単純化させる装置・貂蝉だ。
養父・王允の策略で、三角関係となった呂布が董卓を裏切る。
とても分かりやすいし、感情的にも理解しやすい。
その分、呂布・董卓のキャラ造形が単純になってしまったが、物語創作の成熟度として、敵キャラへの感情移入や深堀りは、不要だったのだろう。
この構造は、日本の歴史に落として込んでみれば、理解しやすい。
例えば、歴史的な大きな謎の一つ、本能寺の変の動機だ。
様々な要因が複雑に絡み、どれもが納得できるような、中途半端に後世の我々のイメージにそぐわなかったり。
だから、森蘭丸を取り合った色恋沙汰、と単純化させたら、納得しやすい。
ただ、明智光秀が「知的で感情では動かない」人物像であり、江戸時代に修道は暗黙なだけで公式にはタブーであったため、受け入れられなかっただけだ。
人は、歴史や物語に、計画性・先読み・駆け引きなど、行動の意味を求める。
しかし、実際には、短慮だったり、思いつきで動いて失敗する我々と同じだでしかない。
だから、人は董卓と呂布の確執に意味「貂蝉」を求めた。
そして、貂蝉は確執が裏切りで終幕した途端に存在価値がなくなる。
そのため、「裏切り」後の話に登場しない。
これは、アーサー王の誕生に神秘性を付加するためのマーリンと同じだ。
ある意味、三国志演義の中で最も踊らされた人物が、絶世の美女にまで脚色された貂蝉なのかもしれない。
感情移入などのために単純化されたり、意味を求めて複雑化された物語以上に、呂布の裏切りが簡単な「董卓の自業自得」であるように、明智光秀も「イケると思った」だけで、史実の方がもっとシンプルで意外性がないのかもしれない。
(AI調べ含む)
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