歴史妄想 #孫策 #三国志 #三国志演武
史実概略
考察
孫策は、早世した父・孫堅の後をつぎ、小覇王と呼ばれるほどのリーダーシップを見せたが、夭折した。
もし、孫堅・孫策が生きていたら、三国志はどう変わったか、妄想してみたい。
まず、戦死した荊州攻めから、後漢(朝廷)の介入などで、停戦し生きて帰った場合、孫家は、袁術の元を離れた可能性が高い。
もともと、孫堅は袁術の家臣ではなく、対董卓のための同盟者だった。
そして、物資が欲しいという利己的な理由で、後漢に喧嘩を売った袁術の立場は悪く、そもそも物資不足。
荊州を攻めて、孫堅が奪うこともできなくなり、袁術の元に留まる理由がなくなる。
また、孫堅が持つ伝国璽(秦の始皇帝が作らせた皇帝の正統性を示す唯一の玉璽)を袁術が要求し続けたことからも、決別は遠くなかっただろう。
そして、独立した孫堅・孫策率いる軍は、(孫策が袁術に兵を借りて攻めた)江東(揚州。荊州との間の地域)を早々に統一した可能性が高い。
そうなれば、慢性的な物資不足の袁術は、孫家に(物資も軍事力も)依存することになり、人望がない袁術陣営は、(武力によるか政治的にかは別として)吸収されただろう。
そうなれば、後顧の憂いがなくなり、荊州攻めが可能となる。
孫権のみでも、勝てた黄祖(劉表の将)に、三人そろって勝てない訳がない。
そして、荊州を孫家がとれば、(曹操が劉表の病死後、降伏させた荊州を巡る)赤壁の戦いがなくなる。
そうなれば、赤壁の戦いに協力し、荊州南部を孫家から借りて足がかりにした劉備が、益州(蜀の中心地)を得ることもできなくなり、三国が成立しなくなる。
どこかで、曹操VS孫家の天下統一戦が起きただろうが。
しかも、後漢を背負った曹操と伝国璽を持つ孫家という、お互いが錦の御旗を立てているので、全豪族の立場を二分した「関ヶ原の戦い」のようになっていたかもしれない。
もっともこれでは、三国志演義の主人公、劉備が負け続け、捉えられ癖のあるヒロイン枠になってしまうが。
(これでは、孔明は「後漢をひっくりかえしてみたくないか?」と誘われ孫家に仕官するかもしれないが、関羽廟は存在しないかも。いや、関羽が曹操に仕官して、最終決戦で孔明VS関羽があったかもしれない。上杉謙信VS武田信玄戦のように、一騎駆してきた関羽の青龍偃月刀を孔明が扇でいなすとか、これはこれで胸熱だ。これなら関帝廟も建つか)
関羽を主人公にした孫堅生存のIF三国志、おもしろそうだ。
孫堅・孫策生存で一気に影が薄くなってしまう孫権だが、内政面で手腕を発揮し、孫家で一番愛されるのだろうなとか、それが彼が最も幸せな世界線なのかもしれないとか、妄想してしまう。
(自分のたてた仮説を検証するため、情報をAIで調べています)
妄想だった「関羽を主人公にした孫堅生存のIF三国志」を書き始めた。
孫堅が流れ矢で死なない世界線で関羽主人公のIF三国志演義
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